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2004年09月の鵞毛庵日記

モンマルトルの葡萄畑

2004.09.30


   実は先週の22日(水)はパリのモンマルトルの丘にある葡萄畑の収穫でした。そろそろだなぁ〜なんて気にはしてたのですが、もう済んでました。(^^ゞ

   この葡萄畑、広さは約1500uで、2002年は1762株収穫してブドウ酒にして805本分(だいたい402,5Lですって!!)できたそうです。この葡萄畑の歴史は意外に古くて、紀元944年にまで遡ることができますが、途絶えてしまったのを1934年に復活。途中20世紀の初頭の数年収穫がありませんでしたが、それ以外はずっと続けられています。

   「Clos Montmartre 2003」(銘柄クロ・モンマルトル2003)は、モンマルトル産と別のモン・ヴァントゥというところの葡萄との掛け合わせです。と、いうのは、2003年5月に雹(ひょう)の被害にあって、危ういところだったのをあちこちの葡萄園から援助の手が差し伸べられたそうです。もう、フランス人って、ワインのことになるとすぐこうなんだ。(爆)

   ここの葡萄で作られたワインなどの売り上げの総額は、モンマルトルがあるパリ18区の社会福祉事業に寄付されます。このワインは10月頭(今年は8〜10日)に行われるモンマルトルのワイン祭で購入できるとか。値段はあってなきが如くかと...飲んだことな〜〜い。

   写真はちょっと拝借してしまいました〜〜。今度モンマルトル行ったら葡萄畑の写真撮るつもりだったんですが、この間行った時は丘の反対側だったし、なかなか機会がなくてェ。

 

ミッキーマウス危うし!!

2004.09.29

今日のフランスのニュースから。

   タバコが課税されて散々値上がった話は以前に書きましたが、そのせいで近隣諸国に買出しに行く人が絶えないとか。ま、そうだろ〜な。
   今までは欧州ではイギリスがメチャクチャ高かったのですが、今や、フランスも負けず劣らずに。そこに持ってくると、スペインだのベルギーやリュクサンブール公国なんかは、ぐゥんとお安いらしい。なんせ地続きですからね、ひょいと国境をまたげばいいので、お安い国に近接している地方では、43〜45%タバコ屋さんの売り上げが落ちているらしい。それで、今日はそういった被害をこうむっているタバコ屋さんたちが、政府に対して実情を訴えて云々。差しあたって一人当たりの購入量の許容範囲の削減からといったところでうかねェ。個人の消費のためだけだったら、そう問題にもならないのですが、ホレ、こういうルートを使って商売ということになると、大問題なのですよ。アタリマエダノクラッカ〜!! こういう問題はタバコに限ったことではないのですが、ユーロになって国によって違う物価が目立っちゃったというわけですな。

    そしてお次がディズニーランド。パリのディズニーランドは大赤字で負債を山のように抱えているのです。まづ、この手のアトラクションやテーマパークって欧州人の気質に合わない。いたってアメリカンなのです。あと、夏場はいいけど、冬場は寒くて外に長いこと並んでなんかいられない。リピーターも少ないらしい。だから、始終目新しくしていかないとお客さんが来ない。でも、それにはお金がかかる。と、ま、こ〜いうわけです。でも、出資のメドが立ち、なんとか改革して乗り切るらしく、来年には新しいスペースマウンテンができるんだと。パリのスペースマウンテンは、お国柄なんでしょうねェ、ジュール・ヴェルヌの月旅行風で普通のとは違うんです。

    相変わらず曇っていて、名月はからっきし。つまんないなぁ〜〜。ベルシーの公園でススキっぽいのを見つけたので。

 

うえ〜〜〜ん(T_T) お月さん、どこいったァ〜〜〜。

2004.09.28


   朝からばっちり曇っている巴里でございます。ぐすッ。十五夜お月様、いません。

   昨日リヤンから電話があり、本当は彼女の誕生日と、中秋の名月と、秋の蟹食い合戦を合わせてやろうと言っていたのですが、彼女はアンティックのビエンナーレ中でちょっと忙しい上に、どうせ曇っててお月様は拝めないから、週末に延期にしようということに。月餅は台湾の骨董商がお土産に持ってきたのがあるからね〜って。たのちみィ〜。

   毎年、秋になるとリヤンがうちの近所じゃない方の、もうひとつの中華街で蟹を買ってきて、蒸したのをふたりでむしゃむしゃ食べるのですが、ここ2年は種々の事情で行われずでした。この季節、いわゆる「上海蟹」のおいしい時期。それに合わせての庵主とリヤンの年中行事なのです。笑 ま、これはまた、今度食べた時に日記に書こうっと。

   で、本日は雲っていても十五夜です。先日購入した月餅。今年は初めて缶入りを買いました!!なんとなく、この中華っぽい四角い缶が欲しかったのだ。(笑)これは4個入り。お使い物の予定があったのでちょうどよかったのです。ふふふ。これは甘い月餅。塩卵の黄身も入っていない、比較的食べやすいのにしました。五香って書いてあるけど、冬瓜の砂糖漬け、陳皮、アーモンドスライスの3色。中国では日頃お世話になっている人や親戚などに進物にするというので、ま、日本のお中元やお歳暮の感覚ですね。毎年、何個売れたとか中国、台湾あたりではニュースになるほど。だから綺麗な化粧箱入りで、これを買うとちゃんと同じ柄の綺麗な手提げ袋に入れてくれるのです。なんか得しちゃった感じ。写真のがその缶と月餅、そして東京で見つけたウサギちゃん。(これはストラップになってるのですよ。)

   もともと中国では収穫祭のようなものだったので、月餅の中身はそれに因んだものが入っていたようです。五穀豊穣っていうところですね。それから、中国にもお月様にはウサギが住んでいるのですが、日本のようにお餅はついてません。不老長寿などの薬を煎じているそうです。月ウサギのお話は古くは遠くインドの神話が発祥といわれており、それは、他の動物達がせっせと美味しい食べ物を神様に運んだのに、ウサギは何もできなかったので、せめて私の身を食べてくださいと焚き火に身を投じたというお話。これもいっぱいバージョンがあります。中には薬草を抱えて火に飛び込んだというのもあって、それから月で不老長寿の薬を煎じているというもとに。

   そして中国では、缶の図柄にもなっている仙女の伝説も。これはある時、そらに10個も太陽があったので、人々が暑すぎて苦しんでいたところ、不要な9個を射落とした男がおりました。この勇敢な行為に対して天の神様から不死の薬を賜ったのですが、男が不在の折に、家に薬を狙った強盗が入りました。薬のありかを白状するように脅かされた男の妻は、渡してはならぬとその薬を一気に飲むと...身体が軽くなって月に昇っていったのでした。男はそれを嘆き悲しんだけれども、毎年、中秋になると妻を偲んで月を祀ったといわれています。

   他にもた〜くさん、月ウサギやら月見に関する説話、伝説があります。ヨーロッパでは女性の横顔だの蟹だのって言われてるようですが、アジアほど話の種にもなりません。こういうところが、なんか情緒のない民族なんだわ。

 

週明けもしっかり曇り空

2004.09.27

   今週からやっとカリグラフィーのアトリエのスクリプシットが再開。夏休みが長いんです!!(笑) 午後一番で不足している道具やインクを買いに。以前に紹介したアトリエ自家製の商品で、余所では売っていないのです。月餅と日本で買った水彩画用の水筆というのをお土産に。この水筆は、筆ペンのインクなしで、カートリッジの部分に水を入れて、本来は水彩色鉛筆のぼかしなどに使うものなのです。しかァし、それを水の変わりに水彩絵具を入れて筆ペンとして使っちゃおうという魂胆。7月のスタージュの時に話題になって、東京で仕入れて来たのでした。フランスで入手は可能らしいのですが、卸値が日本での市販価格以上で高すぎるとか。

    スクリプシットはバスティーユの近くなのですが、家具や工芸品の問屋街だったところ。だったというか、今でもまだあります。古い建物もいっぱい残っている界隈。そこで、今日はアトリエのすぐ前のパン屋さんをパチリ。この店構えは昔ながらです。ちょっと前まではこういうお店があちこちにありましたが、段々減ってます。ものによっては外側の装飾が文化財に指定されてたりするので、その場合は外はそのまま残して、洋服のブティックに替わっていたりなんてことが。

    装飾の図柄はお店の商品に関連していて、パン屋さんは麦畑だの麦に関するものや、パン職人の様子とかが描かれていることが多いです。ここも、そう。例えばチーズ屋さんだと乳牛や牧場だとか、肉屋さんなら豚や牛や羊とかといった具合。

    ここのクロワッサンは結構おおぶりで、まあまあ。時々週末のスタージュとかする時に、朝ごはんに買ってきて食べたりしてます。それからじゃなきゃ、みんなスタートしない?!

