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2005年06月の鵞毛庵日記

半分過ぎちゃったぁ

2005.06.30

     もうあっという間に6月晦日。いや〜〜〜。早いこと早いこと。昨日、クリスマスと正月だったんだけどな、おかしいな。(^^ゞ あははは。


     それはそれで。。。数日前は酷暑警報まで出ちゃったフランスですが、いきなり涼しくなりました。これで夏はおしまいか?なぁ〜んてこったないだろうけど、でもありそうなことです。

                 ***************


     春先に好評だった「みんなのセルロイド展」のVOL.2が明日7月1日からセルロイドハウス横浜館で始まります。3日まで。詳細は↓コチラをご覧ください。

http://www.celluya.com/index.html

     先回に引き続き、今回もセルロイド人形のミーコちゃんや金魚のキントトをモデルにカードを3種類出品・販売します。他にこの日記でも既に写真で紹介した「しおり」も。

     ミーコファンが沢山いろんな形で参加して出品したり、会場のセルロイドハウス所蔵の型で復刻した小さなキューピー「せるっぴぃ」の彩色体験やお人形関係の童謡等の古いレコードを蓄音機で聞くコンサートなどもイベントとして行われます。行けないの残念!!興味ある方は庵主の代わりに行ってくださいね〜〜。     

 

やれやれ。

2005.06.29

   今日は随分気温が下がり曇がちでした。あちこち雷雨があるようですが、パリは今のところは静かです。ふゥ〜〜〜。涼しくなっても水不足が深刻な地方もあるとか。いったいど〜なってんでしょうねェ。

   いよいよ明日からルーヴル美術館で「ダヴィンチ・コード」の映画の撮影が始まるそうな。夜中にひっそりやるみたいです。そうじゃないとねェ、大変だもんな。
   夜中の美術館、なんか怖いなぁ。ルーヴルは夜な夜なベルフェゴールというエジプトのお化けが出るという設定で60年代に連続ドラマ化されてて、最近では数年前に映画でリメイクされてソフィー・マルソーがやってました。ドラマの方はいつだったか再放送してて見ましたが、ジュリエット・グレコが主役。白黒だし、なんか非常にミステリアスな仕立てになってました。映画のほうはもとと違う時代設定と筋立てで、なんか違うものだったな。

   しかし、夜のルーヴルのピラミッドは綺麗です。いつか、これなんだ?って載せたらすぐ正解がでちゃった写真。(笑)ここからお月様が見えるとなかなかいい雰囲気ですよ。

   

   

 

またまた死者

2005.06.28

   今日は81歳と95歳の高齢者二名がパリ市内で亡くなった。病気などで衰弱していたところに持ってきて、この暑さ。イタリアでは10人ぐらい死者がでているとか。いやはや。

   でも、今日のパリは少し曇気味で多少は息ができました。ほっ。これから夜半にかけて雨の予報。またきっとスゴイのかな。明日からはちょっと気温も落着くみたいです。6月からコレじゃなぁ〜〜、空調設備が石器時代並みのこの国では夏を越せないものぉ。

   なんでもこれからは、新建築の際は、熱遮断や風通し、空調設備のことを考慮に入れなければならないということになりそう。

               
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   レッスン中にお邪魔してたお宅の人に銀行から電話が。なんでもVISAの引き落としに不審な点があったらしい。同時に3カ国から同金額の引き落とし依頼があったというのです。銀行で不審に思い差し止めて連絡くれたとのこと。全く身に覚えないらしく、やっぱりカードは怖いですねェ。ドキドキ。

   こんなこともあるから、普通の口座にお金をあまり入れてちゃいけないって云うことなんだなぁ。

   ↓あっぢいので、ベトナムのココナッツミルク「ぜんざい」(笑)をば。下の方のは茹で小豆、緑色のはゼリーとタピオカですが名前忘れちゃったけど葉っぱの色。砕いた氷も少し入ってて、ちょうど色の具合からいくと宇治金時です。(笑) 

 

ついに出た!

2005.06.27


   南の方では39度とかなんとかで、パリは35度ぐらい。ってこれはいわゆる百葉箱の温度。日がさんさんと当たってるところは、そりゃぁスゲ〜〜ェですゥ。(>_<) 明日もそうらしい。。。ど〜しましょ。(◎_◎) 日陰と日向じゃ、まさに天国と地獄でやんす。

   午前中からギラギラ照りつける中、またまた警視庁へ行って参りました。そう、あれからさらに3週間経ちまして、滞在証を取りに行ったのです。(^_^)v 今日は大丈夫。収入印紙代も10年前に比べると半額以下。これでこの先10年、安泰であぁる。しかしねェ、写真がひどいのよ。とほほほ。白黒写真を少し縮小してコピーしてあるので、え゛?これ、ワタクシですか?状態。このまんま10年かよぉ〜〜〜。(爆)

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   本日の題目「ついに出た!」ですが。。。この暑さで、ついにパリから死者が。パリ市内に住む74歳の男性が高熱症で亡くなりました。なんでも午前中に息子さんが見舞った際は元気だったとかで、夕方また様子を見に寄ったら事切れていた次第。どうやら住んでいたアパートが日当たり良すぎて異常に暑い上に風通しも悪かったみたいです。はっきりした死因は解剖してみないと不明だとか。何か他に疾病があったやもしれず、または単に高熱症が急速に悪化したのかも。今年は二年前の酷暑の痛い経験を生かして、随分みんな注意してるのですけどねェ。

   高架線のメトロもこんな状態じゃとても乗れないし、メトロで隣に誰かが座ると、もわ〜〜〜っと余計に暑い!特に若い女の子の体温の高いこと!   

   あまりに暑いので、たった歩いて5分の道のりをバスを10分待って乗りました。幸いバス停は日陰。午後のイタリー通りは日陰が全くないのです。そんなとこ歩いたら倒れちゃうもん。

   夜はついにガマンできず、紙が飛ばないようにいろいろ工夫して扇風機を回しました。

   ここで、???って思ってる方もおられるかと。。。。
   ヨーロッパはこんな暑くなることは今までなかったので、湿気も少ないし、冷房というものが一般的には普及していません。暖房はバッチリなんですが。さらにフランス人は体に悪いといって風に当たりたがらないし。従って、映画館は冷房効いてるけど、その他はほとんど期待できない状況なのです。だって、勝手に壁に穴開けたり、外観を損ねるような設備を取り付けたりできないものだから...
   扇風機だってなかなか売ってなかったのが、二年前の酷暑でかなり普及してきました。ま、こんな具合で、二年前には15,000人も死者が出ちゃったわけです。そして、今日のニュースで、同じ時にイタリアでは8000人の死者なんていってたのが、実は2万人にも及んでいたことが判明。 

   やれやれ、どうなることやら。。。今年は倒れる前に日本からポカリの粉送ってもらおうかなぁ〜。 

 

ぼうふら

2005.06.26

   何年ぶり、いや、かなり久しぶりに、ひょっとすると日本を離れてから初めてだったかも。ぼうふらを見たのだ。今日、俳句会でお邪魔したパリ郊外のお宅の庭に、小さな人工池があり、よくみたら、まぁ。。。ぼうふらがいっぱい。これはヤバイぜ、といった雰囲気でした。庵主は誰よりもすぐに蚊に刺されるので、早々に庭を退散。(笑) みんなでああだこうだ、と意見して、一人が池の水を抜こうと言い出し、その言いだしっぺは一生懸命ホース使って庭の傾斜を利用して排水作業を開始。

   最終的にどうなったのかは見届けずに帰ってきてしまった庵主ですが、無事、池の水は抜けたんだろうか?

