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2004年06月の鵞毛庵日記

黄色の初々しいくだものでキウイ、な〜んちゃって(^^ゞ

2004.06.30


今日で一年の半分が終わってしまった〜〜〜。う〜〜ん。(ーー;)

  サッカーのユーロ2004は準決勝のポルトガル/オランダ戦で(南蛮貿易船と東インド会社の戦いみたいだな・爆)、ポルトガルが勝ったみたいですね〜。(^_^)v みたいですね〜って、試合観てないの。だって、テレビ壊れちゃったんですゥ。ぶぶぶ〜〜。決勝も観られないなあ。ヴァカンスから戻ってくるまでお預けだな。(T_T) 

  昨日の日記でお見せした「サラ・ベルナール」どんどん開いて時折いい香りが漂ってます。何層にもぎっしり八重になっています。華やかだわ。

  ちょっと掲示板に書きましたが、この1〜2年、黄色いキウイが出回ってます。日本にも出てるだろな、どうでしょうか?お値段は普通のキウイよりちょっと高め。よく見ると、ほんの少し形が違います。わかるかな?シールが中身に合わせて色違いになってます。ヘタ(っていうのかな?)の部分が黄色いのは平たく出っ張ってて、ケバケバが少ない。

  お味は緑よりも酸味が少なくマイルドです。知り合いが市場で果物屋さんから聞いたところによると、普通のキウイがアレルギーなんかで食べられない人でも、これは大丈夫とか。まだきちんとした名称が定まっていないようで、バナナキウイとかレモンキウイとかいうような、色からイメージした名前がついて売られてます。なんか至極単純な命名だな。笑  

  一般的にキウイというとニュージーランド方面からの輸入と思ってたのですが(写真のもそうです)、25年ぐらい前かな、当時住んでいたところの近所の小さなスーパー(なんて大げさ〜)、コンビニよりもスケールとしては小さかったしな、ま、そんな小さなお店に「大分県産キウイ」があったんですゥ!!段ボール箱に書いてあったのだ。
  なんでわざわざ大分から?恐らく並行輸入というヤツで、何か他のメインの日本からの輸入品とタイアップして入ってきたんでしょうねェ。今でこそ、日本の気候ならキウイは栽培がかなりラクで、家庭でも簡単にできるみたいですが、その頃はまだまだだったと思うので、ぬぁんで大分なんじゃィ!と驚いたわけでした。

  キウイというともうひとつ、フランスには靴磨きのクリームのメーカーがキウイ。これは鳥さんの、本家本元のキウイがマークだけど。

 

芳しきはサラ・ベルナール

2004.06.29


  ちょっと前に芍薬の花の話を書きましたが、あの時は小野小町にご登場願いましたが、本日はこれまた美女のサラ・ベルナールのお出まし〜〜〜。

  いつか朝市で見かけた時、ちょっと値が張っていたので買うのを控えていた女優サラ・ベルナールの名前がつけられている芍薬。この間の日曜日についに買いました。今年は例年よりも芍薬の期間が長いような気がします。

  で、写真がそのベル・エポックを飾る一斉を風靡した女優さんの名前を持った花。

  サラ・ベルナールSARAH BERNHARDTといっても、知らない人も多いかな? 彼女の生涯は芝居になって日本でも上演されてます。
  1844年生まれで、出生と幼少時の境遇は厳しいものでしたが、フランスの国立演劇の殿堂である「コメディー・フランセーズ」の女優さんとして一斉を風靡するまでに。当時はベル・エポック華やかなりし頃、ムーラン・ルージュやマキシムが開店したのもこの頃。

  サラは、当時もてはやされた豊満な美人像と違い、小柄でやせっぽち、赤毛の縮れっ毛に大きな鷲鼻。なんで、そんな人が大女優??それは、彼女の斬新な演技と天性の美声にあったとか。セリフ回しがそれまで歌うようであったのが、サラは普段の言葉遣いでしゃべり、黄金の声と呼ばれたらしい。また、今でいうファッション・リーダーでもあり、細い腕をごまかすためにしていたひじまでの長い手袋は大流行になったとか。細い腕を隠すゥ。。。うらやましい〜〜〜。(笑)
  
  36歳の時に、自分の好きな芝居を存分にやりたいということで、コメディー・フランセーズを退団して独自の「サラ・ベルナール座」を設立します。フランスだけでなく、広くヨーロッパ、アメリカにまで名声をとどろかせ、当時の文人や芸術家達との交流も多く、色恋沙汰は豊富だったようです。みんな彼女のために宝石だの装飾品だのデザインしたり、肖像画を画いたり、ミューシャはサラに頼まれて芝居のポスターを画き(写真参照)、それがきっかけで一躍有名になったし、アール・ヌーボーの発展の一端となったといっても過言ではありません。
 
  どうやら色恋は男性だけでなく女性の恋人もいたらしい。そして、60歳を過ぎてもまるで20代のように若々しかったとか。うらやましい限りですなぁ〜〜。笑

  ちょっと変ったことに、サラはいつも棺桶に薔薇を配して寝ていたんですゥ。写真小さいけど載せました。遺体じゃないです、こうやって毎日寝てたらしい。 

  晩年は事故が元で片足を切断しましたが、義足をつけて76歳ごろまで精力的に演劇活動を続け、1923年に78歳の生涯を閉じました。ひとつの時代の終わりとして、パリ中が見送ったとされます。

         ********

  写真の花の向こう側、父が1957年にフランスとイタリアの能公演に参加した際に使用していた旅行カバンです。文化使節団ということで、日の丸のシールが貼ってありました。プロペラ機で南回りだったってェ。うへ〜〜。(笑)  そして、その時のパリ公演を行った劇場が、実は前述の「サラ・ベルナール座」だったのですゥ。パリの中心、ルーヴルとマレー地区間のシャトレ広場にあります。だから、庵主はものすごく小さい時から、サラ・ベルナールの話は聞かされておりました。昔は当然、日本でも知られてたんじゃないかな?

  
  15年ぐらい前には庵主もこのカバン持ってあちこち旅行しました。中はシルク張り、さすがにトメ具や皮の部分が傷んできて、現在はカバン業は引退(笑)、カリグラフィー用の紙類収納BOXとなってます。
 

 

マリアージュ・フレールに行ったのだ〜〜。

2004.06.28


  日本の人のほうが絶対によく知ってるフランス事情にブランドグルメ関係。(笑)どこそこのレストランがとか、お菓子が、お茶が、とか。服飾関係ももちろんそうなんだけれども、日本はいいとこ情報がありふれてるし、日本人は目先のことに贅沢なんですよ〜〜。フランス人は普段使うお金持ってないけど、ヴァカンスなんかにお金を賭けるのです。従って、本当にお金持ちの人だけがブランド物を消費するというわけ。

  そこで、先日、ゲイプライドの行き帰りに、パリのゲイのメッカであるマレー地区に行ったついでに、マリアージュ・フレールの本店にてお茶を購入しました〜。

  マレー地区というのは、ルーヴルとバスティーユの間にあって、古い地区です。建物も17世紀とか18世紀のものがすごく多い。ほとんどが文化財になってて傾いてる。(笑)そんな場所がいつの頃からかゲイの溜まり場のカフェやクラブやレストランができて、その他ちょっとした老舗や流行のブティックなんかあり、なんとなく気取った界隈になってます。この辺でレストランとかに入ると、周りはゲイばっかりで、そうじゃない人だけでうっかり入ると、これまた落着かないものです。経験ありぃ。(笑)

  さて、庵主なんかこのマリアージュ・フレールには日本へのお土産のためだけに、一年か二年にいっぺん位しか足を運ばないのだ。なんか気取ってて、落着かない雰囲気で、いかにもお金持ちそうなフランス人か日本人観光客が主な客層ですね。こういうところで何がいやかって、日本人だと思うと口をきくまでの態度がよろしくない。一旦口をきいてフランス語がちゃんとできれば態度は豹変します。エルメスとか全くそうなんだ、絶対行きたくないお店ナンバーワンだもんね〜。(爆)

  日本風だとマリアージュ兄弟社という感じなんですが、結婚のマリアージュじゃなくて人の苗字です。創業1854年だそうです。比較的最近まで、普通のフランス人は紅茶はあんまり飲む習慣なかったんです。紅茶を飲むなんて外国気取りのイメージだったかも。映画でジャン・ギャバンのセリフに「紅茶なんか誰が飲むかよ、俺はフランス人だぜ」というのがあったぐらい。何の映画だったけかなぁ。
  マリアージュはここフランスだってメチャクチャ高いんだけど、これが東京の銀座に行くと、うっへェ〜〜〜〜!!というぐらいにお高くなってます。ちょうど銀座に用事で行ったら、行った先のお隣なんだわ〜、東京支店。お茶ができる。覗いてぶったまげたんですゥ。(覗いただけ)パリ帰りの友人も、あ、マリアージュだ!とお茶して、お会計で腰が抜けそうになったって言ってたしぃ。(笑)

  しかし、マレー地区だけのことはあって、本店の店員さん、イケメンが揃ってました。ふふふ。

 

日本の果物はなぜ高いか?