 

どっから入るの?

2004.09.26


  ちょっと曇りがちの日が続いていて、十五夜が心配。昼間は晴れてても、夜になると雲ってます。お月さん、お月さん、何処行ったァ〜〜。

  去年は今頃はとってもいいお天気で、でも肝心な十五夜はダメだったのだ。できれば今年も四角いパリのお月様をお見せできれば、なんて思ってるのですが。え?四角い??なぁ〜〜んちゃって。爆!! ちゃんと日本で見るのとおんなじで丸いですよォ〜〜。 

         ***********
  いつも散歩やらプールに行くたびに不思議に思っているのが写真の館。例の凧揚げのおじさんの壁画の並びなのですが。ちょっと洒落た造りなんです。タイル焼きの飾りが付います。写真じゃ判りづらいかな?窓の上とかのブルーの部分。お花の模様がレリーフになっています。

  しかし、この家、どっから入るのかなぁ?この道に面したところはずっと壁になっていて入り口がないし、庭に通じる階段もない。反対側は他の建物の裏側にあたっているのです。多分そっちの道に入り口があるのだと思うけれど...明日にでも探検してみよっと。 あ、秘密の地下の入り口とか....(笑)

 

悲しみよ.....さようなら(T_T)/~~~

2004.09.25

フランソワーズ・サガンが69歳で亡くなった。

日本でもその著書がたくさん訳されているのでご存知の方が多いでしょう。っていっても、最近はそうでもないかな?

じゃ、「悲しみよこんにちは」とか「ブラームスはお好き?」とかの小説や映画の方が馴染みがあるかな?

う〜ん、でも若い世代はあんまりしらないかなァ?庵主ぐらいの世代以上の方々は、ま、ご存知でしょう。

   現代のフランスの女流作家です。1954年、18歳の時に書いた処女作「悲しみよこんにちは」が世界にセンセーションを巻き起こし、22ヶ国語に翻訳されて、もちろん日本語にも。朝吹登水子さんが訳しています。そしてその小説が映画化(1957年)された時、主人公の少女の役を演じたのが、あのジーン・セバーグ。その少女の名前がセシル。そうですね〜、セシルカットのセシルです。この話は父親の再婚相手を、父親の愛人(笑!)を利用して娘が追い出そうとするというもの。当時のモラリストの常識を覆した作品。ま、当時としては17歳の少女が嫉妬心やら小悪魔的な大胆な行動やらで、大人を振り回すというのはかなり刺激的だったのでしょう。この手の話は今のフランスじゃ珍しくないんですがねェ。これに限らず、サガンの小説は恋愛を軸とした小説が主流。「ブラームスがお好き?」は「さよならをもう一度」という邦題で1961年に映画化され、バーグマン、モンタンにアンソニー・パーキンス。年上の大人の女性とその恋人、彼女に恋する青年の話。

   処女作の小説の中のセシルに負けず劣らずのサガンは、酒、ドラッグ、車、賭け事に浸りきった人生で、クスリやら脱税やらで何度も御用になって有罪判決も食らっています。でも、亡きミッテラン大統領との深い親交は有名。作家として華々しいスタートを18歳で経験し、世界中にその名が知られて現代フランス文学の代表になっているけれど、実は有名な大きな文学賞は一度もご縁がなかったのです。その内容があまりにも文学界や世間に媚びることのない作風で、それが理由だったとか。

   写真は上が最近のサガン、下がセシルカットのジーン・セバーグ。ゴダールの「勝手にしやがれ」でもベルモンドとこの髪型で共演。彼女はこのスタイルから脱するのが結局難しいままだったのですよね。

 

きな粉味がつぶれるの巻

2004.09.24


   さてさて、お彼岸であちこちで話題になっている「おはぎ」。今年は自分で作らずに買ってきましたァ。日本食の食品店兼お惣菜屋さんがオペラ近くにあって、そこに用事の帰りに寄ったのです。思ったより遅くなってしまったので、売り切れちゃったかなぁなんて心配したのですが、大丈夫でした。

   きな粉は持って帰る途中ですこし変形しちゃったので、すでにお腹の中にしまい込んだ庵主。(笑)写真のは明日食べます。ふふふ。うっかりするとゴジラに狙われてるな....緑のは「うぐいす餡」ではなくて、抹茶味だそうです。黒胡麻は品切れでした。

   なぜ「きな粉」のは変形してしまったか?

   実は、帰りのメトロでスリ騒ぎがありました。庵主はドアの近くの席に座っていたのですが、ある駅でドアが閉まりかけた時に飛び込んできた地中海または中近東系の男と「おれの財布を返せ〜〜」と追っかけて飛び込んできた東洋人。スリとおぼしき男は、のんびり庵主の目の前で盗り立てホヤホヤの黒い巾着を開けて中身を詮議しているところ。それをひったくって取り戻した日本人じゃない東洋人。スリ、車中を逃げる。「みなさ〜〜ん、コイツは泥棒ですよ〜〜」と追っかける被害者。と、ま、庵主の目の前でこの顛末。

   あわてて持ち物をぎゅっと身に寄せた際に、あわれ「きな粉ちゃん」は変形しました。(T_T) 

   スリは被害者に「警察沙汰にするぜ!このやろ〜〜」みたいな感じに脅かされて、(って悪いヤツだから当たり前だ!)盗ったものをみんな返して次の次ぐらいの駅でようやく解放された模様。きっと、この被害者はお金持ってる日本人と間違われちゃったのかしらァ?などと思いつつ、日本人じゃ、こんなに騒ぐ度胸ないわなぁなんて。周囲の乗客もびっくりしてキョロキョロ。カラテチョップが出るのを期待していたかも。な〜んちゃって。(笑) で、何を盗られたって、どうやらお財布じゃなく、ガムなんかの雑貨を入れてあったただの小さな巾着。も〜〜ドン臭いスリだな。そして中身はどうであれ、きっちり執念深い東洋人なのでした。


   さて、おはぎも無事ゲット、次は中秋の月餅だァ〜〜〜〜〜!!(爆)

 

彼岸前からめっきり涼しい巴里

2004.09.23

去年は急におはぎが食べたくなって、せっせと作っておはぎじゃない牡丹餅になっちゃったのだった。笑

今年は...買ってこようと思っています。明日、売っているはずのお店の近くに行くので。。。密かに期待しているのだ。

なんか雨模様の巴里。すっかり冷え込んできました。1日中、お籠もりで試作品を制作。いや〜、根詰めてまた首凝っちゃったな〜〜。手も冷たくなっちゃうしィ。数日前から始めていた装飾文字をいろいろデザインして、細かな絵を考えたり描いたり。今日の図柄は和風。これのフランスバージョンがなかなか揃わないのだ。ほんの、ちらっとだけお見せします。

去年の今頃はまだ程よく暑かったみたい。日記のバックナンバーをチェックしてみました。そして、9月23日はなにやらネットの具合が悪かったのだ。そうそう。電話の向こうのオニイサンに悪態をついていた庵主でした。(^^ゞ

 

あわやトドと衝突。

2004.09.22

  すっかり初秋の巴里です。曇りがちで家で仕事していると、手足が冷える季節となりました。

  朝がねェ、なかなか明るくならないのだ。このところ夜更かしモードになっていて、余計に朝の目覚めがとんでもないことになっています。(笑)どうも悪い癖で、仕事が乗ってくると時間が関係なくなっちゃうのだ。特に今週はレッスンがぜんぜんないので、朝から出かけなきゃ!という訳じゃなく、いけません。反省。そのせいで、時間がずれてプールが数日間遠のいておりました。またまた反省。