   金魚を飼えばいいなんて意見もでたんだけど、庵主の記憶ではあまり効果が期待できないと思ったのでした。と、いうのは、小さい頃、祖父母の家に大きな瓶があり、そこに金魚がいたんだけど、ぼうふらもいっぱいいたんです。食べられるよりも繁殖する速度の方が速かったのかなぁ。

   その後、その家は建て直したのでいつの間にかぼうふらの瓶(笑)はどこかにいってしまった様子。でも比較的最近になって、あの瓶がどうなったのか伯母と話題にした機会があり、なんでも改築中に泥棒にあって誰かに持ってかれちゃったらしい。そして、その瓶は実は皮蛋(ピータン)の瓶だったのでした。かなり昔からあったそうですが、入手経路は不明。どおりで、庵主は時折見かける中華街の皮蛋の瓶に親しみを感じているわけだったのだ。(笑)こげ茶色で龍が絡み付いてる柄の大きな瓶。

   でもね、この頃のピータンは藁もついてなくて、写真のような感じにきれいに発泡スチロールの箱に収まってるのが多いです。あの瓶の中に手を突っ込んで買うのが楽しかったんだけどぉ。(^^ゞ

 

ゲイプライドから誇りの祭典へ

2005.06.25

   今日はゲイプライドでした。今年は今最も話題になっている同性愛者の婚姻並びに養子縁組を法的に認めて欲しいというスローガンを掲げての家族として、人間としての「誇り」をテーマにした祭典に。直前まで2012年のオリンピックのことで走り回っていたパリ市長ですが、やはり彼がいないとねェ。パリ市長のドゥ・ラノエさんはホモセクシャルなんですゥ。その彼がパレードの先頭を切って午後1時半にパリのモンパルナス駅前の広場を出発。夕方、バスティーユが終着点。

   今年は暑くって見に行くのやめました。ふ〜〜〜〜。家でじっと仕事。イタリー広場を通るなら行こうかなぁなんて思ったのですが、今回はルートからはずれてたのであきらめました。
(^^ゞ

        **************

   しかし、暑い。六月にこんな暑いなんて...それも連日夕立があるぐらいだから、パリにしては結構蒸してて、重いです。

   汗かきかき金箔貼りなんかしてたら、あっという間にリヤンがやってくる時間となり、映画に行こうかご飯だけにしようか?ということだったのだ。暑いのでゆっくりご飯だけにしようと決まり、またまた例のタイ料理屋さんへ。今夜はいつもと違うものを注文して、これまたお腹いっぱ〜〜い。
   デザートは抹茶風味の蒸しプディングに、本当はココナッツアイスのところを、ドリアンのアイスに変えてもらいました。(笑)匂いのキツイ、はっきりいってクサイ!(爆)、果物の王様といわれるドリアン。二人とも好きなのですよ〜〜。(^_^)v
写真のがそのドリアン。この甲冑のようなトゲトゲで痛い皮の中に黄色いクリーミーな果実が。じゅる〜〜〜。

    レストランを出たとたんに、リヤンがなんか香港の匂いがするゥとひと言。うんうん、なんか蒸してて暑くて、パリの匂いじゃないわ。まさに私たちアジアっ子にとっての「夏の宵の匂い」がしたのでした。
  

 

アトリエ開放

2005.06.24


  いよいよ夏休みを目前に、年度末でカリグラフィーのアトリエSCRIPSITスクリプシットでは、年中行事のアトリエ開放です。今年は久しぶりに庵主も作品を出品。今回のテーマは、「詩人ランボー」か「足跡」で、以前に日記でも触れましたが、庵主は「足跡」の方で作品ひとつ出品しました。

  LES PAROLES SONT VIDES
  LE PINCEAU LAISSE DES TRACES

「言葉は空である。筆は筆跡を残す。」という意味の中国の古い言い伝えの仏訳。出典は判らずじまいんんだけど、「筆」が出てくるので、なんかカリグラフィーにぴったり。

  書体はメロヴィンガ王朝だから5〜6世紀前半の古〜い書体です。字と字を繋げて書くのが特徴で、それによっていろいろ変化します。このテキストでは[S]がいっぱい出てくるので、ちょっとづつバリエーションをつけました。この書体では[R]と[S]の違いが殆どないし、この時代では大文字、小文字の概念もなく、アルファベットもラテン語では26文字じゃないんです。たとえば、[I]と[J]や[U]と[V]の区別がないし、[K]、[W]、[Z]はありません。後世や現代語のテキストを書く時は、この書体の特徴を真似て自分で字を作るか、[V]などは[U]のまま使用したり。だから、この作品ではVIDES(ヴイッド)の[V]は[U]を使っています。

  テキストの一部を白く抜けるように細工したり、なんたり、下地の準備の手順がややこしかったぁ。でも、やってて結構楽しかったです。

  写真をクリックするともう少し大きく見えまぁす。

 

夕立!

2005.06.23

   相変わらずあっぢ〜〜。幸いお日さまはそれほどギラギラじゃなかったけど、なんか重〜〜い一日。夕方になって急に暗くなって雷と共にすごい夕立。もう、いきなりだもんね〜。セーヌ沿いの道はポッチャンポッチャンだったようです。

   夕立で随分涼しくなったけど、明日はまたあっぢぃみたいですゥ。ふううう。


   今日は午後のレッスン中におめだたい出来事がありました。乳幼児のお母さん達のグループで、いつも子供達5〜6人を一緒に遊ばせながら、傍らでのんびりお稽古なのですが、しばらくしたら、「ああ、立った〜〜!」の声。会うたびに首が据わってきたり、髪の毛ふさふさになったりの坊やが、今日、ついにたっちしたのです!! 思わずみんなで拍手ゥ。\(^o^)/ そこのお宅のデジカメで記念撮影もバッチリ。そういえば、庵主も初めて立った時の写真というのが実家にはありますねェ。みなさんはどうかしら?