2004.06.27


いつの頃からそうなったんでしょうかね〜。
昔は柿は子供が盗むものな〜〜んちゃって、ご近所のをもぎ取って食べちゃう。笑

   果物だけじゃない、野菜にしても、とにかくまず形が綺麗に揃っていないと売り物にならない。そうじゃないと買わない消費者の態度にも問題あると思いますが...笑 日本ぐらいですね、み〜んな同じ形に揃ってるなんて。

   今日の朝市で買ったサクランボ、いろんな形のが入ってます。今朝のお値段はこれは1kgが3ユーロぐらい。だいたい\350前後です。これより安いのもあったけど、小ぶりで傷が多かった。

   日本では贈答用なんていって品種改良して高級品化してしまい、さらに形を揃えるということで日夜お金も手間隙も存分にかけているんですね〜。それに比べたら、こちらはせいぜい虫や鳥に食われなければいいような程度ですから、形はどうだっておいしい実を付ける木になったものなら、お味は同じで美味しいわけです。それに棚に山積みしてつかみ取りで売ってるんだし、日本のように化粧箱に入ったりしないのだぁ。包装代もばかにならないですしねェ。

   パリに着いたばかりの頃、果物屋さんでしおれたリンゴを見てショックを受けたことがありました。なんでこんなもの売ってるんだぁ〜〜〜〜ッ!?それも同じ値段で。カルチャーショック!! だって、庵主は子供の頃から、季節になると秋田からいっぱいリンゴが届いて、つやつやと香り豊かな美味しいりんごのイメージしかなかったんです。それが、なんと!シワシワだぁ〜〜〜。

   果物屋さん曰く、しおれてたって、タルトだのコンポートだのにすればいいんだから、リンゴにゃ変りがないし、構わないんだって。う〜〜〜ん。フランス人理解しがたし。(ーー;) 生で食いたきゃ、シワじゃないの買いなっつうことだわなぁ。
巴里生活レッスン1でありました。(笑)

   ま、それ以来、生食用にはリンゴはなかなか買えない症候群になっていたのですが、最近、日本の富士種が栽培されるようになって、FUJIだったら安心して買ってます。他はね〜フカフカだったり渋みが強かったり。火を通すんだったら問題ないんだけどォ。

   で、今日のサクランボ。完熟は甘味ほどよく、その手前は実が適当に引き締まってジューシーでおいしい〜〜。(^_^)v 写真の変なカッコのもお味は一緒で〜す。でも、さすが、いつかのあの日のように1kgぺロリっつうわけにはいきません。(笑) 

 

オニイサン達、オネエサン達、みんな仲良くゥ〜

2004.06.26


今日はゲイプライドでした〜!!

  え?何それ?っていう方が日本にはきっと多いと思います。
毎年だいたい6月最終の週末に世界中のあちこちで行われています。調べてみたら、ちゃんと日本でもあるんですよォ。

  もともと1970年にアメリカ・ニューヨークで第1回ゲイ・プライドマーチが行われてから世界中に広がったもので、日本では1994年にレズビアン・ゲイを主体とするパレードが東京で行われたそうな。1996年には札幌でもセクシュアル・マイノリティのパレードが開催され、毎年行われているようです。
  アメリカでは2000年6月に、当時のクリントン大統領が6月をゲイプライドの月だと米国大統領としては初めて明言したことで話題になったとか。

  1978年のサンフランシスコでのパレードで、初めて同性愛者のシンボルとして「レインボー」の旗が用いられて以来、その旗は広くセクシャル・マイノリティの運動で使用されています。赤、オレンジ、黄、緑、青、紫の6色からなる虹色の旗は、多様性を認めあい調和を意味するものなんだと。

  今年のパリのゲイプライドは政治色がちょっぴり。というのは、今月頭に初めて男性のゲイのカップルの結婚を施行し、執り行った市長さんは一応現在停職食らってます。でも、指示する人も多く、政治家も多くパレードに参加してました。

  もう今日は無礼講で、日も高いうちからゲイのカップルが手をつないで仲良く歩いてたって、誰も見向きもしな〜い。庵主はここぞとばかり、普段目立たないレズのカップル達、ジロジロ見ちゃった〜〜。女性は男性ほど目立たないんですよね。でも今日はいっぱい。中の良さそうな男女のカップルだって、なんかレズとホモの仲良しみたいに見えちゃうしィ。笑 

  去年はうっかりデジカメを持参していなくてネットから写真を拝借したんですが、今年はバッチリ撮影致しました。と、いってもパレードの最後の最後。それでもものすごく盛り上がっていて、バスティーユ広場に向けて人の群れ。そして、カメラを向けると頼まなくったって、みんなカッコよくポーズをつけてくれました〜。(^_^)v

  ひと休みしたカフェに飾り付けてあったレインボーの風船と旗、南米出身と思われる「オネエサマ」(横であっけに取られてる普通のオッサン・爆)にYMCA〜♪みたいなオニイサンのカップル。バス停にまで乗っかって踊る人たちなどなど。


  そして、今日で庵主は巴里滞在28年目に突入いたしました〜。

 

とりあえず写真だけ+アトリエ・オープン

2004.06.25

なんか疲れちゃった〜。
今日はカリグラフィー協会のアトリエで夏休み前のパーティーがあり、その後、何人かでご飯食べに行って、なんか疲れた〜〜〜。

フランスはサッカー、負けました。(ToT)/~~~

アトリエの窓からの景色。
明日は写真変えま〜す。
場所はバスティーユのオペラ座の裏ですゥ。

↑この写真、日記ちゃんと更新につき、ひっこめまぁす。また後日。

            **********

   フランスはどこもかしこも夏休みモードに入ってきました。日本だと師走みたいな感じ。これで一年の閉めくくりです。テレビの番組も夏休みはヴァカンス編成になるので、通常の番組は今週いっぱいでみんな一旦終了です。

   庵主が会員になっているカリグラフィー協会のSCRIPSITスクリプシットも恒例のアトリエ・オープン。ここに習いに来ている生徒の作品展とオリジナルのカリグラフィーグッズの販売。この商品は通信販売オンリーなので、どこのお店にも卸していないものです。これは近々日記で紹介予定。

   毎年生徒の作品にはテーマを決めていて、今年は「アフリカと四季」でした。アフリカに関するテキストやデザイン、四季に関するものなど、それぞれのレベルに合わせて個性的な作品が並んでいました。写真はほんの一部です。

   簡単なつまみや食前酒やワインなどをちびちびやりながら、8時までなんていうのも9時を過ぎてしまい、残ったものでお片付けして近所のクルド料理屋さんに繰り出し。「トロイの馬」という、なんとオンタイムな名前のレストラン。(^_^)v
ボーイさんはちょっとたくましい感じで長い黒髪をなびかせて精悍な感じでしたぁ。庵主はトルコビールに今日のお勧めの子羊の煮込みを頂いて、お肉がすごく柔かくてお野菜もたっぷりで満足。
 
   しばらくしたら、サッカーでフランスが負けたんでそれを祝して(!!)、お店から食後酒をサービスしますって言う。え〜、負けちゃったんですかぁ?という具合で、しっかりご馳走になりました。(笑) 途中で道からオタケビが聞こえたりしたんですがねェ、どうも試合が終わってから食べに来たと思われるお客さんたち、浮かない顔してたのよね〜。

 

「葡萄牙」読めますか?葡萄に牙が生えてるんだろうか?笑

2004.06.24

  一日中吹きまくっていた暴風も、一晩明けたら治まりましたが、外の気温は少し上がったというのに、部屋の中は冷え切ってた1日。石の建物ってな〜、一度冷えると当分そのままだしなぁ。ということで、暖房つけるのはちょっと、と思い、冬のように何枚も着込んで、厚いセーターにすっぽり包まれ、ホカロン貼った庵主です。ネットするには手袋もしてたんだ。一応外の気温は20度ぐらいはあったと思います。