  先週はお昼頃なんか空いてるだろうと思ってプールに行ったら、例のトドの大群だったので、今日は少しだけ時間をずらしてみたら、うっひょ〜〜〜。空いてた。(^_^)v 気持ちいいんですよね、人の少ないプールって。10人ぐらいしか泳いでなくて、ばちゃばちゃ遊んでる迷惑なのはいないし。

  今日はみとれちゃうようなカッコイイオニイサンいませんでしたが、本物のトドが泳いでいた。(爆)この間もいたな、この人。オジサンなんです。赤茶色のひげがたっぷりしてて、ゆっくりゆっくりクロールで泳いでるんだけど、トド体型。体が水をかく度にくるくる反転しながら泳いでます。浮いちゃうのかなぁ。先回は違うレーンで泳いでいたので気付かなかったけど、今日は斜め前を泳いでて、それもいきなりゆっくり弧を描いてターンし始めて、おいおい、ぶつかっちゃうよ〜〜、と必死になって逃げた庵主。(笑)でもなんか憎めない風貌のトドさんでした。

   ゆっくりたくさん泳げて気持ちよかった〜〜。

   写真はプールを出たところでパチリ。目の前はちょっと高台の公園。その向こうに、いつか日記で紹介した「釣りだか凧揚げだかしてるおじさん」の壁画。マロニエの葉っぱが茶色くなってきて、実がそろそろ落ちてきそうです。 

 

今宵も巴里の地下には誰かがうごめく

2004.09.21

   掲示板に文さんが面白い情報を。そうしたら流れ星さんも自身の日記で取り上げていたなんて!!

   パリの地下に秘密結社?ふふふ。今回はなんだかバーまで設置されてる映画館だったとか。スゴイですね〜。なんかワクワクしちゃうな。

   レ・ミゼラブルにも出てきますが、あのジャン・バルジャンが逃げ込むパリの地下下水道。地上の道と同様に、きちんと道の名前や番地も付いています。一部は見学できるようになっていて、いつかは行って見たいと思っている庵主。
 
   パリの地下は実は穴ぼこだらけなのです。大昔は石灰岩の石切り場もあったし、下水が発達しているし、メトロは走ってるし。カタコンブもあるし。さらに大概のアパートにはカーヴという地下の倉庫があります。庵主なんか普段は必要ないものを放り込んだまんまだなァ。ひんやりしてて、ちょっと湿気があって、まさにワインを置いておくのに最適です。

   だけど、パリの地下社会というのは、今まで映画になったりなんたりで、本当にあるんですよね〜。85年制作のリュック・ベソンの映画に「SUBWAY」というのがあるのですが、これはパリの地下鉄に住む男(ハイランダーのクリストフ・ランベール)とハイソな若い人妻(イザベル・アジャーニ)の奇妙なお話。なんか訳のわかんないストーリーなのですが、パリの地下で生活している変な人がいっぱい出てくるのです。ああ、こういう人たちが本当にいるから、こんな映画を思いついたんだろうなァなんて。

   パリ市内にヴォージュ広場というのがあるのですが、バスティーユにもすぐ近く。そこは革命までは王様の広場と呼ばれていて、王室の館があったのです。革命の時にそこの地下道を使って王様は近所の修道院に抜けて、一時逃げ延びたらしい。その修道院は現在は消防署(笑)になっていて、カーヴは単に物置なんだそうですが、最近になって、一度、その修道院関係のシスターが事情を説明して地下道を見学させてもらったということでした。その話をその広場で聞いたとき、あそこから、ココを通って、あっちに抜けて、なんて聞かされて、興味しんしんで足がむずむずしちゃいましたね〜。   

 

メトロは時代の最先端

2004.09.20


今日は久しぶりに古巣のパレ・ロワイヤルへ。

   なぜ古巣かというと、この界隈で庵主は20年以上仕事し、途中10年ちょっと住んでいたりしたのだ。ルーヴル美術館のすぐ目の前でオペラ座にもすぐ。そう、日本人街ともいわれる界隈です。目をつむっていても歩けるところなのだ。

   写真は、ぬァんと、パレ・ロワイヤルのメトロの出入り口です。(ルーヴル美術館にお出での方はここで下車です。笑)ここは、もともとはいつかご紹介したギマール作の文化財に指定されているアール・ヌーヴォースタイルの出入り口だったのですが、パリのメトロ100周年を記念して、こんなものに替わってしまったのです!

   この駅のあちこちを修理し始めて、やがてこの元の入り口にも覆いができ、庵主をはじめ多くの人がギマールのを修復していると思っておりました。しかァ〜〜し!! 幕がとれてみたら、いきなりコレ。もう、ぶったまげたのです。なんかのイベントで仮の姿かとまで思った庵主。違いました。あのギマールちゃんは何処へ??? この駅は幾つも口があるので、他のギマールは健在。

   しかしね、あっと驚く為五郎でしたね〜、このご出現には。でも、今はなんかいい感じに思えるのは不思議。

   これはジャン・ミッシェル・オトニエル(Jean‐Michel Othoniel)という人のデザインによるもので、ベネチア硝子を使用しています。入り口を囲む6本のメタルの柱の上に、二つのアーチ型がぽっかり。なんでもこれは、ひとつは太陽を、もうひとつは月をイメージしたらしい。赤とブルーを基調としていて、このために800個(重さにして約2トン)ものガラス玉が作られたそうです。この階段を下りてゆくと無人改札口までの間の通路の両側の壁にも硝子玉がディスプレイされていて、解説が表示してあります。

   なんでも、100年前にメトロが誕生した際には、パリに公共の乗り物としてだけでなく時代の最先端のアートを提供したということで、この100年を記念して、パリの街に新しい文化的なものを残そうと考えたとかいうことらしいです。そして、ここは「夜遊びする人のキオスク」という俗称が生まれているそうな。


   ギマールの口から外に出てココに来て、おおお、写真撮らねば〜〜と、しっかり持参していたデジカメを出して堂々撮影している庵主でした。(笑)なんか旨い具合にカッコイイおねえさんも写っているのだ。(^_^)v 

   ちょっと余談というかオマケ。写真奥の建物はコメディー・フランセーズという国立劇場です。ここはフランスの17世紀の喜劇作家兼俳優であったモリエールがルイ14世の庇護のもとに活躍した劇場。日本の皆さんが知ってそうなジェラール・フィリップとかイザベル・アジャニなんかはここの出身です。いわゆる伝統正統派演劇。モリエールはここで「病は気から」を演じている最中に舞台で吐血して亡くなっていて、その時に腰掛けていた椅子が劇場には展示してあります。この界隈に住んでた頃は、ウソのような安い値段で当日券というのを買って、時々お芝居を観に行きました。最上階の天上桟敷。舞台の真ん中ぐらいしか見えないんだけど、なんかリッチな気分だったなぁ〜〜。  

 

エレベーターで Shall we HAAGEN‐DATS?