                 **************

   またまたリヨン・ラ・フォレ。広場の様子です。日陰になっててちょっと残念だけど。古〜〜い建物がカフェだのレストランや普通のお店になってます。 この奥の先の坂の右側にラヴェルが住んでた家があります。

   

   
   

 

酷暑警報

2005.06.22

   少なくとも金曜までは全国的にかなり暑く、場所によっては二年前の二の舞を避けるために、酷暑警報が出てます。老人ホームなんかケアが大変みたい。パリは日陰で31〜2度。もう、足なんかパンパンにむくんでます!桜島大根状態。爆

   今日はやはり「魔の水曜日」でした〜。今朝、乗ってたメトロが信号機の故障で止っちゃったのだ。最初はすぐにも直るようなアナウンスだったのに...あと二駅で乗り換えだったのに...。「いつ復旧するか判りません」のアナウンスであきらめて歩くことに。朝9時半でもすでに照り付けてあっぢぃ。高架線の駅だったので線路の下の日陰を歩きました。途中、公衆電話から(庵主は某不携帯同盟会員です。笑)レッスンに遅れる旨連絡して、ひたすら二駅テクテク。幸いそんな遠くなかったのだけど、なんかなぁ。水曜の朝ってどうしてこうなんでしょ。


              *************


   またまたリヨン・ラ・フォレです。町の中心にある市場。これも2〜300年前からこうなんじゃないか。。。もっとかも。
お魚屋さんがあって、鮪売っててみんなでビックリしました。この日はお店があまり出てなくて、八百屋さんとチーズ屋さんなどちょこっと。

 

夏至

2005.06.21

   今日は夏至で、パリを中心にフランスでは音楽の夕べ。今年で24回目です。プロもアマも誰でも好きなところで演奏したり歌ったりできる日。最近は結構有名な人のコンサートとか多かったのですが、今年はアマチュア中心らしい。なんかこういう催しにはなかなか出かけなくなりました。(^^ゞ

   ただ今そろそろ夜中の1時ですが、まだまだ賑やかです。どっかから音楽が聞こえてきますね〜。

   少しだけ暑さが控えめになり、30度ぐらいだったみたいで、随分ラクに感じました。でも夕方外に出たらあっぢかったぁ。近所に句集のコピーに行ったのですが、21ページを25部という量。遠くに行くのは面倒だし、暑いし、とにかく近所の中国人の印刷屋さんに行ったのですが。。。コピーし始めたら機会がおかしくなっちゃった。ありゃ〜〜〜。

   おじさんが、こっちの機械でやりますねェって、指さしたのは旧式の自動差込もないもの。つまり一枚づつ手で原稿を置いては25枚コピーして、また入れ替えてというタイプ。うへ〜〜。ま、仕方ないか。4年目にして初めてですよ故障したのってェ。。。う〜ん、庵主のせいじゃないぞ〜〜。(笑)旧式ということは、各ページごとに25部刷り上るわけだから、原稿25セットにするのは手動。(~_~;) 最初はおじさんがブツブツ広東語と北京語とフランス語で一人でやってたけど、そのうち、黙ってこっちにも仕分けに参加させられた。(笑)もう枚数の勘定なんか完璧広東語になってて、つられて庵主もうなずいちゃったりしてしまいました。おじさん、一生懸命丁寧にやってくれたし、ちょっとはオマケもしてくれたので、ちゃんと中国語で多謝、多謝。

   これがね〜、フランス人のお店だとこうはいかないだろうな〜〜。あははは〜〜。

                  *************

   写真は日曜に行ったリヨン・ラ・フォレの風景。こんなおうちが並んでました。どこの家も古いけど綺麗にしてて、きっと役所から町並み保存のための助成金がでてるんだろうと思います。1600年代とかの家もありました。

 

ぐったり。

2005.06.20


     今日は幸い午前中だけのレッスンだったけど...。すでに10時前からかなりの暑さ!太陽が照りつけるセーヌ沿いはスゴイ。う〜〜ッ。帰りなんかもっとグッタリ。昨日のお疲れもあってか午後から休息することにしてバッタリ。(^^ゞ ここで無理するとカラダがもたないぞ〜〜という信号がピコピコしだす前に充電。zzz。(笑) しかし、こちらは緯度なんかの関係で夕方過ぎからどんどん暑くなるのだ。昼間は家の中は涼しかったのに、夜になって暑くなるばかり。ぶぶぶ〜〜〜。なんでも夜半に夕立だそうです。だからどんより重い。

     こんな時はクスクスのサラダのタブレが最高なんですが、お昼に残り全部食べちゃった。今夜はいわしの南蛮漬けでビールかな...。

     さて、以前にもクスクスの時にちょっとお話していたタブレをご紹介します。

     北アフリカや中近東あたりのお料理。クスクスはセモリナという小麦の粉からできている顆粒状の主食。それに、ピーマン(赤と緑)、玉ねぎ、ミントを刻んだのと、レーズンを混ぜました。味付けはオリーブオイルにレモン、塩コショウ。よ〜く冷やして食べると、本当にさっぱりしてて美味しいッ。

     最近は本当にこのクスクスの処理がラクになってて、サラダにするならクスクスを同量の水に10分浸して膨らませ、その後、具とドレッシングで混ぜて味を馴染ませればOKという簡単さ。これならいつでもすぐにできるのだ!(^_^)v クスクスで食べる時は、火を通すようになってるけど、サラダの場合は具やドレッシングの水分も適当に吸って好い加減になります。

     レバノン料理なんかだと、もっと野菜の量が多いのとかいろいろバージョンあります。どれもさっぱりしてて口当たりがとてもいいです。

     あっぢ〜〜〜。     

 

吟行

2005.06.19


   今日は朝早くからパリの北西のLYONS-LA-FORETリヨン(ス)・ラ・フォレというところに、俳句の吟行(ぎんこう)に行ってきました。

   吟行というのは、和歌や俳句を作るために名所などに出かけることをいいます。庵主がシャンゼリゼ詣と称している日本人会の俳句会の有志数名で車二台で出発。今日も暑かった〜〜。パリから1時間半ぐらいのところです。リヨンス・ラ・フォレのフォレは英語のフォーレストに当たり、つまり、森があるのです。そこでピクニックもしました。
   
   でもその前に町を散策。ノルマンディー風の古い造りの家が多く残っていて、なかなか風光明媚な町です。その中に、「ボレロ」のモーリス・ラヴェルが住んでいた家があり、写真がそれ。ここで1917年に「クープランの墓」を作曲したとありました。こんな感じの家がいっぱい並んでいます。

   森の中は木陰が多くて気持ちいいし、みんなでいろいろ持ち寄って、ビール飲んだりなんたり。俳句はど〜なった?(笑)ちゃんとやりましたよ〜〜、ワイン飲みながら。ふふふ。

   帰りは道がほんの少しだけ混んでましたが、予想したほどではなく2時間ぐらいで帰ってきました。それにしても暑い。

       

 

あっぢぃのだ。

2005.06.18

   ついこの間は厚手の上着にマフラー姿だったパリですが、今日は予報どおり30度を越しました。冬物が仕舞えないまま、いきなり真夏!