          ************

  今日はサッカー欧州選手権の準々決勝一試合目で、イギリス対ポルトガル。今さっき試合が終わったところです。ポルトガルが準決勝進出。面白かった〜〜。写真はネットで拾ったもので、ポルトガルが後半一点決めたところ。

  最初、どっちを応援しようかな?と迷ったけれど、今回の開催地のポルトガルを応援することに。前半、すぐにイギリスが一点入れて、ポルトガルはいいとこ行ってるんだけど、イマイチ、パンチのないプレーのまま後半へ。途中でポルトガルが点を入れて同点。だんだん面白くなってきたぞ〜〜〜っていう感じで、きゃあきゃあ言いながら試合観戦。(^^ゞ 

  結局、延長戦になりました。今回、準々決勝では延長前半15分、後半15分きっちりやる試合方法。ここで俄然パワーを増してすっごくポルトガルが頑張ったのだ。動きもチームプレーもバッチリ、片やイギリスは押されちゃってお疲れ気味。でも、後半にそれぞれ点を入れてまた同点。なんかフランスの試合と違って、ご近所静かだなぁ?まるで庵主ひとりできゃ〜きゃ〜言ってるみたいわぁ。(^^ゞ
  
  いよいよPK戦。イギリスはPK戦苦手チームらしい。で、最初がベッカム。ぎゃははは〜〜〜、何やってんのよ〜〜〜というお粗末くんをしてくれました。しかし、このPK戦も同点でドッキドキ。イギリス人失敗したのだ。ポルトガルはGKが最後に出てきてキックに成功!! 受けたり蹴ったり大活躍でした〜。

  ドイツやイタリアが既にいなくなっちゃって、今日はイギリスも負けちゃった。フランス頑張れ!明日、ギリシャと対戦です。 ご近所、うるさいだろ〜な〜。一緒に騒いじゃお〜〜〜!!(^_^)v

 

さくらんぼ

2004.06.23

    一日中、すご〜〜〜い風。ガタガタ、コロコロとびゅ〜びゅ〜風が吹くたびになんかが飛び交っている音のしっぱなしでした。道には街路樹の無残にも引きちぎられた枝が散乱。夜になって少しは治まったものの、時々ガタガタ。高層アパートの並ぶ中華街はビル風が恐ろしいので、買い物にも行けやしない。(>_<) また髪の毛がメデューサになって飛ばされちゃう〜〜〜。笑

    そこで意を決して並びのスーパーへお使いに走ろうとしたら、追い風で走らなくても押されてしまいました。(^^ゞ
値段が落着くのを待っていた「さくらんぼ」をついに購入。随分安くなってきたぁ。なんか今年はなかなか値が下がらなかったのです。

    ヨーロッパのサクランボはダークチェリーの品種が普通で、日本のさくらんぼは「ナポレオン」とかいう品種が近いですが滅多に見かけません。今では日本でもアメリカからダークチェリーが輸入されて、果物屋さんでも普通にみかけるようだけど、庵主がパリに来た頃は、まだ日本ではこんなサクランボは見たことがなかった。ちょうど今頃の時期にパリに着いて、まづ、フランボワーズなるものを食す。これはラズベリー。う〜ん、ジャムでは知ってたけど生の果物をむしゃむしゃ食べるなんてェ。と、感激に浸るか浸らぬうちに、目にしてびっくりしたのがサクランボ。食べてみた〜〜〜い!!と思うのは至極当然の成り行き。

    でも、なかなか機会がなくて早くしないと時期を逃しそうになったある日、今しかない!と、大学の近くの果物屋さんで1kg買ったのでした。1kgも買ったから、紙袋じゃなくて可愛いボール紙の箱に入れてくれました。印象深くて、つまらないことをよく覚えているのだ。(笑) そして寮に帰りながらつまみ出し、部屋に着いてから「止められない、とまらない」になり、気がついたら1kg全部食べちゃった庵主。(爆) きゃははは〜。おなか壊したぁ。(>_<) でも、美味しかったんだもんね〜。初めてだったしィ〜。

    実は、こういう経験のあるのは庵主ばかりでないことが、後年になって判明しました。日本人の友人に結構おんなじおバカをしてる人がいたんですゥ。

    今日のサクランボはお味はまあまあ合格。食べ始めるとついつい止まらないのは、今でも似たようなもんだけど、さすがに一気に1kgはぁ...(爆) 食べちゃう前に、あわてて証拠写真撮りました。アンティークのサンルイのシャンペングラスに入れて気取ってみました。どうです?美味しそうかな?

 

金魚すくいのおじさんて、なんかぶっきらぼうだった。

2004.06.22

  相変わらず天気がすっきりせず、気温も低い毎日です。20度切ってます。(>_<) 雨が降ったり止んだりの繰り返しでいつもより湿度があります。肌寒くて湿気があるのは体が心から冷えそ〜。夜半に入ってパリは雨脚がつよくなっています。東京あたりは暑かったみたいですねェ。

  今日は朝から夕方まで出張レッスンで、ミラボー橋を渡ったり凱旋門の向こう側へ行ったり。明日から夏のバーゲンが始まるのでその準備をしているお店があちこちにありました。ゥ〜ん、手元不如意であぁる。(^^ゞ


        *************

  昨日はちょっとしたサプライズ! みつ豆さんから「なつかし情景シリーズ」の「縁日」などが届いたんです。\(^o^)/縁日は6種類あって、先ほど「金魚すくい」を組み立ててみました。ふふふ、たのちィ〜〜。先日、友人が当庵にどんどんミニ置物が増えているので、こっちは地震がないし、揺れて落ちる心配はないから棚をしつらえて、特別コーナーを設けたらいいんじゃないか?って言ってたところでした。真剣に考えてるゥ。(笑)

  最近の金魚すくいって昔みたいに紙じゃなくて、最中の皮みたいなのですぐフニャっと破けちゃうんだなぁ。紙だと少し破けて残った部分でもすくえたんだけど、最中の親戚じゃダメなのよねェ。とか、黒い出目金は翌日になると水槽でさかさまになっちゃって、すぐ死んじゃうんだぁ。そういう風に言われても、どうしてもすくった出目金を持って帰りたくて、翌日さようなら〜だったなぁとか思い出した庵主。

  こちらの移動遊園地なんかの縁日の様子、今度写真に撮ってみよう。7月はたぶんルーヴル脇の公園に遊園地が来ると思います。金魚すくいやたこ焼きはないけどな〜。笑

 

FETE DE LA MUSIQUE

2004.06.21


写真だけでとりあえず、おさぼりしちゃいましたが...

6月21日は夏至ということで、一番日が長いで「音楽の祭典」の日です。23年前に当時のパリ市長だったシラク現大統領が始めた催しです。

全国的にいろんなところで、プロアマ混じっていろんな音楽をやっています。大きな広場では野外コンサートとか。パリ祭のように踊れたりもするし。今年はエッフェル塔付近でテレビ局主催の野外コンサートなんかもありました。

写真は昼間、国立図書館の中庭の様子。すぐ脇の映画館に行ったので、その際にちょっと覗いてみました。

 

「お父さん、いつもありがとう、愛してます」なんて言ったことありますゥ?

2004.06.20

   父の日ってなんかしいたげられてる気がするんですが...(笑)。今日はこちらは父の日でした。「カッコイイおとうさん万歳!」みたいなどっかの宣伝ポスターもないしィ。

   昨日の背筋を酷使した成果は、やはり思ったほどでなく、やはり、明日が恐ろしいかと...う〜ん。筋肉痛と脂肪燃焼が比例してくれるとうれしいところ、なんて考えたりして、そんなこたぁないんだけど。爆

   夕方、リヤンとアントニーが中華街で買い物するので、そのあと一緒にご飯食べようと電話があり、近所のレストランで待ち合わせ。そこはかなり遅くまでやっていて、中華のコックさんたちが仕事帰りに食事するというお店。かなり流行ってます。店内の壁には赤い紙にずらっと中国語でお品書きがならんでいて、中には当然フランス語のメニューに載ってないのもあるのだ。今夜はリヤンのお勧めで日替わりスープ(漢方薬を煮詰めたような真っ黒いスープ)、韮心(ニラの茎)と豚の燻製炒め、蒸し鶏、ムール貝が入った揚げお好み焼きみたいなのを食べました。デザートは台湾で流行ったとかいうミルクプリンみたいなの。おなかいっぱ〜〜い。