2004.09.19


   先日、古い型のエレベーターの安全性が問題だとラジオのニュースで取り上げていました。

   現在では、エレベーターの扉を開けた際に、床と段差がないこと、何かあった際にメンテナンスセンターに直接連絡できる呼び出しボタンが設置されていることなどが最低限守られていなければならないのですが、70年代以前に設置されたエレベーターでは当然そんな配慮も装置もなく。。。ということだそうな。ふむふむ、確かにそうであるのだ。

   だいたいパリの建物は古いものは17〜8世紀だし、エレベーターが一般的になったのはここ1世紀がとこですから、もともとエレベーターが無い建物が殆ど。それでも、階段付近にそれなりのスペースがあるところは、無理やり後から設置してます。

   例えば、螺旋階段のぐるりが大きい場合は、その吹き抜けのスペースにはめ込み、各階の昇降口の部分の階段の手すりを切って設置しています。螺旋階段のぐるりが小さかったり、螺旋じゃなくて、階段の壁の一部分が外に面していて、その外側の敷地内にスペースがあるところは(なんか判りにくいな、この説明(^^ゞ)、壁をくりぬいて小ちゃなエレベーターを設置しています。写真のがその例。エレベーターの向こう側は中庭なのです。ここは各階に2軒しか家がなくて踊り場に余裕がないので、階と階の間で昇り降りする仕組み。これだって狭い段、しかもコーナーで三角になってるから、気をつけないと昇り降りに危ないのだ。こういう場合は、中の階のボタンは、1階、2階じゃなくて、ちゃんと11/2、21/2なんていう風になってます。

   昔の映画に出てくる「鳥かご」エレベーターも、そのまま使用されてますが、友人・知人宅で鳥かごのアパートあったかなァ?あったら、そのうち写真撮らないと。

   庵主がパリで最初に住んでいた学生寮のエレベーターは文化財級の鳥かごでした。始終止まってたなぁ。(笑)もとはホテルだったところで、階段の手すりも文化財だったのだ。

   今、住んでいるアパートにはエレベーターありません。9階建。庵主は4階に住んでますゥ。ほッ。 前に住んでいたところはエレベーターが螺旋階段の中に設置されてて、これが、しょっちゅう壊れていたのだ。何回か閉じ込められました。(笑)
   ここかお余所のBBSですでに話したような気がするけど、そのエレベーターにハーゲンダッツのアイスクリーム500ml入りを持っていて閉じ込められちゃった経験あり。スーパーの帰りで、夏場で、ど〜しましょ〜〜〜??? 非常ボタンはちゃんとあったので、連絡してただひたすら修理屋さんが駆けつけるのを待つばかり。しかァし、すぐ来るわけじゃない。1〜2時間は待たないと。道が混んでたりしたらもっとかかっちゃうかもしれないし。アイスクリームどうしよ〜〜〜。仕方がない、食うか。でもどうやって?.....蓋でホジって食べました。きゃははは〜〜。でも、全部食べたらお腹痛くなったり、壊しちゃいそうだし、せめて一口でも食べて、これはあきらめるべェなんて思ったのですよね。でも意外に早く救援のオニイサンが到着したんだと思うな、結末をはっきり覚えてません。(^^ゞ 

 

街は賑やか、当庵はひっそり。

2004.09.18


   夏の終わりの最終の、つまり、日本で言うなら秋のお彼岸の時期なのですが、その土曜日はパリはテクノ・パレード。ゲイ・プライドみたいに市内の大通りを山車(っていっても大型トラックだけど)が30台以上練って、テクノミュージックに合わせて、人が踊りまくるということです。今年のテーマはまさに「躍らせてよ〜」というような感じで、誰でもOK。今日の人出は主催者側によると60万人、警察によると10万人ということですが(このひらきはいったいなんなんだ?笑)、とにかく、去年よりは賑やかだったらしい。らしい、ということは、庵主は出かけませんでした。もう、そんな人がうじゃうじゃしてる所には出かけられないっすよ。何があるか判らないし。写真はフランスのサイトから拝借しました。(^^ゞ モンパルナス(向こうの方にタワーが見える)出発でサンジェルマンだの通り、セーヌを渡ってバスティーユが終点。すっごい人です。うへ〜〜〜。

   そして、毎年この時期の週末には「国有建造物特別公開日」になっていて、普段は公開されていないような建物などが無料で見学できるのです。これだって、朝はや〜〜〜くから並んで大変なのだ。こういうの、苦手。(^^ゞ 

   と、まあ、お外はかなりイベントがあって賑やかな日だったのですが、庵主はひっそりと、ずっと家で仕事して装飾文字のデザインなど考えてました。四季折々、ちょっと季節感のある図案を日仏両バージョン。日本は年中行事とか花だとか結構ラクにアイディアが浮かぶけど、フランスとなると、夏なんて何?という感じで困ったにゃ〜。その前に、レッスン用のクリスマス関連の小作品だのカードだののデザイン煮詰めないとぉ。ぐつぐつ...笑

 

モンゴルフィエ

2004.09.17


   巴里の左岸に比較的最近できた、アンドレ・シトロエン公園というのがあります。

   名前を見て、あれ?と思った方、そうですよぉ。車のシトロエンです。以前にセーヌ河沿いに自動車工場があったのですが、シトロエンはもともと第一次大戦の頃までは兵器を扱っていました。大戦の結果が思わしくなかったため、いち早く自動車産業に目を向けて、1919年には毎日30台の自動車を、5年後には毎日250台生産していたそうな。1958年には公にセーヌ河の工場一帯の岸にアンドレ・シトロエンの名前を付けることに。そして、あの有名なシトロエンのDSは14年後の72年まで、この地で生産されていました。昔のフランスのギャング映画なんかに必ず出てくるDSです。アラン・ドロンのサムライも乗っているのだ。
  その後、パリ郊外に工場が移転して、この場にはシトロエンの本社だけが残っていましたが、1982年に本社も移転して、92年にかなり斬新な現代建築とともに公園としてよみがえったのでした。

  でもってですね、この公園はミラボー橋からすぐなのです。今日はそちらの方面でレッスンがあって、めずらしく気球が上がっているのが見えました〜。
  
  この気球、実は2000年を記念してのイベントとしてスポンサー付きでパリ市が設置したのですが、スポンサーが変ったりしながらも今でも続いています。30人乗りで、高さ150〜300m上昇します。お天気に、特に風の具合に左右されるみたいですが、一年中、日のある間に運航(大げさかな?)。ただまっすぐ登ってほんの数分空中でゆらゆら〜として降りてくるだけなのですが、料金は結構高かったような気がします。でも、一度、乗ってみたいな、なんて思ってる庵主。この公園だって、まだ行ったことないのだ。(^^ゞ 

    
    気球はフランス人の発明です!!(って、庵主が自慢してど〜する??笑) え〜と、1783年にフランスのモンゴルフィエ兄弟によって、熱気を利用しての気球が世界で始めて上げられました。なんでも煙突の煙をみていて思いついたとか。その後、水素を利用して本格的に気球の利用が試されて、有人飛行も成功。一気にフランスでは気球ブームが起り、気球パイロットが急増したそうです。「気球タクシー」なんつううものを空想した人もあったとか。(爆)ジュール・ヴェルヌの「80日間世界一周」も気球です。
   19世紀になると郵便用に活用されたりと、それなりに需要があり、ずゥっと後々、第二次大戦では日本であの「気球爆弾」とまでなった次第です。
   
   フランスでは、19世紀も後半になると、また別のフランス人が飛行船なるものを開発して、時代は移行していったのでした。

   
   今日は天気の具合が良かったんでしょう、レッスン中にも何度も上がったり降りたり。  

 

白昼巴里のプールに出現するものは...

2004.09.16

   お昼近くにプールに行った庵主は、プールの浅瀬の部分をすべて占領している、アクアジムのオバちゃんたちに唖然。インストラクターは若いオネエサンなんですがね、水の中は揃いの帽子のトドの大群が所狭しとうごめいているではありませんか!!ひょえ〜〜〜。でもって、普段のコースの仕切りでもって、浅瀬と深くなってるところに境界線がはられていて、他の人たちは残りの部分でちょこちょこ泳いでました。

   飛んだり跳ねたりしてたと思ったら、そのうち、きび細工のお化けみたいなのを身体に巻きつけて体操始めたァ〜〜。なんかスゴイな。(^^ゞ トドが大蛇に締め付けられてるみたい。爆

   随分前になりますが、若かりし頃、しばらくスポースクラブの会員になっていた時期がありました。毎日のようにアクアジムとかストレッチングとかいろいろやってたんですが、アクアジムで困ったことが...。庵主は背が小さいのだ。あははは。浅くても、人がいっぱい水に入ると水面が上がるわけでして、それに浮力というものが加わり、本来は足がついて頭が出る筈だけど、庵主はつま先立ってふゥらふら〜。笑 そこで始まった準備運動が、腰に手を当てて、肩まで浸かったり伸びたりしてくださァい!だってェ。ありゃりゃ〜〜〜〜。困っちゃうなぁ〜〜〜。何もしないうちから、すっぽり水に入っちゃってんだよ〜ん。(>_<) そこで、幸いインストラクターに近い場所にいたので、