   今朝は予定通り郵便局へ。セルロイド展のための出品作品をセルやさん宛に無事発送。土曜の朝9時に郵便局なんて行ったためしがなかった庵主ですが、だいたい土曜はお金引き出すご老人衆で大変混雑するのが定番。でも、それはやはり郵便局が閉まる12時に近くなればなるほどの現象だったみたい。誰もいない郵便局なんてパリではかなり稀なことです。予定よりかなり時間短縮。これからは土曜の朝に行こう!

   ところが、次に行ったお向いのスーパーは、予想外に混んでいた。やっぱりお昼ごろがすごく混んでるのに、こっちは朝から土曜日は混んでいる様子。知らなかった。( ..)φメモメモ

   しかぁし、いいこともあったのでした。それはお魚売り場。ふふふ。新鮮、いっぱいある。小ぶりの鮪がど〜んと一匹転がってました。(^_^)v 本当は鰯を買いに行ったのですが、ついでに鮪も購入。オニイサンに、あの〜〜鮪切ってもらえますゥ?と聞くと、色よい返事。これならお刺身で食べられると内心ホクホク。オニイサンは一応、前の残りのしっぽの方を見せて、コレはダメですか?と言ってはみたものの、言わなきゃ良かったという顔もしてた。(笑)庵主は内心、誰見て言ってんだよッ、ニイサン。ひと言、ダメ。そっちを切っておくれナ、ねッ。ということで、オニイサン、これならおいしくSUSHIが食べられますよ〜なんておべんちゃらをくっつけてきた。へへへ。(^^ゞ

   で、お昼に早速いただきました。おいしかったですゥ。ぜいたくだなぁ、昼からしかもパリで鮪の刺身。ちなみにお値段はキロ21ユーロ=¥3000。輪切り一切れが今日のは400gぐらいでした。

   明日は俳句会で郊外に吟行なので、ピクニックの準備。暑いからご飯モノはやめて、いわしの南蛮漬けとタブレ。タブレはクスクスのサラダです。どっちも前もって作っておいたほうが美味しいので、これで準備万端、と思いきや。

   ピクニック用のシートにゴザを買うの忘れてた!夕方、あわてて中華街へ。あっぢぃ〜〜〜。

   陳氏兄弟公司の中庭では特別スタンドが設けられてココナッツを売ってました。今日はこの暑さだし、なんか雰囲気で並んで購入。吾ながら単純な行動でしたが(笑)、ここで買い物済ませた人の殆どがチューチューとココナッツジュース飲みながら帰っていくんだもの、仲間入りせずになんとしょ〜〜〜! 一個1ユーロ55セント=\220ってとこかな。機械で穴をあけてストロー挿してくれます。ジュース、結構いっぱい入ってるし、自然の甘味とほどよく冷えてて満足。(^_^)v これはタイから輸入したココナッツで大量入荷すると時々こうやってスタンドがでます。

 

暑くなるぞ〜〜〜

2005.06.17

   数日前から今度の土曜は30度以上を繰返していて、その土曜がいよいよ明日。今日から随分気温が上がってきました。今まで涼しかったからねェ。これで、いきなりど〜〜んと30度以上っつうのは、コタエマス。(>_<)

   昨日のメール騒動はなんとか解決した様子。原因は全く不明。お騒がせいたしました。(~_~;)

   
   春先に評判だった「みんなのセルロイド展」の第二段のためのカード等をすごい勢いで制作、プリントして、セルやさんに発送するための準備で目が点になっておりました。夕べはかなぁり遅くまで踏ん張って、でも、午前中は出張レッスンで駆け足駆け足。夕方髪振り乱している最中に、リヤンからお夕飯のお誘いの電話。う〜〜ん。ダメなのよ。でも、庵主に返すものがあるのと、中華街で買い物するからと7時過ぎにやって来た。

   足の踏み場がないのに全く驚く様子もなく...どっかり座りこんだ。いやはや、彼女は買い物がすごい量で、暑さと重さでかなりグッタリでした。手がすいたところで、そうだ、ビールが一缶あったべェ〜〜というと、目を輝かせ(爆)、グビッと飲み干して去って行きました。(笑)

   今回はカードのほかにこんなのもあります。↓読書の友。 

 

メールが開けない

2005.06.16

今朝でかける前は大丈夫だったのですが。。。

夕方から全然ダメ。なんでもPOPサーバーに接続しないとかで...送受信ともできません。困ったにゃ〜〜。(>_<)

万が一何か御用の方は掲示板にお願いします。

掲示板はちょっとぉ、という方は

maya.gokita@wanadoo.fr

までメールくださ〜い。

庵主もメールするなら上記のアドレスで送信すると思います。


困ったにゃ〜〜〜〜/(>_<)\

 

百貨店

2005.06.15


もう近頃じゃ「百貨店」なんて言い方する人いないですねェ。

  なんで「百貨店」かというと、今日、パリでも老舗のデパートが閉店したのです。サマリテンヌという「百貨店」。ポンヌフの橋の袂にあり、開業100年あまり。建物はアールデコ調でいかにも老舗といった雰囲気だったのですが、デパートとしてはプランタンやギャラリーラファイエットにすっかり押され気味。数年前にあのLVMHグループ(さくらんぼちゃんのLVのグループ)に買収されてちょっと手を入れたけど、泣かず飛ばず状態だったらしい。

  でも、これが原因で閉店になったのではないのです。なんでも建物が古くて、安全基準を満たしていないのが原因。恐らく上層部は判っていたのでしょうが、閉店のニュースが流れたのは数日前なんです。いきなり。もうすぐバーゲンの時期だというのに、その直前に閉まってしまいました。メトロのホームにはまだ広告も残ってるし、サイトもそのまんまです。

  調査によると、かなり老朽化している上に、万が一、火災が発生した場合、たったの7分で屋根から崩壊するという判断がくだされたとか。恐ろしい〜〜〜。

  急なことなので、いったいどんな改修工事をどのようにするのか全く決まっておらず、社員達は一応解雇はないとされてはいるものの、先行き真っ暗状態。完全に何年間か営業停止して工事に専念するか、または営業しながら少しづつ工事を進めるか、でもそうなると10年以上はたっぷりかかりそう。それに噂ではデパートはやめちゃって、高級ブランドのショールームにするとか、オリンピックを決め込んでホテルにするとか、いろいろあって関係者は不安のかたまりでいっぱいの様子です。だいいち、この綺麗な内装だって文化財に指定されてなければ、どうなるか判んない。