   アントニーと話をするといつも面白い。いろんな話をしたけれど、父親と娘の間のコミュニケーション、愛情表現の話になった。日本でも中国でもいちいち「好きだ」とか「愛してる」とか言わない。だからそれをどうやって表現して相手に伝えるのか?親子間じゃなくたって、どういう間柄でも同じだけど、思いやりや行為で表すというのが東洋人の習慣。例えば、庵主がフランスに行って勉強したいというのを、何も言わずにサポートしてくれたような、そういう行為でじゅうぶん父親の愛情は伝わるわけです。「元気か?」とかそういう言葉の中に、愛しているという意味も含んでいるわけで、それが欧米の言語になると、いちいち、「元気か?」と「愛してる」を両方言わないとわかんない。七面倒くさいのである。(笑) 一を聞いて十を知ることができない西洋人、何も言わなくても以心伝心で判っちゃう東洋人。これでずっといまだに苦労してます。三つ子の魂百までって本当ですよ。とほほ。  

 

背筋を酷使....へたぁ〜〜〜〜。爆

2004.06.19

   午前中から郊外の友人夫妻の引越しのお手伝い。う〜ん、これも久しぶりだわ。10年位前に彼らの引越しをやっぱり手伝って、今回はアパート買い換えての引越し。10年経つとね〜、お手伝い要員もそれだけ年かさが増しました〜。爆 まづ荷造りにパワーが減少したと言ってたし、いつも一番重くて難儀させられる洗濯機は、本当に大変そうでした。前はもっとエネルギッシュだったなぁ〜〜。(^^ゞ  
   今回は早朝組み、午前組み、午後組みと自然にローテーションが組まれていて、それもなんか年齢を感じさせられましたぁ。笑 庵主は午前組み。

   さて、筋肉痛はいつやってくるかしら〜ん。明日かな?あさってだろ〜なぁ、きっと。爆


        ************

   昨日モンマルトルで写真撮ってよかったぁ。13区と違って、いかにも巴里って感じかな? 
   
   メトロは「ラマルク・コーランクール」という駅で、丘の中腹に位置しているので、メトロを降りてからエレベーターに乗って出口まで。そのあと、坂道だけじゃなく階段の道もいっぱいあります。写真はメトロを出て階段の道を登ったところと、次に登った階段。ここを登ると、昨日の写真のところに出ます。   

 

モンマルトルの夜は更けず

2004.06.18


今日は久しぶりにモンマルトルへ〜。本当にひさしぶり〜〜。

  俳句会でごいっしょのTさんの絵の展覧会でした。今日は急に涼しくなって曇り気味。でも今が一番日が長い季節なので画廊の入り口のお庭で簡単パーティー。手違いがあってちょっと仕出しののり巻の配達が遅れましたが、待っている間、展覧会に見えていた俳句仲間でシャンソン歌手のCさんが素敵な歌を歌ってくださり、みんな得しちゃった感じィ。

  場所はモンマルトルのサクレクール寺院の裏側にあたるところで、メトロを降りて少し丘を登るとサクレクールがちょっと頭を覗かせました。ここはダリダ広場から撮った景色。ダリダはエジプト出身の元ミスエジプトの歌手でしたが、15年ぐらい前かな?突然自殺しちゃった人。昔、アラン・ドロンとパローレを歌った人です。ま、彼女の話はまた別の機会に。

 

消えたおんな

2004.06.17


   「今日は何の日」のようなものをネットで検索していると、結構面白い出来事にであったりする。今日、6月17日は原節子が引退した日なんだと。時は1962年、42歳でした。う〜ん、映画で観る原節子さん、今の庵主よりお若かったんだわ...。(笑)

    何で引退したかというと、容貌の衰えを見せたくないとのことで、あっさりきっぱり銀幕からも世間からもその姿を隠してしまいました。スキャンダルも何もなく。俗に言う「おしっこなんかする訳ない」女優さんのひとり。(笑)昔はそうだったんです! 聞くところによると、小津安二郎監督とは周知の間柄で、小津さんは心底節子さんが好きだったとのこと。その小津監督は1963年、60歳の自身の誕生日に亡くなっています。なんでもその小津監督が眠る鎌倉の方に節子さんはご健在なんだと思う。

    庵主が物心着く頃に引退しましたから、すでに伝説の女優さんでしたが、美人の代名詞のように大人の女性の会話にはしばしば登場しておりましたねェ。それが、巴里で小津の映画がかなりブレークして、映画館やテレビでしょっちゅう特集や上映しているので、こちらではすっかりお馴染みになりました。先日買った小津のDVDにも、付録のドキュメントに「消えた原節子」などどいうのがあるぐらいです。

    原節子は1920年に横浜生まれで、義兄(フランスのドキュメントではおじさんと言ってるけど)が日活の監督ということで、勧められて子供の頃に銀幕デビューしています。写真の女学生姿の右が15歳の節子さん。美しい〜。あまりパッとしたキャリアではなかったようですが、1936年の日独合作映画「新しき土」の主役に抜擢され、ベルリンで開催された国際映画祭に振袖姿で壇上にあがり注目を浴び一躍国際女優に。しかし残念ながら第二次大戦勃発。日本に戻り、やはり映画史に残る活躍は戦後になってからです。黒澤明の「青春に悔いなし」あたりから。そして小津監督との出会いで立て続けに彼の作品に出演しました。途中も黒澤明の「白痴」(ドストエフスキー原作)に出演したりして、この原節子は嫌な女を演じてちょっと雰囲気違う。彼女のバタ臭い容貌がぴったりの感じでした。

    そう、ものすごくバタ臭い顔なんですよね〜。目がパッチリで鼻がしっかり大きくて。しかし、このお鼻、本来の日本人の鼻なんじゃないかなぁと思っています。だって、能面の女性の鼻、こういう風にしっかり大きいですもの。下の写真もかなりお若い頃のだと思います。  

 

うちの戸だなはボロくて、なんでもなくても開いちゃうのだ。

2004.06.16


    韓国には「薔花紅蓮伝」という怖くて悲しい古典があるそうですが、その話をもとにして作られたのが「A TALE OF TWO SISTERS―薔花・紅蓮 」という映画。出典のストーリーは、仲良し姉妹が継母の謀略にはまって無念の死をとげ、怨霊になるという内容だそうですが、今回の新しい映画も二人姉妹と継母が登場。なんでも邦題は「箪笥」だとか。ふふふふ〜〜。

    フランスでは今日から公開でした。早速うちの近所のゲタ履き映画館へ。映画祭で大賞とったりなんたりでも、どちらかというとマイナーな雰囲気ですから、上映室は小さ目をあてがわれておりました。ま、そんなもんでしょう。わりとギリギリに行ったつもりがちょっと早めに着き、上映室に入ってみてありゃりゃ〜〜。フランス人の場違いな感じのオッサン一人。(笑)げ〜〜〜、映画よりこっちの方が怖いかもォ。(^^ゞ しばらくしたら入ってきた人もオッサン。(ーー;) それから5分以上、ただただBGMが流れるばかりで、庵主は内心、ったくも〜〜〜。なんでこうなんだよ〜〜〜!! 宣伝フィルムが始まる頃に、やっとパラパラと何人か入ってきて、ほッ。なんか変なヒトだと嫌ですからね〜〜。(笑)

    さて、肝心の映画ですが、フランスのサイトでちょっと怖いシーンなど予習してあったので、そんなにビックリすることもなく、でも、やっぱりこんなの怖いな〜〜〜なんて思いつつ。出てくるところにはちゃんと出てくる。(笑) 
   
    お父さんに連れられて娘二人が郊外の一軒家にやってくると、そこには継母が待っている。娘達はすごく嫌がってて、継母もそれが判っている。しだいに険悪なムード、娘達が見る悪夢、奇怪な出来事、なぜか父親は寄らず触らずっぽい。そしてだんだんいろんなことが...。
    二人姉妹を演ずる若い女優さんたちは可愛くて上手だし、継母はエキセントリックで怖い。お父さんは傍観者でぼ〜っという具合に演じられていてなかなかです。あのね、お話あんまり書くと、完璧ねたバレになってしまうので、書けないんですが。ま、なんで邦題が「箪笥」かといいますと、その箪笥に悲話の発端が隠されているんです。なかなか旨い邦題を考えたもんだ。その扉がす〜っと開くと。。。。。。

    日本では号泣作品なんていってるし、試写会でもキャ〜キャ〜悲鳴が上がったとかですが、そういうことは全くなかったです。たった数人の観客だしなぁ、こういう手合いの映画が好きな人が見に来てるんだろうから、そう騒ぎはしないというもの。号泣に関しては、この表現オーバーな気がするなぁ。悲しいですけどね、本当に可愛そうなお話ですが、庵主は先日見た「仄暗い水の底から」の方が涙をそそられましたねェ。