「あのう、すみません。私、背が低いんで、こんなに大勢いると水にすっぽりなんですけど。」
と言いに行ったのだ。

「???.....あ、じゃあ、仕方ないなぁ。真似事でいいっすよ。適当にやってください」

だってェ〜〜。

   それだけじゃない、他の運動してたって、いつもつま先立ってふらふらしてるから、みんなが動くたびに起る波でますますふらふらしちゃって、ちっとも運動にならんかった。泳いだって進みゃしない。爆 でも、水球やった時はなるべく他の人たちから離れたところでスタンバイして、波に飲まれることなく、結構楽しめました。敵味方になったって何の目印もないのに、どうやったんだっけなァ。庵主と同じチームの人は、「あのベトナム人は見方だ」と思ってればよかったのよね。だから、いっぱいボール飛んできたんだな。(爆) 

   で、今日はトドの大群が引き上げた後、かなり悠々と泳げました。鶉ヶ丘のプールは33mだった。だから1000m泳ぐには15往復ちょっとしないとならぬ。
   写真は夏の屋外プールです。来年は利用してみようかなぁ。   

 

秋めいてきました。

2004.09.15

   今日は、日本では本来は敬老の日だったんだけど、違うんですねェ。フランスは所得税の支払日。うへッ。 通常は3回分割払いで3回目で前年度と比較して調整される上、今年はなんだかんだと減税になって、ちょっと少な目の支払いになってました。ほ
ッ。

   気温はすっかり秋。朝晩は10度ぐらいといったところ。昼も今日のパリは20度ぐらいだったのかな?涼しくなると、いきなり冬支度のような人もいれば、タンクトップのまんまのオネエサンもいたりして、なんとも不可思議な光景がみられます。

   運動はいい!!な〜んちゃって、へへへ。泳いだお陰で、肩の凝りも首の痛みもかなり解消しましたァ。\(^o^)/ でも、股関節がちょっぴり痛くなった。(>_<) あっちとれば、こっちが...ですな。水曜日は学校が休みで子供がうじゃうじゃいると思うので、今日はプールはお休み。(三日坊主じゃないぞ〜〜)

   午前中はレッスンに出かけて、夏休み明けで、いろんなおしゃべりに花が咲きました。なんでもフランスのオリンピック中継はフェンシングばっかりだったらしい。ま、仕方ないですね、本場だもんね。それから、庵主は良く知らないんだけど、辻なんとかという、女優さんと結婚してる作家、今、パリに住んでるんですね。(誰なんじゃ?笑 判りますよね?誰のことか)どこそこで赤ちゃん抱えて買い物して主夫していたと、見かけた人が言ってました。庵主はやっと「冬ソナ」最終回を見て、話に追いついたばかりなのに、また、情報が欠けておりました。(^^ゞ

   レッスンも久しぶりだったから、当然あのヤマザキのパリ店も同様。トースト用の6枚切り食パン(手で切ってるんですよぉ〜)と、「MATSURI」買っちゃったァ。MATSURI(祭)はショートケーキで〜〜す。この間、日本人の女の子が一個だけ買ってたので、今日は庵主も真似たのでした。洋菓子はあまり興味がないのですが、日本のショートケーキは別です。ふふふ。そういえば、日本では食べなかったな。餡子系のほうが好きなので、それに、帰国中はン十年ぶりぐらいでカキ氷とか食べたしィ。

   明日はまたプール、行きます!!1000mいけるかなぁ。昨日は600mぐらいしか泳がなかったから、ケーキ分、頑張らないと!!(爆)

 

時差ぼけと運動不足を乗り切るのだ!

2004.09.14


   もう、本当に、年齢とともに時差を抹殺するのに時間がかかるのだ!!夕べも、北京から戻ってきたリヤンとその話。とほほほ。彼女は一週間前に戻って、四苦八苦しているのだ。

   今朝は、目が覚めたものの、頭は痛いは、ぼお〜っとしてるは、で豆乳だけ飲んで再びバタンキュ〜〜。お昼前に起きだして、なんとかお昼ご飯を食べると、もうタテになっていられず、再度、ぶっ倒れる。本当は、午前中にプールに行く予定にしてたんです。
   こりゃ、ダメだァ〜〜〜(◎へ◎)。

   しか〜〜し!!昨日、決めたのだ。絶対プールに行くと決めたのだ!時間も夏モードから平常モードになったのを確認して、水着もめがねも帽子も、思い切って新調したのだ!(前のを出してみたら、なんか水着やメガネのゴムがダメっぽかったんですゥ。)

   プールは家から歩いて5,6分のところにあり、夕方は4時半からなので、頑張りました!(^_^)v

   結果、気持ちいい〜〜〜。普段使わない腕の筋肉使って(大振袖になってますので(^^ゞ)、肩こりはちょっと解消したような気がしてます。へへへ。

   このプールは、時々日記に登場する「鶉ヶ丘」、ビュット・オ・カイユのプールで、もともとは1902年に公衆浴場として建てられたものを、1924年にプールに改装し直したところ。ここの特徴は、地下584mの堀抜き井戸の水を利用していて、水温が28度。建物は歴史的建造物に指定されています。パリ市の市営プールなので、月曜は子供の学校専用、朝は7〜8時、11:30〜1:00、夕方4:30〜6:00という開館時間なので、お勤めしてるとなかなか利用できないし、土日は1日開いてるけど、そういう時ってすごく混むし、というわけで、今まで行ったことなかったのでした。そんな大きなプールじゃないけど、まあまあです。夏は屋外プールもあります。

   外の写真は庵主が撮ったもの、中のは様子はおよそから拝借しました〜。 

 

今年の葡萄はどうかいな?

2004.09.13


なんか、比較的豊作というか、いい感じの収穫だそうです。

   昨年は酷暑のせいで、収穫予定時期より早く熟してしまうわ、暑さで収穫前にそのまま干し葡萄になってしまうわ、で平均の2割減の収穫だったとか。でも、暑い夏の葡萄は美味しいとされているので、収穫量は少なくてもワインのお味の方は悪くはなかったのでした。さて、今年は...。業者によると、8月末にプロヴァンスで収穫が始まり、もうそろそろボージョレーが収穫期に入るところだから、味云々を語るのは早すぎる、との談。もうちょっと待ちましょう〜というところですねェ。


   写真で見ると判るとおり、今でもこれだけは手作業です。日本は葡萄って棚造りですが、ワインの葡萄は木の高さが1mもありません。これを機械狩りっていうのはちと、無理。中腰の手作業です。昔は夏休みの学生のいいアルバイト(重労働だけど三食昼寝付き・笑)だったんですが、近頃は近隣諸国の季節労働者を雇うのが主みたいです。摘むのは手作業ですが、さすがにプレスするのは機械。ボーヌというブルゴーニュの町にあるワイン博物館で見た写真では、オニイサン達が素っ裸で大きな樽に入って、一生懸命踏んでました。あははは〜〜。素っ裸よぉ〜。 ちょっとしたおまじないみたいな風習では、一番最初は村の処女の若い女の子が裸足で踏む、なんてうのもありました。これぐらいは、時々お祭りで真似事をやったりしてると思います。

   実の収穫が終わると、葉っぱがきれいに色づいて、そして冬場は淋しい〜〜。墓場のようにぶどうの木が黒々と並んでいます。

   さァて、この葡萄で作るワインはどんなお味なのかな〜〜?

 

ルイ・ヴィトンも衣替え?