  実は...庵主の住んでいるアパートは、建設当時(確か1930年ごろ)はこのサマリテンヌの社員寮として建てられたアパートで、今でも一部そうらしいし、退職者も住んでるみたい。家主はこのサマリテンヌの創始者だったコニャック・ジェイという人の名前のついた財団になっています。デパートだけじゃなく財団はいろいろやってるみたいで。
  この閉店のニュースを聞いて、ん?もしかして余波を受けて経営困難ってことでアパート売却なんてことになったらヤバイなぁなんて不安がよぎらないこともないけど...多分、大丈夫だと思うけど。  

 

セキュリティ

2005.06.14

    夕べ、寝る前にノートンの更新をしようと思ったら、登録名だのパスワードだの探したりなんたりで手間取り、ダウンロードし終わったら2時近くになってしまった。(^^ゞ

    今朝、メール開こうとしたら、アクティヴ化してくださいっつうことで指示通りにしたら、いつまでたってもなんともならず、あきらめてレッスンに出かけ、夕方戻ってから再開。ふ〜〜ッ。お勧めの最強ヴァージョンにしたら、スパムメールを判別するようになったのはいいんだけど、ちゃんと知ってる人からのメールがいくつもひっかかって、あやうく削除しそうに。(^^ゞ その割には相変わらず怪しいメールが堂々と入ってくるのは、判別基準はいったいなんなんだろう?

    先日、レッスンに行ったアパートのエレベーターのところに、「この建物内で泥棒が入りました云々」の貼り紙が。そこは外は暗証コード、中はインターフォンになっているのに、きっと誰かが開けちゃったんでしょうねェ。インターフォンがなってもフランス語が良く判らないから、自分が開けちゃったのかもぉと生徒さんが気にしてましたが...。今日も他のお宅でインターフォンが続けて何度も鳴り、怪しいでした。片っ端から鳴らして留守かどうかを確かめたり、いくら外にコードがあっても誰かの出入りのついでに一緒に入っちゃえばいいんだし。完璧なセキュリティというのは不可能。

    庵主が住んでるアパートも、世帯数が多いからどんな夜中でもしばらく待ってれば中に入れるし、棟毎の入り口は締りが悪いドアもあって、そういうのはコードが役に立ってないしなぁ。でも、ここは泥棒なんかの事件は今までは一度も起きたことがないそうで、人の出入りがあまりにも頻繁で、かえって安全なのかも。

    ↓こんな感じの観光客が多いところは、当然引ったくりやスリが出没します。この写真に写ってる人たちは多分みんな観光客だわぁ。

 

さぶくってェ〜〜。

2005.06.13

今週は結構忙しいですゥ。(~_~;)

   なんか毎年今頃はそうなのだ。と、いうのは、フランスは夏のヴァカンスシーズンを控えて、その前にいろいろ片付けようというシステムになっているので、年度末に当たるわけです。

   あわただしい〜〜。

   庵主はお尻に火が付いてきたというか、個展に向けての制作活動に点火というか。。。気ぜわしい雰囲気。

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   このところお天気はまあまあ良いのですが、気温が低い。(>_<) 先週は早朝に3〜5℃なんて日もあったぐらいで、日中も20度切ってる日が続いてました。6月も半ばになろうというのに、厚いセーターや上着を着て、マフラーするなんて。

   明日は少しマシになるみたいだけど...ど〜なりますか?


   写真は先日のブキニストを河から見たところ。ずら〜っと緑色の箱が並んでます。奥の橋はポンヌフ。ナポレオンのNのマーク付き。

 

無農薬野菜

2005.06.12


   今年の1月初めからイラクで人質になっていたリベラシオン紙の女性記者が、無事に通訳のイラク人男性と共に解放されました。今朝10時半ぐらいに公式に報道されて、19時ちょっと過ぎにフランスに戻ってきました。もう一日、この一件でいっぱい。とにかく無事に解放されてよかったです。

               **************

   今日は月に一度のシャンゼリゼ詣の日。俳句会です。夕べはかなり夜更かしして制作に没頭していて、寝不足でぼ〜〜〜ッ。

   この俳句会で、冬の間から話題にしていた「無農薬野菜」を入手しました。なんでもパリ郊外で日本人が無農薬野菜を栽培していて、お安く分けてくださるとのことで、みんなでまとめて買おうということになっていたのでした。今日がその一回目。小ぶりの大根がいっぱ〜〜い。一人前の量がすごく多かったので他の人と半分にしました。これ以外に間引きした大根の葉っぱとシソの葉はオマケだったので、両方でかなりの量です。 お値段は収穫に合わせてランダムに一人前が5ユーロ。写真は半分の量だから2,50ユーロ相当です。間引きの葉っぱも同じぐらい一杯貰っちゃいました。シソの葉っぱも大きくていい香り。(^_^)v

  今夜は早速葉っぱだけを油揚げと煮ました。自分でブレンドした五穀米(本当は三穀(^^ゞ)とともに、これからモグモグ食べます。明日から結構スケジュール詰まってるので、エネルギー蓄えないと。そして今夜は早く寝られるといいな〜〜。いや、寝ないと持たないぞ〜〜〜。  

 

旧暦の端午

2005.06.11


  先日のオルセーの写真の一件以来、なんだかんだとリヤンにお助けマンしてあげてるので、お礼ということで今夜は彼女にタイ料理をゴチになりました。(^_^)v

  リヤンはずっとタイ料理食べたかったらしく、そして二人で必ず行くうちの近所のタイレストランがお目当て。もう、そういうお誘いはいつでもOK!(笑)

  まずまずお目当て第一番は写真右のタイ風ビーフサラダと庵主は左の焼なすサラダ。ビーフサラダは結構唐辛子効いてます。茄子の方は甘酢ダレなのでこのセットはいい組み合わせ。まさに日本の焼き茄子に鶏のひき肉と海老、にんにくの千切り、フライドオニオン、バジリコたっぷりです。茄子は暖かいまま。他のレストランでは見かけたことない一品です。
  この後、大正海老の香味焼きとタラのバジリコとパイナップル風味に泰米のもち米。またまた私たちはワイン1本あけて、料理はペロリと平らげてしまいました〜。あははは〜〜。今夜はデザートもしっかり。(^^ゞ

  と、しっかり食べながらも、今日は旧暦の5月5日で端午だわ、チマキ食べたいナ〜と、なんだかリヤンは食欲旺盛です。たじたじ。ま、健康な証拠ですね。

  以前はこの時期になると、大手の中華スーパーではレジでチマキをサービスでくれたんだけど、最近見かけないなぁ。  

 