    というのは、途中から「なぜ?」、「どうなってんの?」という疑問が盛り上がってきて、悲しいとか怖いとかよりも???だったんです。はははは。これ以上はよしとこォ。

    さっき検索してて判明したのですが、舞台になっているソウル郊外の古い一軒家というのは、今回の撮影のために建てたものだそうで、旧日本建築風の家で、ちょっと中は洋館風。襖や障子の替わりに木の引き戸になっていたりして、そういう内装も面白かったです。装飾なんかかなり凝ったそうで、映像としてはきれいでした。だからかえって恐ろしかったり。

    今日はこれから内容の復習してみないとなぁ。いっぱい疑問を抱えてます。多分、もう一回見ないと判んないかもォ。

    みつ豆さんが掲示板で日本の公式サイトのアドレスを入れてくれましたので、興味のある方はそちらもご覧ください。日本では7月末が公開予定です。 

 

19世紀の庶民の生活 その2

2004.06.15

  今日は昨日の未来都市よりまたまた19世紀にタイムスリップ。案外評判だったので、ご近所であった19世紀祭りの写真をばもう少し。
  糸つむぎのおばあさん。この方、なんか19世紀からずっとつむいでるまんまのようですが、現在のお方です。(爆)羊のかった毛をこうやって糸につむいでいます。

  下の写真はノルマンディーの籠細工。こんな籠にリンゴを入れて...どうでしょうか?今ならさくらんぼかな?


  そうして、この19世紀にスリップしてしまった、未来都市の都立クロマティ高校の1年5組メカ沢くんの登場〜〜〜。爆
判る方はおおいに笑ってください!!

  

 

未来都市に舞い降りたフレディ〜

2004.06.14

 日本ではドラマのテーマ曲に使われたということで、再びQUEEN旋風が舞い起こっているとか。以前から日本ではスゴイ人気だったんですね〜。こっちではどの程度だったかなぁ?あんまり記憶ないな。TVではしょっちゅう見かけてたから、それなりの人気だったはず。

   で、ネットのお友だちの中にも結構フレディーファンがいることが判明。実はすごく驚いてます。80年代の日本の情報ってとっても少ないので、そうだったのかぁ〜〜なんて。当時はネットは影も形も当然ないし、CDが普及し始めたのは日本よりぐんと遅れてるし、ビデオだってそうだし。庵主なんか80年代前半はテレビ白黒でした。爆 留守電がやっとで、家庭用FAXというのがこちらでは普及していなかったから(結局いまだにそれはそのまま)、帰国の途中でわざわざ香港で日本製の格安を買ってきたりしたし。
  
   といった、今から思うと石器時代のような状況から、一転、ネット環境になって世界中といつでも繋がっていられる。最近、電話も殆ど使うことなくて、人との連絡もメールが中心。せっかく某日系電話会社の安いサービスに加入したのに、申し訳ないぐらい電話使ってない。(^^ゞ そのうち、お客様は使用料が極端に少ないので解約させてくださいって言われそうだわ。爆

   で、フレディーの話に戻して、と。今日、ネットの友人のひとりが、「魁!!クロマティ高校」というアニメのDVDを送ってくれました〜!!(^_^)v ほィっとEMSメールという国際宅急便みたいので郵便局から送ってくれて、2日で届いちゃう。今回は週末挟んだのでその分時間かかったけど。それでも、じゃあ、送るからね、ですぐ手元に。我々は小さい時から夢見ていた未来都市に生活しているのだ!爆
  
   この漫画、なんだかよく判んないのだけど、不良でアホなコばかりがいる都立高校(爆)の話で、なぜか1年5組にフレディーがいるのです。どうやら作者がファンらしいけど。それに庵主が中学の頃ファンだった吉田拓郎がテーマソングを歌ってて、中のエピソードにもちょっと登場するのだ。本当は雑誌の連載が元で、それがTVでアニメとして放送されたようですが、アニメといってもあまり動きがなく、昔見たTV版「ゴルゴ13」のような感じィ。これも笑える。笑 最近のは面白さが判らずに笑えないのでは?と至極不安だったのですが、そんなことはゼ〜ンゼンなくって、おなか抱えて笑ってます。
   Bさん、めるし〜〜〜!!
   

 

あっちで楽しんでるかな?

2004.06.13

    今さっき欧州サッカー杯の英仏戦が終わったところ。イギリスが1点前半でとって、後半残りもあとわずかというところに、ジダンが1点、そのあとペナルティーがあってジダンが再び。近所中、うォ〜〜〜〜〜ッ!!!というオタケビ。爆 そして試合終了となりました。ベッカムくんの負け〜〜。(笑)

    庵主には今日はある記念日でした。友人の命日。気付いたらもう15年になるんです。時間の経つのは本当に早いですね〜。この人はアメリカ人ですが子供の頃からフランスで音楽学校に通い、天才的、バッハの再来とまで言われたクラヴサン(チェンバロ)奏者でした。

    庵主が知り合った頃は普段はちっとも練習しないで猫や大好きな蘭の花の世話、南仏の自宅には温室まであったのだ。譜面はみんな頭に入ってて、血となり肉になっていたのだ。

    初めて紹介されて会ったのはパリの植物園のジンジャーフラワーの前。いきなり花の前にひざまずいて、あ〜〜なんていい香りなの!!って。(笑)そして庵主に挨拶もしないうちから、嗅いでご覧よ、いい匂いでしょ? ぬぁんだコイツはぁぁ!!という具合でした。ちょっとは緊張してたんですよね、ワタクシ。話にはいつも聞かされて、かなり変人っぽいなぁなんて想像してたんですもの。それになんたって天才ですしィ。近寄りがたいかな?なんて。
    
    コンサートの時は革ジャン(これ、庵主が形見に貰いました)にGパン、サンダル履きなんていう様子で舞台に上がり、譜面なしでひょいっとやってきて、さらっと弾いて、それでも聴衆の息が止まりそうなすばらしい演奏でした。彼が弾きだすと、鍵盤と指先が一体になって、天から音が降りてくるような、時には天に音が舞い上がってゆくような、今でもCDを聴くと胸がドキドキしたりします。

    そんな人が、今、日本では人気再爆発の某フレディーさんと同じ病気にかかりまして、当時は治療も試行錯誤がはじまったばかり、情報も非常に少なく、お医者さんだってよく判ってなかった。そういう状況の中で、最後までそばに残ったわずかなものだけでお世話して看取りました。享年38歳。あれから15年か。

写真はレコーディングスタジオにてプロが撮ったもので、まだ元気だった頃。部屋に飾ってあります。

残してくれたCDでいつでも彼の演奏が聴けるのは幸い。

MERCI et AMUSE-TOI BIEN LA-HAUT, SCOTT, BISOUS.

 

ちょっとだけタイムスリップ

2004.06.12

   今日・明日とル・マンの24時間レースです。10年位前に、日本のチームのプレスルームなんかの通訳や雑用やったことあった庵主。レースの車の音ってすごいです。ル・マンは24時間たっぷりィ。その前の試しも含めるともっとか。スゴイ音でビックリしたけど、すぐに耳はマヒしましたぁ。コックピットの音も緊張感で独特だったな。明日はカナダでF1。日本人頑張ってるんですよね。
   
             ***********
    
   午後、ちょっと近所の「鶉ヶ丘」へタイムスリップ。

   19世紀祭りのポスターが管理人室に貼ってあったので出かけて見ました。19世紀の日常生活を再現とかいうおいしそうな内容だったのですが、それ程でもなかったなぁ。笑 
   
   でも、当時の歌やフレンチカンカンの実演とか、今ではすたれてしまった縄職人、石炭屋さんなどちょこちょこ。洗濯も昔風に大きなたらいとマルセイユ石鹸でごしごしやって、子供が参加できるようになってました。その他、今でも伝わっているレース編みやノルマンディーの籠づくり、ウールつむぎの実演も。

   1920年ぐらいまでは、この界隈には川が流れていて、染物、皮革製品などいろんな職人街だったのですが、その廃棄物をどんどん川に捨てていて臭くて大変だったそうです。それが原因で川を埋め立てて区画整理し、今ではすっかりコジャレタ住宅地になっています。この鶉ヶ丘は庵主が勝手に訳して命名したのですが、BUTTE AUX CAILLES ビュットオカイユといって、カイユはウズラのことだからです。しかし、実はウズラとは何の関係もなく、カイユというのはこの土地の昔の所有者の名前だそうな。

   洗濯している女性の傍らにある立方体の物体がマルセイユ石鹸。17世紀にフランスのルイ14世が定めた製法で伝統職人の手作りのみで今でも作られています。化学的なものは一切含まれておらず、成分はプロヴァンス地方の良質な天然オリーブ油とパーム油などに、地中海の海水に塩などが成分の100%天然自然。皮でも顔でもなんでも洗えます。お肌にやさしくアレルギー体質の方にはお勧め。    

 

暑くなると欲しいものに...