2004.09.12


   昨日から少し気温が下がり、ちょっと秋らしい空気になりました。本来ならとっくにセーターとか着込むのですが、今年はめずらしい残暑。

   月の第二日曜はお決まりの日本人会での俳句会で、シャンゼリゼに行って参りました。ルイ・ヴィトンの内装工事、まだまだ続いてます。いったいいつまでやるのかなぁ?巨大カバンがシャンゼリゼに出現!という情報を日本経由で入手(笑)して、びっくりして写真を撮りに行ったのは随分前のような気がするけど...。ジョルジュサンク通りに面したところはずっと同じですが、シャンゼリゼ側は何度も衣替えしていて、今日のお姿はかわいらしいタイプになってました。きっと実は夏向きの衣替えだったのかな。3ヶ月ぶりぐらいだったからな。
   ちょうどジョルジュサンクのメトロの口のところ。俳句会の帰りがけにパチリ。(最近はこうやって結構平気で写真撮っちゃっているのだ。笑)まわりは観光客の記念撮影の人がいっぱいだったしィ〜。

          *LV*LV*LV*LV*LV*LV*LV*LV*

   「無間道」の熱冷めやらぬ庵主ですが(笑)、この映画の中でマフィアに潜伏している人と警察の上司との交信手段のひとつに「モールス信号」が使われているんです。それも、いざ!捕物!という緊迫状態の真っ最中。ハラハラドキドキのシーンのひとつでした。ここで、庵主は、やっぱこれかよぉ〜、と思ったのでした。

   と、いうのは、アメリカ映画の「インデペンデンス・デイ」でも、宇宙人に地球の衛星通信回路をすべて押さえられてしまって、最後に残った通信手段がモールスだったのですよね。その時も、ああ、世界海事機関(IMO)がモールス信号使用の廃止したばっかり(1999年)なのに、やっぱりモールスか〜〜って。

   そこで、ちょっと今日はモールス信号のこと検索してみました。トンとツーを組み合わせて欧文はアルファベットで、和文はそれをイロハに置き換えて、というぐらいしか知識がない庵主ですが、それでも、あのタイタニックが初めて「SOS」をモールスで発信したことぐらいは知ってたぞぉ〜。(へェ〜〜〜〜・笑)←日本でちょっとこの番組見たもんねェ。

   冗談はさておき、この信号は1837年にアメリカのサムエル・モールス(Samuel Morse:1791-1872)によって考え出され、世界中に広まったそうです。ちょうど蒸気船や蒸気機関車の発達で人間の行動範囲も広がっていった時代。モールスはちょっと前に発明された電磁石を利用して、電流を切ったり流したりして信号を発明したとか。当時の通信手段は手紙か手旗信号(これもあったのだ!)が中心だったから、当然、あっという間に広まったんでしょうね。日本にも黒船とともにモールスの電信機は到着していて、明治時代には活用始めたようです。
   
「モールス信号の利点として、@省電力、簡単アンテナでも海外と交信ができる、A混信に強い(トーンで判断できる)、B略符号を使うことで外国語を知らなくても海外局と交信できる、C設備投資に頼ることなく自己訓練のみでコミュニケーションが楽しめる等があげられます。」

ってなことも、検索したら出てきました。Cの利点には笑ったのだ。確かにそうですね。Bはちょっと???なんですが、SOSとか慣用句はOKだと思うけど、どうなのかなぁ?

   ついでに ・・・−−−・・・(これしか知らない(^^ゞ)の「SOS」ってなんの略か、すご〜〜く気になってました。案外、みんなそうなんじゃないか? これ、ぶっちゃけた話、単に打電しやすく聴き取りやすいっつうことで、特別な意味はないんだってェ。でも、昔はまことしやかに「Save Our Ship(我々の船を救え)」「Save Our Soules(我々の生命を救え)」あるいは「Suspend Other Services(他の仕事は中止せよ)」の略だと言われていたそうで、このSOSの前に使われていた遭難信号CQDは「Come Quick Danger(急いで来い、危険)」の略だという説も登場したとか。

   それともっとついでに、「メーデーメーデー」。これは無線電話の普及と共にできた遭難信号。飛行機なんかそうですね。実はこれはれっきとしたフランス語から来てるそうな。へェ〜〜〜〜〜〜〜です。(爆) それは、「M'AIDEZ」(VOUS M'AIDEZ ヴゥ メデ・私を助けての略)なのだと。それを書くときは発音が似ていて覚えやすいと英語のつづりでMaydayだそうです。でも...これが必要な時は書かないと思うけど。(笑)

   
ということで、ルイ・ヴィトンの話だと騙されて(笑)、庵主が気になっていたことに、皆様、お付き合い頂いちゃって、   

   −−   ・   ・−・   −・−・   ・・  

    M    E   R     C     I


合ってるかな?

 

今日はあの日でした。

2004.09.11

   今日はあのNYのテロから3年。朝からラジオのニュースではそればっかりでした。早いなぁ〜。

   夕べはお陰様でいい夢。。。。なぁ〜んか見なかったぞォ。(ーー;) 見た夢は仕事に関連するものでした。うへッ。いろんなタイプのクリスマス用の作品考えないとォ。今年は書体もレベルもレッスンのグループ毎にさまざまで、さらに、ある文化センターで11月に4回でワンセットのクリスマス用の講習会をする予定なので準備しないと。他にもあれこれやってみようかと思ってるモノもあって、その割には部屋が片付いてない。日本から戻ってきて、画材関係やらCDやら、ゴジラ君も増えたしィ。(笑)あせあせ(^^ゞ。\100ショップで買った整理用の壁かけグッズもそのまんまだしィ。いざ買ってみたが、何処に取り付けるんじゃィ!爆

           ************

   実はここのところ、フランスは狂犬病騒ぎが起きています。どうやらモロッコからやってきたワンワンがもと。8月にボルドー付近の海岸などに出没していたそうな。そしてその犬と関わったり噛まれた人や犬などの行方を追って、毎日のようにニュースで呼びかけたり、犬の手配書まであちこちに貼られているそうです。庵主は実際に貼り紙見てないし、なんせ、テレビ壊れちゃったまんまなのでどんな犬なのか不明。噛まれてたり、狂犬病に感染した恐れがある人たちは、早く手当てしないと命取りですからね。浜辺でその犬と遊んだとかいうだけでも要注意で、見に覚えのある人たちは保健所に申し出るようにということでした。まだ肝心な犬を含めて3匹と人間が5人見つかってません。どんな犬なのかな。。。
 
   フランスでは昨日から今期の狩猟解禁なのですが、この狂犬病のあおりで、ハンターは犬を連れて猟をしてはいけないという勧告が出され、ハンター達がブーイングです。
 

 

「無間道」観たのだ〜〜〜ッ!!!

2004.09.10


やっと念願かなって「無間道・Infernal Affairs」観ました!!

  近所の映画館何軒かでやっていて、その中から、ゴブランか国立図書館のゆったりシートか迷ったのだけど、暑い中歩くの嫌だったのでゴブランへ。イタリー広場の向こう側です。うちから歩いて10分くらい。庵主の下駄履き映画館です。

   面白かった!!アメリカ映画のお金ばっかりかけて特撮に凝ってるのよりか、ず〜っと人間的なスケール。ハラハラドキドキの加減もちょうどいいし、適当にお涙頂戴もあって、日活アクションや東映のやくざ映画風。馴染みがちょっと薄くなってた返還後の香港の様子、あんまり変っていないようなのでなんか安心。つい最近、日本ではTVで放映したみたいですが、昨年秋に劇場公開されてたんですね。この映画、こちらでは今年のコニャック(あのお酒のコニャックのコニャックです)で開かれた探偵物専門の映画祭に出品したそうで、トニー・レオンはすでにフランスでは有名だし、アンディー・ラウも今度「LOVERS」公開されるしね、お客が入りそうってことで公開されたのだと思います。香港ではすでに3部作すべて上映済みで、DVDも2までは出ていて、3も出たのかなぁ?香港発のビデオのメルマガでえらく話題になっていたし、中華街でもビデオ屋さんにいっぱいポスターなんか貼ってあったので、実はすっごく興味があって以前からDVD狙ってたんです。でも買ってなかったのだ。確かリージョンコードがあかんかったのだ。(>_<)香港は3デシ。

   一応簡単にあらすじをお話しますと、ヤン(トニー・レオン)とラウ(アンディ・ラウ)という青年がおりまして、ヤンは警察から香港マフィアに潜伏しているスパイ、ラウはその逆でマフィアから警察に送られたスパイという、それも警察学校から潜入するんだからね〜。そして10年、互いの正体を隠したまま、それぞれに成りすました生活を送り、ついにそのベールが剥がされる日が来る...というストーリーです。
 

   で、「無間道(むげんどう)」という原題をどうして日本じゃ使わないのかなぁ。れっきとした仏教用語で「無間地獄(むげんぢごく)」とかよく耳にする言葉なのになぁ。
   この「無間地獄」とは、八熱地獄の第八番目。苦しみを受けることが絶え間がない(無間である)から、無間と名付けられていて、はげしい苦しみの耐えない世界を指します。涅槃経に出て来るそうな。それと同じく仏教用語で「無間道」は煩悩を断ち切る道をも指します。う〜っむ。主人公二人の地獄の苦しみ〜〜〜って感じですねェ。

   いつもどおり、トニー・レオンの絶望的な顔とか悩み苦しんでる演技が非常にヨロシイ。庵主はあの顔が観たいのよ。ふふふ。そして、アンディー・ラウはもう少し若い頃しか知らなかったので、ちょっと結構カッコよくなってて二重丸だわ。(^_^)v 前からずゥ〜〜っと気になってたんですが、アンディは誰かに似ていて、高島兄かな?なんて思ってたけど、先日、きりたんぽさんの「ザ・ガードマン」の頃の藤巻潤!のひと言に、納得。そうなんです。判りにくい方には、最近じゃ、鬼平の軍鶏鍋屋「五鉄」のおやじですが、彼の若い頃に雰囲気似てます。写真、ノッケマシタ。どうかな?