時の記念日

2005.06.10


  小さい頃は、幼稚園とかで6月10日は時計の絵なんか描いたりしましたね〜。

  フランス人は時計持ってない人が多いです。最近は携帯持ってると時間が判るから、余計そんな感じです。おまけに、日本と違ってあちこちに時計がない。たとえばメトロの駅のホーム。時刻表もないし。

  庵主がパリに着いた翌日、横断歩道で信号待ちしていたら、早速フランス人に時間聞かれました。びっくり。だって、見るからに外国人の女の子に当たり前のようにフランス語で話しかけてきて、日本だと考えられないことだったからなぁ。でも、すぐ慣れました。頻繁なんだもの。時間聞くのと、煙草の火を貸してくださいの二つ。三つ目を上げるとすれば煙草ありませんか?だな。爆 さすが、最近は三つ目は浮浪者以外は言ってくる人減りましたね。火のほうはまだいるけど。つまり、煙草は持ってるけどライターもマッチも持ってないという人が多いということです。

  時間を聞くのはいつまでたっても絶えない。街中で交差点なんかには時計があることはあるのですが、動いてないか全く時間があってないことの方が多いので、全然信用できません。こういうところがいかにもフランス的。それをみんな知ってるから、人に聞いちゃうんだな。時間通りにぴったりということはあまりないので、「だいたい時間」ですべて作動しています。(^^ゞ
  

 

ブキニスト

2005.06.09


  行動範囲が普段はかなり決まっている日々で、あまりパリらしい景色をお届けしてません。(^^ゞ でも、この間警視庁に行ったから、ちょっとパリ観光という感じの写真が撮れました。(^_^)v

  その一つに、セーヌ河畔にあるブキニスト。このブキニストというのはもともとは古本屋さんのことで、いつの頃からあるのかな?セーヌ河畔に100人ちょっといるそうです。営業日時なんかは規定がなく、売り物とそれを納めてある箱はブキニスト自身の所有物で、場所はパリ市が無料で提供しているそうです。有料になるとか云う話も聞いたけど、どうなったのかな? そして一人当たりの箱の幅は8mまでと決まっていて、営業してない時は蓋をして鍵をかけてあります。

  本来は古本屋さんだったのだけど、最近は殆ど観光客用のお土産屋さんと化していてびっくり。ちょっと前までは、結構掘り出しものあったんですよ〜。1700〜1800年代の本なんかよく見かけたもの。今でももちろん申し訳程度に古本がありますが、やはり絵葉書、ポスターやごちゃごちゃしたパリ土産が目だってますね。

  セーヌ河畔といってもすべてではなく、やはりノートルダム付近の中心が一等地。これは人通りも多い橋の袂だの大きな交差点付近だののいい場所で、持ち主が亡くなったり廃業したりすると、営業暦の長い人の順にその場所が譲られるシステムらしい。何でも場所には3段階あるんですって。

  割のいい商売じゃないにもかかわらず、その日の天気でも左右されるのに、ブキニストの待機リストは結構いっぱいらしいです。のんびり、好きな時に自由に営業できるというのが魅力なんでしょうねェ。だいたいブキニストは椅子に座って煙草だのパイプだのの煙をくゆらせながら、新聞読んで日向ぼっこしてて、その片手間に本だのなんだの売ってるみたいに見えます。(笑)写真右のおばあさんが、まさにそう。

 

最近少なくなった。。。

2005.06.08


   フランスはケーキ類の包装の仕方が独特なのですが、最近は気取って箱になったりして、そういえば、最近以前ほど見かけなくなったなぁなんて思ってました。

   それが、今日、うちの近所の「パリ一バゲットがおいしい」と数年前に評されたパン屋さんで美味しそうだったのでリンゴとイチゴのタルト風のお菓子を買ったのです。パンを買いに行って、ついつい買っちゃった。どうも近頃、レッスン先でお菓子が出たりして、糖分の摂取が増加してます。いかん、いかん。

   ま、それはそれで。

   なんか嬉しかったのは、包みが昔風だったのだ!この写真見てください。厚紙の台紙にお菓子を並べて、包装紙で三角の山型に包むのです。本来は、さらにこれにうまいこと紐かけて、てっぺんに指がかけられるようにワッカを作って結ぶのですが、今日はパンも買ってて袋に入れてくれたので、紐がなかったけど。

   そして中のお菓子、リンゴのはさくさくのパイ生地の上にリンゴ半分を形のまま薄い輪切りにして重ねて焼いてあり、無駄に甘くなくてさっぱりでおいちい〜〜〜。イチゴの方は土台がこれまた軽いサブレ状で、イチゴたっぷりで余計な味が加わってなくてなかなか。土台は両方甲乙付けがたし、でも軍配は総合点だとリンゴとなりました。

   このお店、以前から順繰りに日本人女性が働いてます。お店からパン焼いてるところが丸見えになってるので、フランス人に混じって一生懸命働いてるのが見えるのです。時々焼きあがったものを店頭に並べてたり、手がすいてる時は売り子さんしたり。今日はレジにいました。注文受けてくれたのはフランス人だったのですが、たまたまレジにいたのが日本人だったのです。いきなり、「〜ユーロでございます」なんて言われちゃって、ポッカ〜〜ンとしてしまった。(^^ゞ
「え゛ッ?!...。ああ゛ぁぁ〜〜。はい。」みたいな感じ。
それでお金出したり、最後にお店出るときも、庵主はずっとフランス語だったりして。

   慣れてないシチュエーションでいきなり日本語だと、相手の言ってることはもちろん判るんだけど、どうしても口から日本語が出てこないんです。フランスの普通のパン屋さんで日本語で買い物するなんて、経験したことないから。(笑) いつだったか、有名なチョコ屋さんでも、日本人店員がいるようになってから買い物しづらくなっちゃった。そこのチョコが急に違うものになっちゃった気がするしなぁ。(^^ゞ 今、日本にも支店があるような有名なフランスのお菓子屋さんなんかには、まるで免税店のように日本人店員がだいたいいるんです。お客さんも日本人ばっかりだったりして。(笑)

   今日のパン屋さんにいる人、いつもすごく若い女の子で、きっとパンとかお菓子の修行に来てるんだろうな。今度はビックリせずに、いろいろお話してみようかしらぁ。   

 

日本三大仇討ち

2005.06.07


  今日は警視庁に行ってきました。別に悪いことしたり、されたりじゃな〜〜い。(笑) ほら、滞在許可証の更新の件です。更新申請書類を送ったら1ヶ月後にいつでも取りに来てください、ということで、あれからひと月たったので半信半疑で行ってみたのでした。結果、まだできてませ〜〜ん、3週間後に出直してくださいなぁだってェ。ひと月で出来上がってたのは最初のうちだけなんだなぁ。ここはフランスだ!(笑)
  今回びっくりだったのは、今まではものすごい人で溢れ返っている滞在証受け渡し室にだぁれもいなかったのです。場所間違えたかと思ったほど。人が溢れてないと応対も親切だしな。お天気も良かったので写真撮っちゃいましたぁ。奥がノートルダム寺院でその向いに位置する河沿いの建物がパリ警視庁です。プラタナスが繁っててよく見えないし、手前にはバスが...(^^ゞ