2004.06.11


マロニエの花が散って、実が付き始めました。
いがいがのちいちゃいのです。これがどんどん大きくなって秋になるとぱ〜んとはじけるのです。その時は当たると痛い。笑

             **********


   ここ数日、ネットの友人達と怖い話が話題に。(笑)今日は涼しくなってきたものの、パリはちょっと暑い日が続いて、なんとなく怪談映画が恋しくなってた庵主。そんな話から、フランスにはどんな怪談があるか?と聞かれて、???。ないわけじゃないけれど、ある!あるゥ〜〜〜!!!っていう感じじゃないんですよねェ。お化け屋敷の話とか、幽霊トンネルとか、首なしライダーとか、ちっとも聞かない。普通に言の葉に乗らないんだなぁ。いつの頃からか、古城に住まう甲冑を身につけた幽霊はイギリスやスコットランドが多い。スコットランドはあの不死身のハイランダー発祥の地ですしね。歴史が古いのだ。

   昨日、庵主が他のものと一緒につい買ってしまったDVDは中田秀夫の「仄暗い水の底から」。近所のゲタ履き映画館でやってたのに観にいかなかったんだけど、話に聞くと結構怖そうなので、ちょうどあったので買っちゃった〜。笑 フランスのジェラールメール・ファンタスティック映画際で大賞獲ってるんですね。その際はジャクリーヌ・ビセットが審査委員長でした。
   
   このDVDに映画祭に向かう監督に密着してのドキュメントなど結構ついていて、その中にフランスの映画評論家によるインタビューがありました。結構長いインタビューの最後に、評論家が、「最近の面白いホラー映画は、その殆どが日本、中国、韓国、タイ、香港のアジア諸国で、これはいったいどういうことなんでしょう?」って。そうなのね〜。聞かれた監督、う〜〜ん、ちっと考えさせてください!って笑ってました。そしてその返答は...。
   どのアジアの国も、中国に古〜くからある狐狸妖怪、怪談話が伝承されて根付いており、その古いものと、現代のハイテクの社会との併合を旨く表現できているからではないか?とのことでした。うんうん、庵主もそう思うのだ。形を変えながらも私たちの生活の中に風習としてしっかり根付いているんですよね。だって黒沢清の「回路」とか中田秀夫の「リング」とか、ハイテク素材が媒体になってるけど、本質は古来からの怖いものだし。あとは、恐らく気候風土、民間信仰、宗教などの関係から、情念・怨念といった素質が非常に濃い。(恨み節だぁ〜〜。笑)
   
   そこに持ってくると、西洋はキリスト教にそれまでの民間信仰など踏み潰されてしまって影を潜めてしまったわけです。わずかにハロウィンなんか残っているばかり。これはケルト文化の名残ですからね。スコットランドなんてまさにケルト文化だし。
仏教だと輪廻転生の概念が備わってるから、一度死んでも舞い戻って当たり前みたいだし、神道では死ねば皆、神様ですが、西洋人は死んだ人が戻ってくるのは悪魔の力を借りてるみたいな雰囲気なのだ。小説や映画だってそういうの多いでしょう。こういうところにも違いがあるような気がします。

   パリで有名な怖い話、ないかな?ルーヴル宮殿やヴェルサイユ宮殿を彷徨うマリー・アントワネットの話はないわけでもないけど。以前に読んだパリの噂話のような本には昔の怖い話や言い伝えがいくつか載っていましたが、著者のあとがきに、こういう話が廃れてしまったのには、昔は教会が庶民の信仰を高めるためにわざと怖い話を流布したらしいこと、だからその教会の影響力の衰退、さらに、パリがよっぽど危ない町であった(昔はそうなんです)というイメージを払拭したいという気持ちと、19世紀のオスマンの都市計画によってその怖いパリがきれいに整備されてしまったことが要因かもとのこと。薄汚くってなんとなく妖しい匂いの裏道とか消えていったんですねェ。
   
   でも、大昔にはいたんです。「赤いマントとの男」「彷徨う僧侶」「しゃべる井戸」とか、深川御伽草子みたいな感じに。みんなどこへ行っちゃったんだろう。いるはずなんだけどなぁ。こんな世の中、出る気もうせたのかな?笑   

 

時 - ルイ17世の心臓

2004.06.10

   6月10日といえば「時の記念日」。調べてみたら、「日本書紀」に太陽暦に直した671年のこの日(旧暦では4月25日)、漏刻(水時計)を使って時を知らせたという記述があり、これが日本で記述されている最古の時計であることから、1920年(大正9)に制定されたそうです。
   そういえば幼稚園の時に、時の記念日ということで時計の絵を描いたなぁ。あの頃は時計というとどんな小さな子でも柱時計や鳩時計の絵が多かった。うちにも鳩時計がありました。懐かしい。

   今の子供は統計の文字盤が読めない。殆どがデジタル表示だから。例えば10:45とか。9:23とか。だから10:45を11時15分前といったり、9:23を9時半まであと7分とかいうのがダメなのだ。庵主が小さい頃、時計がなかなか読めなくて、随分と母に叱られたのに比べたら、えらい違い!!笑

   コロンボのシリーズにも、デジタル表示の腕時計が出始めた頃に、証言者が何時何分にここを出たといったのに、コロンボが疑問を抱くというエピソードがありました。

   時計といえば、「遅れちゃう、遅れちゃう」って不思議な国のアリスに出てくるウサギさん。結局アレはなんだったんだ?さしずめ現代人は「忙しい、忙しい」ってところか。

   現代では何でも高速時代とはいうものの、一昨日には、なんと気の長いというか、なんというか。ルイ17世の心臓というものが、代々フランスの王家を埋葬しているパリ郊外のサンドニの大聖堂で埋葬されました。革命で散ったルイ16世とマリーアントワネットの間にできた王子さま。1795年6月8日に結核で亡くなったという説で、2000年にはDNA鑑定を行ってまさしくその心臓であると立証されたということです。亡くなった当時はパリ市内にある共同墓地に投げ込まれたということですが、どこをどうやって今日まで至ったものか、今までにも数多い流説が絶えないのが現状。これを機に、フランスの王侯貴族達が一同に会し、マドリッドに住んでいる継承者であるフランスのブルボン家の血を引くプリンス(30代で独身ですって!!)も出席。

VIVE LE ROI!! ヴィーヴ・ル・ロワ 王様万歳!!

ですって。

ここだけ時間、止まっちゃったんじゃない?という感じがしないでもないですね....

残念ながら独身のプリンスの写真はございません。クリスタルの入れ物にアルコール漬になっているルイ17世の心臓です。

 

拾います!ってなわけ、ないだろが〜。笑

2004.06.09


    相変わらず暑くて、どこもかしこも窓を全開でしゃべったりご飯食べたりTV見たり。喧嘩したり泣いたりわめいたり、お皿落として割っちゃったり、なんでも聞こえるのだ。やれやれ。

    前に日記で犬の糞の始末についての話を書いたけれど、わりと一般的に見かけるようになったのが今日の写真のもの。あ、でも、もしかしたら13区だけかな?とにかくうちの周りには結構あるのだ。この写真の通りは昨日の学校のところだけれど、短い道なのに2本も立っている。にもかかわらず...。証拠写真は撮ってませんがね〜。笑

    まづ、「私の町が好き」とかいてあり、ワンコちゃんのお尻に向かって手を差し出している人。そしてその下には、「拾います」。誰が?え?って感じですが。爆
さらに下方には、「県の衛生条例に基づき、罰則として最大450ユーロの罰金」ですって。日本円にすると¥55,000前後ってところ。でも、これって現行犯じゃないとね、ちょっと無理ですよね。実際コレで罰金払ったという人の話きいたことないし。さらに、きちんと糞の始末してる飼い主も見かけたことないな...みんな、当然のように街路樹の根っこならまだしも、歩道の真ん中でどうどうと、なんていうのの方がしょっちゅう見かけます。 
    

 

欧州議会選挙近づく

2004.06.08

あっぢィ〜〜〜。(-_-;)