   映画の入りは、公開2週目なのでぐんと少なくって小さい上映室に10人ぐらい。エンディングは主人公二人のデュエットなので、頑張りました。4人ぐらい残ってた。(笑)お二方とも歌手でもあるんです。アンディの方が声がいいな、やっぱり。「英雄(HERO)」は、トニーが主題歌(エンディング)を歌ってるんですヨ。

   と、いうことで、今日はいい夢見て寝よう〜〜。

   そうそう、この映画もハリウッドでリメイクですって。最近のハリウッドはそんなことばっかりじゃんか!でもって、トニー・レオンの役がレオさまで、アンディ・ラウがマットくんだって。逆だったかな?ん?ま、どっちでもいいや。(笑)

   香港の警察官て、英語交じりに話すのよね。これは、そのうち廃れてゆくんだろうな。あと、BYE BYEを、ちゃんとイギリス風にババイって言うし。なぁ〜んてことも、楽しんで観ましたァ。地獄の苦しみじゃない、いい夢見るのだ。消灯。
   

 

本当に物価下がってんのかいな〜〜??

2004.09.09

  この9月に入って、フランスではものの値下げが施行されています。どうしてこうなったのか、庵主が不在だったため詳細不明なのですが...。

  確かにユーロになった当初は便乗値上げを避けるためにフランからの換算は等価を保たれてたのが、物価上昇とかなんとかで気がつくと、かなり物価高になってました。これしか買ってないのになんでこの値段!?現象続出だったのです。夏のバーゲンだってあまり購買意欲が沸いているとは思えない雰囲気だったし。恐らく、そんなことが問題になって、すべてじゃないけれど、かなりの範囲で値下げされており、スーパーに行くと「値下げ商品」の札があちこち貼ってあります。平均して2〜3%値下げしているらしい。でも...。あんまり庵主が買うようなものが対象になっていないのか、レジでのお会計は変らないような気がするなぁ。

  食料品の殆どを中華街でまかなってる庵主ですが、普通より安い印象だったのが、ここも最近はそうでもなく、今日なんか、本当にたいしたもの買ってないのに結構な値段になってしまったのだ。やれやれ。

  夏はさっぱりしてて尚更おいしいベトナム料理なのですが、帰国してて遠ざかっていたので、お昼に早速バンクワンというベトナム風ラビオリを購入。そう頻繁に食べないまでも、売ってるのを毎日のように見かけたり、匂いに包まれている日々を送っていると、知らないうちに欠乏症になってるんですね〜。(笑)   写真がバンクワン。豚のひき肉、きくらげなどが、お米の粉で作った皮に包まれています。ニョクマム入りの甘酸っぱいタレをつけて頂きます。生の赤唐辛子のぶつ切りもしっかり付いてて、タレに入れてぴりぴりィ。もやしを下敷きにして一緒に蒸してあります。フライドオニオンも薬味みたいにパラパラっと。

 

エッフェル塔危うし!!だったの巻

2004.09.08

治ったかと思ったのは甘かった時差ぼけ。
う〜ん、年齢に完璧に比例してますゥ。とほほほほ〜〜。

  今日は久々に出張レッスン。その際に、今月2日は、エッフェル塔に飛行機が突っ込むという情報が流れて、一時、界隈は厳戒態勢だったという話を聞いて。。。そんなことちっとも知りませんでした。パリに戻ったばかりで...寝こけてたかいなァ〜〜。ま、なんでも幸いガセネタだったのですが。ただいまフランス人のジャーナリスト二名がイラクで人質にあっており、その安否が問われている最中で、その日はちょうど新学期の初日に当たっていて、釈放の条件としてあげられている「学校でのイスラム教徒のスカーフ着用禁止条例の撤回」に関連しての騒動だった様子。

  他にも飛行機から降りるのにもパスポートチェックがあったとか、何かと8月末から厳戒態勢だったらしいけど、庵主が戻った日は混んでたぐらいで何もなかったな。あ、でも、そうだそうだ。初めての民間中国人団体旅行が到着したのでした。庵主とほぼ同時にパリ着で、荷物待ってる間、隣に中国人がやたらといて、北京からの便だったんです。さかんにラジオのニュースでやってました。いよいよ、普通の中国人も団体で世界旅行が自由にできるようになったとかで。

  日本の台風もすごかったみたいですねェ。日本のあちこちの皆様は大丈夫だったかしら、心配です。これもニュースで頻繁に情報流してました。世界遺産の厳島神社が相当な被害だとニュースになってます。

  ああ、ひたすら眠い。zzzz だけど、ちょっとは遊ぶパワーが回復。笑 ゴジラに狙われるエッフェル塔。

 

やっぱりまだまだ...

2004.09.07

   香港映画「無間道」を観に行こうと張り切ってましたが...ちょっと横になったらそのまんま。午後、たっぷり寝てしまいました〜〜。あはははは〜〜〜。こりゃダメだァ。爆

   夕方おそ〜くに中華街までちょっと買い物に。今年ももうすぐ中秋の名月で、中華街は月餅一色。去年はスーパーで棚の様子をデジカメで盗撮したのを思い出しましたァ。今年はど〜しよ〜かなァァ。

    
   トニー・レオンとアンディ・ラウの代わりに、またまた「若大将」。笑 「日本一の...」で出てくる箱根のホテル「竜宮殿」って、なつかしい〜〜〜。小学生の時に夏季学校で泊まった
ホテルでした。

   しっかし、あれだけ寝てもまぶたが重いなぁ。消灯時間だわ。   

   

 

社会復帰、はじめのい〜〜〜〜っぽ!

2004.09.06


時差ぼけと首凝り偏頭痛も少しづつ快方に向かっております。
  
   今日は月曜日なのだ!ということで、ちょっとは社会復帰しないとォ...と、朝から諸雑事で出かけたりして、あちこち連絡とったりと活動開始。でも、午後は暑くて出歩く気にならず、部屋の片付け、と思ってもぐずぐず。まだパワー不足です。(>_<)

   日本から持ってきたCDの中から、これなんだっけ?と開いてみたら、ありゃ〜〜〜、そうだ、そうだ、若大将シリーズの続きだった〜〜。\(^o^)/(ブルさん、めるし〜〜!)加山雄三、超わか〜〜い!!!きゃァ〜〜〜ッ!!うヮおッ!やっぱ、なんかええとこのボンボン。カッコイイおにいさんなの。これが、40年以上前に庵主が惚れこんでた理由ですな。(爆)

なんて感じで、ちっとも片付けにならず。

   出かけてた際にあるフランスの出版社から留守電が入っていて、再来週に予定されている「BD−MANGA FESTIVAL」の件で仕事の依頼のメッセージが。???MANGAの仕事?なんじゃ?と、折り返し電話すると、なんでも、BD(ベーデー:バンド・デシネというマンガを意味するフランス語)とMANGA(というと日本のマンガとアニメを指す)の見本市みたいなのがあって、その際に、会場でカリグラフィーをデモンストレーションしてくれる人を捜してるんだという。しかァし、書道の方のカリグラフィーですたァ。(>_<) 