              ************

  さてさて、今日の御題の「日本の三大仇討ち」。みなさん、言えるでしょうか?一つは絶対誰でも答えられると思う「忠臣蔵」ですが、あとの二つは? 最近はマイナー気味ですが、助太刀だった荒木又衛門の36人斬りが有名な伊賀越鍵屋の辻の決闘(たまに時代劇に出てきます)、そして「曽我兄弟の仇討ち」なのです。

  この「曽我兄弟の仇討ち」、ざっとどんな話かというと、平安末期に起こった同族間での領地争いがもとで、曽我兄弟の父にあたる河津祐泰(かわずすけやす)が工藤祐経(くどうすけつね)に殺されてしまいます。後年成人した兄弟が曽我十郎祐成(じゅうろうすけなり)と曽我五郎時致(ごろうときむね)となって、富士の裾野で行われた源頼朝主催の巻き狩りの夜、親の敵、工藤祐経を討ち果たしたというものです。 ま、ほかにもごちゃごちゃあるんだけど、ざっとこんな具合。

  で、見事に仇を討ったものの、周囲は頼朝を狙ったものと勘違いしたとか、兄弟も勢いでそれを考えなくもなかったとか、話は面白いのですが、兄十郎はその場で討ち死に、弟は頼朝勢に捕らえられその後斬首ということに。

  なんでもこの「曽我兄弟もの」は江戸時代にかなりブレークしていたそうで、そんな関係もあって歌舞伎の演目に「実は曽我兄弟」というストーリーが結構あるのです。あの「助六」も実は曽我五郎という設定。吉原に身を隠して親の仇を狙う機会を待っているということですねェ。ブレークの原因は、おそらく「判官びいき」の日本人の琴線に触れたということか。曽我兄弟は仇討ちの際に十郎22歳、五郎20歳という若さだったのです。そんなわけで若い二人への同情から多くの伝説を生んだわけです。

  その伝説の一つが「虎御前」の涙。彼女はやはり絶世の美女ということになっております。そうじゃないと話が面白くないもんねェ。で、虎御前は二人の死後、菩提を弔うために出家したそうです。17歳ですって。

 

水もしたたる。。。。

2005.06.06

6月6日に雨ざぁざぁ降ってきて♪

お絵かき歌「可愛いコックさん」ですが。。。今日はパリは朝からずっと五月雨(さみだれ)ております。

   いきなり暗ぁくなったりして、まさに「五月闇」。この「さつきやみ」とは梅雨の時分の暗雲の垂れている様子をいいます。

   先日、Kingyoさんが「美人の日本語」という本を入手し、毎日にあわせて言葉が選ばれているというもの。誕生石だの花だののように誕生日に「言葉」ということで、庵主のを教えてくれました。それが「五月雨」 (さみだれ)でした。この書はKingyoさんが書いてくださったもの。めるし〜〜。(^_^)v

   「五月雨」とは五月と書きますが陰暦の五月の長雨、つまり梅雨のこと。なんでこれを「さみだれ」と読むかというと、俳句歳時記によると「さつき」の「さ」と「水垂れ(みだれ)」を結んで「さみだれ」となったらしい。古今集以来の稚語。じめじめと降る雨のことです。もう、まさに今日はコレだわ。

   「五月雨をあつめて早し最上川」芭蕉
これは高校の時、「奥の細道」でみなさん習いましたね〜〜。(~_~;)
    
   ついでに、「五月晴れ」という言葉も、本当は梅雨の時期の晴れ間のことなんです。今は五月の晴れ渡った気持ち良いことを言いますが...。

   さらに、庵主の誕生日である5月28日に降る雨は、「虎が雨」とか「虎が涙雨」といい、俳句では季語になっています。陰暦のこの日は、曾我十郎・五郎の兄弟が敵討ちを果たした日なのですが、兄の十郎はその際に討ち死にしています。十郎の愛人であった大磯の遊女「虎御前」がその死を悼んで流した涙が雨となって降ったという伝説によるもの。名前からして強そうな女性ですが、号泣したんでしょうか。。。

   28日、パリではちょっと雨降ったかな?
  
   そいうことで(どういうことか?笑)、庵主は水もしたたるいい女、っつうことでございました〜〜〜。爆 

 

オリンピックの顔と顔♪またまた

2005.06.05


   なんか今回は今までになく力いれてます。もちろんお金もかかってる。(笑)

   どうしても2012年はパリでオリンピックを開催したいんですな。

   先日はプロモーションフィルムの撮影に使われたシャンゼリゼ。今日はまたまた候補地最終選考会にアピールするため、世界に誇るシャンゼリゼをスポーツ祭典の地に改造してしまいました〜〜。

   8,000u相当の陸上競技用トラック
   総面積1万uの運動場
   ヨットやカヌーカヤック用の500㎥の水槽
   200uのプール
   1,250uの馬術場
   2,500u相当のテント

などなど。
それに2,500人動員されたとか。

このために夕べの8時から明日の朝6時までシャンゼリゼは通行止めです。(^^ゞ
   

このイベントにオリンピック選手達がこぞって参加し、デモンストレーションを一日中やっていたそうな。

俳句会、来週の日曜でよかった。ほッ。

 

干しぶどう騒動

2005.06.04


   ↑はオルセー美術館の時計から見えるサクレクール寺院。ちょうど正面に見えました。この丸い黒いのは文字盤の分表示です。


   今日は一日籠もって仕事。アトリエの作品展用の1作目の仕上げが半端になっているのだけど、2作目の構造に先に取り掛かったり、7月頭の「みんなのセルロイド展VOL.2」用のカードのデザインしたり。今度のセルロイド展はセルロイドハウス横浜館で7/1〜7/3に開催されます。

   本当は途中で本屋さんにでも散歩がてら出かけて、デュマの新作を覗いてこようなんて思ってたけれど、気付いたら7時をとっくに過ぎてました。(^^ゞ 日が長いから何かに熱中するとこううことに。

   そこで、先日自然食品屋さんで買ったレーズンでも食べようかと、袋から出して容器に入れ替えて、蓋をしようとした弾みに...
ありゃ〜〜〜。ばら撒いちゃった。全部じゃないですけどね。なんかこういうの、すごくショック。細かなレーズンがかなり勢い良く飛び散っていて、一個づつ拾ってたら益々気分が落ち込みました。なんか仕事の気分の腰を折られちゃった感じ。

   このレーズンは濃厚な味で大好きなんです。すごく小さい頃は干しぶどうさえあればみたいな時期もあったんだけど、このところとんとご無沙汰でした。最近、時々、自然食のレーズンが計り売りなので、少量づつこまめに買ってます。フランスでは人参のサラダと組み合わせることが多いですねェ。

   でもぉ、なんか今日は食べててもイマイチ。

   こういうことって、ありませんか?