    なんか急に暑くなって、30度越えました。明日はもっとあっぢいんだっで〜〜〜。でも、そのあと、またどんと気温下がるとかいってるけど...。

    去年の二の舞になっちゃいけないというので、今年はまだ寒いうちから扇風機いっぱい売ってます。(笑) それと、小型クーラーも種類が増えているゥ。先日、そんなことをニュースでもやってましたが、フランス人はクーラー自体も物珍しいところにもってきて、その弊害については全く知らないのだ。お部屋がすずし〜くなっている間、外に熱気がぶんぶんということを。そして熱量いっぱい食うということも。

    で、庵主はさっそく、王国到来のいっとる団扇でぱたぱたあおいでおりますです。扇風機はまだまだ。(笑)

            ***********

    今度の日曜日は欧州議会の選挙、欧州議会っていうのかな?日本語で。...確認しました、そうです。合ってましたぁ。この欧州議会というのは、EUの議会で、それまでの欧州単位の機関を併合して1962年から現在の形になっています。本拠地はフランスのストラスブール。当初は各国議会の議員が兼職でしたが、1979年から各加盟国別の直接選挙によって議員が選出されることになり、任期は5年。今回は6月10日から13日の間に各国で選挙があります。ヨーロッパも増えたから、一挙に約3億4200万のEU市民に投票権が与えられ、732人の欧州議員が選出されることになるそうです。

    選挙の投票は日本同様、各地区の学校を利用して行われていますが、日本と違うのは選挙運動。街頭演説や選挙カーはありません。静かなのだ。そのかわり、選挙が近づくとテレビで決まった時間に特別番組があります。選挙ポスターも投票所になる学校の前に写真のような感じで貼られるだけ。どんな選挙でもみな同じです。
 
    余談ですが、この小学校は庵主の住まいのすぐ裏手で、ここの校庭、1年半前に地下鉄工事のあおりで陥没しちゃいました。その時はうちも地震のように揺れてびっくり。幸い、2月の学校休みの間だったので負傷者はなく、この事故のあと、子供たちは近所の学校に分散させられてました。投票所になっているということは、もう大丈夫なんでしょう。
    

 

ママのあなた、SEXYですかぁ?

2004.06.07


昨日はすっかり影が薄くなってた「母の日」。

   そうは言っても5月に入ってから、ブティックや街のポスター、テレビのCMなんかは、それらしくはなってました。やっぱり香水、化粧品、ボディケア商品、台所グッズなんかの宣伝が目立ちますね。

   そこでこんなポスター。日本にも支店がある化粧品屋さんのSEPHORAのポスターです。

 VIVE LES MAMANS SEXY(ヴィーヴ・レ・ママン・セクシー)
       セクシーなママ達、万歳!

ママにしてはちょっと若い感じのモデルさんですけど...。

   こちらのママ達は、旦那が女性として取り扱ってくれないと、見限っちゃいますしね〜。笑 耳が痛い方もおられるかと...。まだそういう立場じゃない方、よ〜く( ..)φメモメモ。笑
   子供たちにしても、ママは素敵なママじゃないと〜ってことですね。うちのママ、違うな〜っていう方は、ママのせいじゃない!ママを取り囲んでいる人たちの声援が大切ですぞ。

   ネットのお知り合いのママさん達、結構、お子さん達からお花やプレゼントがあったみたいで、ふ〜ん、今時の子はぁなんていっても、結構やるじゃんという気がした庵主。

さて、この日記の読者の中のママさん達はいかがですかぁ?
うふふふ〜〜。(^_^)v

 

D-DAY

2004.06.06

     フランスでは母の日はアメリカや日本より遅いのですが、それでも通常は5月。それなのに今年は聖霊降臨祭が早い年で5月だったので、母の日が今日になってました。しかし、今日はなんてったって、ノルマンディー上陸作戦60周年。母の日なんてどっかいっちゃった感じ。

     さて、フランスは全国的に好天で、記念式典にはいい日和でした。ここで、まづこのノルマンディー上陸作戦っていったいなんなの?という方が多いと思うので、簡単に紹介します。

     時は第二次世界大戦。欧州はヒットラー率いるナチスドイツ軍の驚異的な侵略が行われ、フランスは1940年からドイツの占領下となりました。その欧州を解放しようということで、連合軍の首脳が練りに練って計画を立てたのが「ノルマンディー上陸作戦−正式にはオーヴァーロード作戦」と呼ばれている大規模な戦略作戦です。連合軍というのは、米英カナダを中心に西側諸国を指し、当時、日本はイタリアと共にドイツと三国同盟を結んでましたから、その辺りの関係図はなんとなくお判りかと思います。日本とフランスは立場としては敵対していたわけです。
     さて、フランスが占領下中、ドゴール将軍をはじめフランスの要人たちはイギリスに逃げておりました。で、連合軍の総司令官はアメリカのアイゼンハワー。なんでもドゴールとは意見が合わないことがしばしばあったとかで、そうじゃなくても、この作戦の詳細に関しては殆どオミットされていたそうです。でも、パリ入城だけは連合軍でなくフランスにやらせてくれと懇願したとかで、8月末にドゴール将軍がシャンゼリゼを凱旋する映像は有名。
     当初は5日に予定されていたのが、悪天候で1日のび、6日に日付が変るとすぐに作戦開始、海岸線からの上陸は未明に行われました。当然、上陸作戦はドイツ軍もいずれはと考えてはいましたが、悪天候なのと、攻めて来るなら最短距離のドーバーからフランスのカレと予想し、また、ノルマンディーの西側と推測していたドイツの指揮官は当日奥さんの誕生日で不在、ヒットラーは宵っ張りで早朝はどんなことがあっても起こしちゃいけない、とくれば、準備を怠り推測を過ったものの負けですな。
     連合軍は艦船4600(戦艦7、巡洋艦23、駆逐艦123)、重爆撃機2500機、戦闘機・戦闘爆撃機7000機、兵員17万5000人が投入され、海岸を数箇所に分担して上陸。中でもアメリカ軍が受け持ったオマハビーチは壮絶な戦いが繰り広げられ、死傷者がたくさん出ました。この作戦はかなりの痛手を負ったものの、戦略としては功を成し、ドイツ軍撤退から終戦へのきっかけを作りました。これが人類史上最大の軍事作戦といわれるものです。アメリカでは通常D-DAYと呼んでいます。

     とうことで、今日の60周年は生き証人が集える最後の機会とされて、関係諸国元首および生存しているベテランを招待しての記念式典。「プライベート・ライアン」のスピルバーグとトム・ハンクスも招待されていました。さらに、初めてドイツの首相も招待し、仏独友好を強化という具合でした。
   
     ドイツの首相の演説では、ドイツの歴史の責任を追及し、また自分が父親が出征中に生まれ、その父親はポーランドで戦死。だから父を知らずに育ち、4年前にやっと埋葬されている場所が判ったばかりなのだと述べ、そしてこの日をドイツにとって侵略された日でなく、自由への解放の日と思っていると表明。シラク大統領も、今日を機会に単なる友人として出なく兄弟としてドイツを迎えたいと語っていました。

     ドイツに謝ってもらいたいかと聞かれたある一般のフランス人は、今の首相に謝ってもらう筋合いは全くない。ただ、過去の事実を認め、我々みんながそれを忘れずに教訓とすればよく、今日大切なのは平和と幸福、とニコニコ語ってました。確かにそうなんだけど、60年経ってもそういう風に思えない、すませない国もあるのよね〜と...。

 

まだまだ不思議な一角なのだ。そしていよいよ...