「私、日本の書道じゃなくてラテンのカリグラフィーなんですゥ」

「ありゃりゃ、どうしてあなたを紹介されたんでしょうかァ?」
「さァ〜〜。。。私、日本人だけどカリグラフィーはラテン文字なんです。」

「すみません。それじゃ、この話はなかったことにィ」

というような具合でした。
う〜っむ。遊戯王とかなんとか、かっこよく書けたらよかったかなぁ...。

 

少しづつ時差ぼけ解消中

2004.09.05

なぜだか暑い巴里です。
34度だってェ〜。う〜ん。

  フランスのラジオでは、フロリダの台風と日本の地震の話してます。日本の地震に関しては、今日、二度も続けて比較的大きな地震があり、津波警報が出ていると言いつつも、地震に慣れているお国柄、建築もしっかりしていて日頃の備えもあり、ごく数人のけが人だけで被害は全くありません、だって。へんなとこで、誉めてくれるなよなァ〜〜。笑
 
  午前中に散歩に出ようと用意はしたものの、結局出そびれてしまい、出かけずじまい。朝市がたってたんだけどな...。日中は暑いとはいえ、朝晩は比較的涼しいから、家の中は気温が低くて快適なのです。石の建物の特権なのだ。地震があったらイチコロだけどねェ。

  従って、事務処理だの、俳句ひねったり(投句の〆切りでしたァ。(^^ゞ)、時差解消という名目での昼寝をむさぼったり。笑

  出発ギリギリの公開だったので見に行けなかった張芸謀の「LOVERS」。あちこちのサイトで見に行ったという話を小耳にィ。。。いいな〜〜。巴里での公開は、ぬァんと、11月末なんです!!その前に王家衛の「2046」(キムタクが出てるあれです)が公開されるんだけど、それもまだまだ先。
しかァし!! アンディー・ラウとトニー・レオンの「無間道」やってるのだァ〜〜〜!!

観に行かなきゃ.....

と、思いつつ、ブルさんからプレゼントされた「若大将シリーズ」とか「マタンゴ」を家で観賞。笑

 

暑くってもセミが鳴いてないし、蚊もいない(笑)

2004.09.04

なんか外はしっかり暑い巴里です。
32度とか34度とか言ってるけど。。。うちの中にいるぶんにはちっとも暑くないのだ。

  洗濯物があっという間に乾いたから、やっぱり気温上がってるんですねェ。それに空気も乾燥してるし。肌もバリバリです。一ヶ月間、しっとり、というか、べたべた肌だったけど、クリームとか丹念に塗らないと...(年のせいばかりじゃないですよォ〜〜!!笑)

  相変わらず早朝、暗いうちに目覚めておりますが、徐々に遅くはなってます。30分ぐらいづつかなぁ?7時になっても薄暗いからな...音たてづらい。今日は週末なので余計に朝は静かで、本を読んだりしてひっそり過ごしました。

  留守中の溜まった事務処理やら、なんやらでちょっとづつ正常モードに直してますが、お昼寝しないと厳しい。お腹のサイクルは睡眠サイクルより調整が難しくって、変な時間にお腹空いたり、肝心な時に空かなかったり。時差ぼけは続くよいつまでも。そうなんです、年齢に比例して、どんどん時間がかかるのだ。

  少しだけ時差ぼけフラフラでも、ケレルマンの公園まで散歩してみました。ヴァカンス明けの土曜の午前中なんて、人が殆どいな〜い。

  久しぶりに巴里の風景をお届け。今まで撮ってなかったんですよね、ここ。庵主が住んでいるアパートの正面の様子です。

 

ぼけぼけ〜〜。(@_@。

2004.09.03

庵主@時差ぼけでございます。

  朝5時には目覚め〜!! 外は真っ暗。本を読んだり眠ったり、頭痛かったり、と、午前中は3度ぐらい寝直し。7時になっても暗いんです。緯度が高いんだな〜〜。

  朝晩の空気はかなり冷たくなっているので、日中の温度がよく判らず、ラジオの天気予報では30度だのナンだの言ってても、ぴんと来てなかったのですが、夕方6時ごろに散歩に出たら、暑いのなんのって。空は真っ青。この時間、日本じゃもう薄暗いですねェ。「夕焼小焼けで日が暮れて〜♪}が流れる時間だわ。笑

  今日はそれでもちょっと元気出して、写真UPしてみました。湯河原へ行った時の写真(8月24日かな?)と、おとといの日記には東京タワーの写真を日記に加えました。

  今日は何の写真にしようかな?そうそう、ビルに埋もれてしまった国会議事堂。
  東京では案外写真撮ってなくって。そんなもんなのかな〜。

 

時差ぼけじゃ〜〜。

2004.09.02

  お決まりのごとく、早朝に目覚め。日本より夜明けが遅いので薄暗い。お腹が空いてたり、頭がぼ〜〜っとしてたり。相変わらずの肩こりと偏頭痛。幸い、なんの用事も無いのであせることないけど、だからって寝てばかりでは時差が取れないのだ。

  午後の一番つらい時間帯に散歩兼買い物へ。日を浴びたり、動いたりするのが時差ぼけ解消に一番効果的なのです。あとは、その場の時間帯に合わせて行動すること。
  外は日本より湿度がないし気温も低く、もうそろそろ秋という感じ。セミが鳴いてないな〜〜。今回、久しぶりにセミの声を聞いて、すごく嬉しかった庵主としてはなんか淋しい限りです。

  日本から送った食料品や雑貨などが届いたので、それらを整理して、\100ショップで買った壁掛け用の雑貨をどこにどう取り付けようか悩んでぐったり。(笑) 頭がまわりましぇ〜〜ん。 

 

東京よ、さようなら〜〜〜。(ToT)/~~~

2004.09.01


  年々、時間の経つのが早いですが(笑)、今回は久しぶりにたっぷりひと月帰国。それも、真夏の帰国とあって、夏を日本で過ごすのは17,8年ぶりで体力的にちょっぴり心配でしたが...

  やっぱり昨年の酷暑を生き延びた身には、たいしたこともなく、蚊に刺されまくったぐらいで、じっとり暑いのもなかなか。笑

しかし、最後になって偏頭痛に悩まされました。

  で、世の中、9月1日で新学期という割には、団体旅行がいっぱいいて、成田空港はコミコミ。長〜いことチェックインに並んで、挙句の果てに通路側も窓側も席が無い。(ーー;)
「でも前から2列目が取れました」って、何の意味もね〜じゃね〜か!! チェックインに30分以上時間を取られてしまい、まづは食事じゃ〜〜とレストランへ。これが楽しいのですよ。なんせ、11時半の出発でも9時半には成田に行かなきゃならない。荷物を持っての移動なので早め早めに逆算して、家を出たのは7時。お腹空いてます。今回は梅シソ巻きのヒレカツ定食。飛行場のレストランて、みんな旅の恥はなんとかで、朝から大ジョッキでビールがんがんやってる人がいっぱい。(笑) 庵主のお隣の人は、ビールぐびぐび、キャベツにシジミ汁にご飯を、3度ぐらいお代わりしてた。スゴイ!! 
  食事の後、ちょっと買い物して、でもあんまり時間が無くてあせってたので、京樽で棒寿司を買うのを忘れちゃったのだ。ぐすっ。海外用に長時間持つように調理してあって、これを買って帰ると、着いた晩や翌日に食べられて便利なんだけど。

  機内は狭っくるしくとも、今まで見る機会がなかったハリポタや、「トロイ」のブラピの筋肉美を再び愛でて(ふふふ、何度も見られるのよォ)、あっという間にパリに戻りました〜。

  しかし、ここでまた時間がかかった。荷物出てこないのよね〜〜。同時に何機も着くからごったがえしてました。団体さんの荷物の方がまとめて先に出てきたりするしなぁ。さらに、高速で事故があったらしく、道が混んでてタクシーの運ちゃんも「夏休みも終わっちゃったね〜」って。そうだそうだ、今日から9月なのだ。ぐったりしつつも、お寿司わすれちゃったしなぁと、スーパーに買い物へ。
  
  やれやれ。長い1日でした。

 


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