 

やっぱり毒殺?

2005.06.03


ナポレオンのお話。

   つい先ごろも、スイスの病理学者がナポレオンの死因は毒殺にあらず、胃がんであると発表したばかりですが、今回はやっぱり毒殺だ!とのこと。

   ず〜っと、毒殺か胃がんか?で意見が分かれてますが、ナポレオンというと手を胃にあてている肖像画が有名で、あれは胃の具合が悪いから始終胃の辺りを触っていたんだという説までも。

   今回は国際ナポレオン協会が、アルザスの学者による調査の結果、遺髪からかなり高濃度の砒素が検出され、その濃度は殺鼠剤に匹敵するという説を発表。

   先のスイスの学者は、砒素の検出は、昔、ワインの樽の洗浄に砒素を使う習慣があったのと、ナポレオンが大のワイン好きだったことが原因との見解でしたが、今回は髪の毛の表面だけでなく、中の組織まで綿密に検査した結果で、なんらかの形で摂取されて血液から髪の毛に砒素が回ったという説に。それに、人が言うほどナポレオンはワイン好きじゃなくて、飲んでもせいぜい一日一杯、それも水に薄めて飲んでたっていうのだ。(^^ゞ

   イギリスによる陰謀説とか、いつまでもいろいろと話題を振りまいて、やっぱり「ナポレオン」なんだなぁ。

   ナポレオンついでに、今日、デュマの未完の小説が、研究家によって加筆されて刊行、出版となりました。ちょうどナポレオンの時代のサンテルミンヌというナイトの数奇な運命の物語で、1000ページにも及ぶ大作。デュマが亡くなる前の1869年に、雑誌に不定期に連載されていたもので、未完のままマイクロフィルムで国立図書館に保存されていたもので、今回、初めて一冊の本として陽の目を見た次第。なんでも「モンテ・クリスト伯」より前に構想は練られていたそうです。

   世界中から翻訳権の申し出が殺到しているらしい。なんか面白そう〜。明日にでも本屋さんで覗いてみようかなぁ。

 

オルセー

2005.06.02


   せっかく久しぶりに行ったのだし、ちょっとオルセー美術館のことでも書くべェか。

   いったいパリ市内のどこにあるかというと、セーヌ河を挟んでルーブルのほぼ向かい側、左岸にあります。

   ここはもともとは駅だったのだ。1900年のパリ万博に合わせて、それまで大いに利用されていたオーステルリッツ駅が少しパリの東寄りで不便だということから、中心部に大きな駅をこしらえることに。完成は1900年7月。それから1939年まで主に南西方面への列車の発着と駅のホテルとして大活躍だったのですが、汽車の電化に伴って車両が長くなり、この駅は使えなくなったのでした。皮肉なことに辺鄙なところなんて嫌われてたオーステルリッツ駅は今でもきちんと生きてます。(^^ゞ


   ちょっと無用の長物になってしまった駅舎は、第二次大戦中の占領下では、捕虜のための荷物発送所やパリ解放の際は捕虜収容所になったり、さらにいろんな映画の撮影にも利用されています。73年に閉鎖されるまでは、一時期、ジャンルイ・バローとマドレーヌ・ルノーの劇団がココを根城にしていました。バローが能や狂言に造詣も深かったため、能のパリ公演も一度ここでやったことがあります。庵主がパリに来る前ですがねェ。

   閉鎖後はココ全体を文化財に指定して、印象派などの19世紀後半の美術館として再スタートすることになり、1986年12月にオルセー美術館として生まれ変わったのです。

   駅だった内装をかなりうまいこと工夫して改修し、骨組みと展示品が同時代なので悪くない仕上がりです。
毎年平均250〜260万人ぐらい入場者があるそうな。ここのレストランは昔ホテルだった部分なので天井画や装飾が豪華だし、最上階のカフェはガラスの文字盤の大時計から外が見えて、自然の光を取り入れてなかなかいい雰囲気だし、そこから外のテラスにも出られます。   

 

危ない水曜日

2005.06.01

   確か、アトリエに行く道すがらだったから、爆弾騒ぎはちょうど先週の水曜日だったなぁ。

   今日は朝からまた何やらうちの前の通りで騒ぎが。道が車道も歩道も閉鎖されてました。最初は事故かな?と思ったのは、CIRCULATIONシルキュラシオンと書かれたポリスの車が止っていたので、これは交通関係。でも事故車は見当たらない。爆弾処理班もいないし。

   お巡りさんに誘導されてまだ開店前のショッピングセンターの中を通ってイタリー広場のメトロへ。ここにもポリスがいっぱい。でもメトロは開いてました。

   そして午前中のレッスンを終え、リヤンの家に例のCDを届けて午後1時半ぐらいに戻ってきたら、またまたあやしい雰囲気。え゛〜?何が起こったんだろう?隣の通りも閉鎖されちゃってる。どうやっておうちに帰るのよぉ?と、その辺にいた女性に聞いたら、アパートに立てこもって通行人や車を無差別に銃で狙ってる人がいるんだって、と。ほぉ〜〜〜。それで時間かかってるんだな。かなり迂回させられて家にたどり着く前に、近所の新聞や煙草を売ってるお店に寄ってオバサンに何があったのか聞きました。今朝はそのお店には立寄れない状態だったから、事情を知ってるだろうと確信していたのだ。なんでもちょっとオカシイ人がすぐそこの高層アパートに立てこもって...ということでした。
   
   家に戻ってラジオ付けたけど、今日は新内閣発足のニュースで持ちきり。ネットでやっと関連記事を見つけたところ、ほぼ道すがら人から聞いた話でした。

   少し精神障害のある38歳の男性が、最近母親を亡くしてタガがはずれちゃったらしい。高層アパートの20階の自宅からモノを投げたりして、また、銃を所持しているとのことで何が起こるか判らず、とりあえず周囲の道路を閉鎖して安全体制をはかったとのこと。夕方にはなんとか無事に解決したようです。しっかり確認に行った庵主。(^^ゞ

   なんかここんとこ水曜日は危ない。

               *************

   夕方外に様子をチェックしに行ったのは、実はまだ事態が続行中であれば写真撮ろうかなんて思ったのでした。でも、もういつもの賑やかな大通りに戻ってました。(^^ゞ

   ↓オルセーのテラスからセーヌを挟んでお向いのルーヴル美術館。

 


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