2004.06.05


    今日もしつこく(笑)、近所の不思議な一角に足を伸ばしてみました。いつもと反対方向の13区は東側より。こちらにも前に散歩の途中で見つけた一軒屋ばかりの小さな道。

    ちょっと前までは、工場なんかが多くて、インドシナ難民用に住宅開発したりするまでは、殆ど何もなかったような界隈です。今でもなんとなあく閑散としています。

    そんな中に、ブルゴワン小路というのがあり、狭い一本道。ここは二本の普通の通りを結んでいるので通り抜けている人もいる様子。庵主の前後にも人が何人か歩いていました。全体的な雰囲気は今まで程素敵じゃないのですが、さくらんぼが鈴なりになっていたおうちの番地の表札がタイルでちょっとかわいかったので紹介します。ここは通りに面したところが庭かテラスになっているらしく、家が奥に引込んでてよく見えませんでした。庭も塀があるから見えないんだけど、いいお天気だったので外でお昼食べてるような家が何軒か。声や音が聞こえました。笑

    今日は犬や猫にガン飛ばされなかったけど(笑)、さくらんぼを摘んでいたツグミが嫌がって逃げていきました。御免なさ〜〜い。お食事中、お邪魔しましたぁ。

           ********** 

    今夜はD-DAY特集番組で、テレビは夜通し何かやってるらしいです。昼間から前夜祭のような記念の催しが始まっており、まずは60年前を再現しての落下傘部隊上陸。中には、おじいさんが降り立ったところに、という兵士もいました。50周年では当時のご本人達が空から降ってきたのですが、まさかね〜。今回はみんな80過ぎてますからね〜。(笑) チャールズ皇太子もイギリスからの参戦兵士とともに式典に参列。
    今夜の特別番組はサント・メール・エグリーズというノルマンディーの小さな町からの中継です。ここは小さな町ですがすごく有名。連合軍の落下傘部隊が選んだ着陸地点で、海から上陸した部隊もこの町を目指しました。1962年制作のアメリカ映画「史上最大の作戦 THE LONGEST DAY」をご覧になった方には覚えがあるかも。ジョン・ウェインが道しるべが逆になってるって、磁石を出してわめいているシーン。その道しるべがサント・メール・エグリーズです。この町の教会の尖塔にパラシュートが引っかかって、宙ぶらりんになってしまったGIがいたのですが、紐を切ろうとしたナイフも落としちゃって、仲間が次々ドイツ軍の銃弾に当たってゆくのをただ眺めているしかなかった。幸いこの人は助かって、最近まで存命でした。今はこれを記念して、教会の尖塔からパラシュートとGIのマネキンが下がっています。

    明日はもう一日中、テレビはどこも式典や特集番組だらけ。ちょっと食傷気味になってきました〜。でも、60年経ってやっと公開される映像とか、逸話とかあったり。それに、実際に参戦した人たちをはじめとする生き証人が証言できるのは、多分今回の60周年が最後でしょう。

    11月の今月の一枚に書いた、ヴェルレーヌの詩を覚えているでしょうか?当時、毎日ロンドンのBBCからフランスに向けて発信されていた暗号メッセージで、上陸作戦に関するのは「秋の日のヰ゛オロンのためいきの」が作戦準備完了、「身にしみてひたぶるにうら悲し」が作戦決行開始という暗号でした。

 

袋小路の住人たち

2004.06.04

     明日はいよいよブッシュ大統領が当地に上陸。日曜のD-DAY記念式典のためです。フランスは今回、作戦に参加した生存者をアメリカから旅費、宿泊費など負担して招待しているそうな。そして10年前には叶わなかった、ドイツの首相も今回は参列。50周年の時は、一応招待したけど、当時のコール首相は丁重に断ったのだそうな。その代わり、あの年のパリ祭ではドイツ軍がシャンゼリゼを行進するというイベントがありました。今日のニュースによると、なにやらシラクとシュロダーの間に計画事があるのではないか、と、ここのところ、やたら仲直りして親密になってますからね〜。ヨーロッパ拡大につき、スクラム組んで対処しないと経済的にキツイという背景もありますし。さてさて、どうなりますか。

                 **********


    昨日は写真が小さくなってしまうので載せられなかったのを二枚。

殆ど私道のようなところに入り込んで、シャカシャカ写真を撮っていたら...

― ちょっと、あなた、そこで何なさってるのォ?

と言わんばかりのお猫さま。

し、失礼いたしました^^〜。パチリ。(^_^)v

その後、道をぐるっとたどって、街灯を撮っていたら...

― おばちゃん、何してんのォ? こんなとこでェ〜

と、ワンコちゃんが首をバルコニーから突き出してます。

あ、へへへ。(^^ゞ 綺麗だから写真撮ってんの。撮ってあげよ〜かぁ?パチっ。(^_^)v

という具合でありました〜。

この二匹以外は全くなんの気配もなかった袋小路。

 

いにしえの川路たどれば

2004.06.03


     こんなに毎日のように散歩してるのに、通ったことがない道があるんですね〜。今日も、うちの近所の不思議な一角をご紹介します。ポプラ袋小路です。昨日の花小路よりずっと近い、目と鼻の先。横はいつも歩いているんですが、中に入ったことがなかったのです。カメラも持ってたし、どんどん中に入ってみると...。

     ほえ〜〜〜。美しい。そしてここはぐるっと回ってもと来たところに戻ったので、公道ではないというわけじゃないけど、殆ど私道に近い状態。道の標識の下には、私道に付き駐車禁止と書いてあります。ここも、昔、川が流れていた堤にあたるところに建てられた一軒家ばかりです。築70〜80年といったところかな。
   
     なんだかみんな綺麗にしてるんですよね〜。藤だの蔦だのバラだの。そしてここには素敵な街灯も。おそらくもとは瓦斯灯だったはず。このあたりはガス工場が近くにあったので、ガスの供給は他の地区よりよかったそうです。

 

花小路をたづねて。

2004.06.02


久しぶりにモンスーリ公園のほうへ散歩に。

     今日は途中にある不思議な一角に入り込んでみました。この辺りだけアパートでなく一軒家続きで、おまけに小さな道にみんな花の名前がついているのです。この一角をCITE FLORALE シテ・フローラル 、花まちって言うのもなんですし、花やしきっていうのもなんだから(笑)、花小路なんていかが?小さな道が5本ほど入り組んでいて、どれも花の名前がついています。写真の左上が朝顔通り、突き当りの道は藤通り。他に蘭通り、アイリス通り、昼顔通り。100年ぐらい前まではビエーヴルという小さな川のほとりだったところ。どれもコジャレタ一軒家で、窓辺にはきれいに花が飾ってあり、住人以外の人も車も通らないところ。へへへ、そんなところに入り込んで、ってちゃんと公道だから入って構わないんですが、写真なんか撮っちゃう、今日この頃の庵主。(笑)表側だけでも綺麗ですが、実は見えないところに庭もあって、とてもパリ市内とは思えない環境なんです。こんなところに住んでみたいものだわぁ。

     ここの藤通り、もう少し前に来て見ればよかった〜〜。だって、藤にすっぽり包まれた「藤屋敷」があるんです。もう葉っぱだけになっちゃったけど、見事です。フランス語で藤はGLYCINES グリシンヌといい、青いのが道の標識。そして右下の家の表札、おしゃれでしょ?VILLA DES GLYCINES ヴィラ・デ・グリシンヌ、藤屋敷です。この家の前には桜の木が一本あり、さくらんぼがなってました。う〜〜ん、なんかいい感じィ。

 

恐ろしや記録映画

2004.06.01

夕べはスゴイものをTVで見てしまった。

     前から時々話題にしてますが、今年の6月6日はノルマンディー上陸作戦、アメリカ風に言うならD-DAY60周年なのです。それで、毎晩のように関連の映画やらドキュメンタリーやらテレビでやっています。ついこの間50周年で、連合軍の落下傘部隊再現もあり、実際に参戦した、今はおじいさん達が、パラシュートで空から降ってきたりの大騒ぎだったのに、もう60周年。

     夕べのドキュメンタリーは「44年夏」と題して、D-DAY決行に至るまでから8月末のパリ解放、南仏のD-DAYの様子などなど。初公開映像もあるとのことで、興味しんしんだった庵主。ドイツやアメリカの記録映像はカラーなんです。フランスのは白黒に後から彩色したフィルムも随分ありました。パリ市内の様子が綺麗に写っていて、カラーだととても60年前の景色とは思えないほど。

     D-DAYのオハマビーチと呼ばれたところの映像は、スピルバーグが「プライベートライアン」でかなり忠実に再現していますが、映画じゃなくて実録というところに、本当に悲惨。パリ解放の際の市街戦もカラー映像だとかなりエグイです。今でも銃弾の後が壁に残っているので、あ、あそこでこんな風にと思うと、60年前なんだということを忘れてしまう感じ。でも、もっと恐ろしいのは、ドイツ軍に味方したり指示したりした人たちへの市民の制裁。むごいです。映画ではいろいろ見てきましたが、これは実写なんだと思うと背筋がぞっとしました。究極に達すると、人間て凶暴になるのだ。まるで中世の魔女狩りと変わらない。

     今年の記念式典には、50周年では叶わなかったドイツの首相を招いています。今日のラジオで聞いたところでは、ドイツの人たちにとってはD-DAYは戦争中のほんの些細なことで、あまり関心がない様子。戦後生まれには生まれる前の昔の話という具合で、こんなところは日本の戦後教育と変らない、やっぱり同盟国は似たような立場なんだな、と改めて思った庵主でした。

 


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