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2004年03月の鵞毛庵日記

軍艦潜伏中にしてイケメンに思いを馳せる

2004.03.31

    サーバーの調子が悪くてパソ休日状態でした。庵主も相変わらず気合の入らない日々。酒が無くとも軍艦深く潜伏状態なのでした。もう、こういうときは無理に逆らわないことにしております。お天気いいし、気温も上がってきたけど散歩にも出ず、友人から借りた「次郎長三国志」見てました〜。きゃはは〜。久しぶりに杉さまです。何年か前の暮の12時間ドラマ。いや〜、杉良も年取ったな〜なんて、ちょっと期待はずれ。ヤットウだけはさすがにカッコイイですが、米屋のどら息子にしちゃ、ちょっと上手すぎませんか?というようなシーンもあり。駆け出しモンの若造という設定が、かなり貫禄あったりして。へへへ。ま、いいか。 去年だったか帰国した際に、時代劇チャンネルで「大江戸捜査網」を懐かしく毎日見ちゃって、当時はちっともファンじゃなかったけど、杉サマ、なんかカッコよかったですゥ。庵主が年取ったせいでしょかぁ?杉サマにはおっかけオバサマが有名でしたから〜。(^^ゞ

    BBSではイケメンが話題になってましたが、中華街も結構イケメンいますよ〜。香港系のイケメン。一時期、リヤンとあるタイ料理屋に通いましたが、それはそこにイケメンのボーイさんがいてね〜。美男子にお給仕してもらうと美味しいわよね〜なんて、言ってたのでしたぁ。
掲示板にもちょこっと書きましたが、明日は張国栄(レスリー・チャン)一周忌なのだ〜。香港では大イベントが予定されてるそうな。レスリーもイケメンだったんだけどな。でも実は年は食ってましたぁ。庵主よりもひとつ、ふたつ上なのねェ。

         ***************

   さて、いよいよ当庵のHPも一周年を迎えることになりました。みなさまのご愛顧に感謝いたしまして、記念の懸賞クイズを行いま〜す。明日の日記でクイズを出す予定。詳細はその時に。
お楽しみに〜〜。\(^o^)/

 

いつでも触り放題、野ざらしの文化財なのだ。

2004.03.30


   アール・ヌーボー調の地下鉄の口。これはHECTOR GUIMARD(ヘクトール・ギマール/1867-1942)というフランスの建築家のデザインによるもので、文化財に指定されています。これはイタリー広場のITALIE2の前にある口ふたつ。
  
   アール・ヌーボーは19世紀末のヨーロッパ各都市を彩った美術の傾向。産業革命以降、粗悪になった実用品に芸術性を取り入れたこの美術運動は、欧州の大都市ばかりでなく、フランスの地方の小都市ナンシーが硝子工芸でその名をとどろかせる程に至りました。その立役者は、あのエミール・ガレ (1846〜1904年)。はは〜ん、あれか?と思い当たる方もいらっしゃいましょう。 日本人には非常に人気が高いですからね〜。

   でも、今日はガレじゃなくってギマールさんのお話というか作品。ギマールはブリュッセルからアール・ヌーボーの建築様式をパリに紹介し、一時はこのスタイルはギマール様式なんとも呼ばれていたくらいです。オルセー美術館に行くと、彼の調度品や窓枠などいくつか展示されてます。わざわざ美術館行かなくても、もっと手っ取り早く触ることも出来る文化財はコレ。写真のメトロの出入り口でござ〜い。

   写真上のタイプはもっともシンプルなもの。下のタイプは一番オーソドックスなデザインです。METROPOLITAINメトロポリテンと書いてある両脇は暗くなると赤いランプがつきます。駅の名前と共に書体もアール・ヌーボー調のレタリング。他に2ヶ所、硝子の屋根付きの口のタイプが残っています。もうひとつ違うタイプがあったのですが、それは60年代に取り壊されてしまったそうです。(当時はまだ文化財じゃなかったのね〜)この写真のは78年に指定されてます。「地下鉄のザジ」という映画をご存知の方は、その中にバスティーユとシャンゼリゼの駅の今はなくなってしまった出入り口が出てきます。正確には、出てくるそうです。庵主は確認してません。覚えてないな〜。

   急に太陽さんさんで、下の写真は明るすぎました。今度、装飾の部分写真撮りますね。今日はおおまかに全体像で。

 

お待たせ第二弾巨大かばん!

2004.03.29

    気温がちょっと上がって、これで夏時間?!の汚名を返上したかのような陽気でした。

    午前中から某日本の航空会社の事務所へ。ここは関連会社が世界中の子供を対象に隔年ごとに俳句コンクールを主催しており、庵主は今年は選考委員のようなのに選ばれたので、打ち合わせにシャンゼリゼに行ってきました。各国で一等賞になった子供には日本でサマーキャンプに参加できるという結構おいしい特典付です。対象は中学生ぐらいの年齢の子供達だとか。選考日は4月の20日です。


       *********

    今日は13区を離れて、シャンゼリゼですね〜。はい。ルイ・ヴィトンです。第二弾!シャンゼリゼに面した側は足場の覆いが以前はピンク色で肖像画(多分ルイ・ヴィトンさんのお顔だったかと...)にLVのロゴ入りのものだったのですが、それが取れて写真のようになってました〜。

    お天気も良くなって、なんか人出が多いですゥ。あ〜、ちかれたび。

 

厳戒態勢の一端とは

2004.03.28

    季節の変わり目ですかね〜。どうも調子がイマイチの庵主でございます。(^^ゞ 夏時間になって最初の日は、たとえたった1時間といえども、軽い時差が生じるわけで調子の悪さに拍車がかかるというもの。う〜ん。

         *********    

    さてさて、今日は色気がありませんがこんなもの。ごらんの通りゴミ箱ですが、コレがテロ対策です。ビニール袋がぶら下がってるのは、イタリー広場の写真にも手前に2個写ってますが、道や公園のあちこちにある普通のゴミ箱。以前はボックス型や円柱型だったりの中が見えないものでしたが、何しろ繁華街や駅のゴミ箱にプラスチック爆弾投げ込まれて痛い思いをしているので、最近はもっぱら写真のような半透明ビニールのが定着してしまいました。だから厳戒態勢じゃなくてもいつもこうなってます。

    そして写真下は地下鉄内のゴミ箱。これはまさに厳戒態勢。このタイプは即、ぴたっと蓋されてしまいます。そして、下に平たいダンボール箱を置くのが習わし。貼ってあるシールには皆で注意しあって厳戒態勢に協力しましょうみたいなことが書かれています。
    爆弾しかけられるよりは、ゴミが散らかっている方がマシということですね〜。

 

二ィハォ!周先生

2004.03.27


    今夜で冬時間がおしまい。ということは、今晩は1時間損しちゃうのだ。つまり明日の朝、8時だと思ってると、実はすでに9時ということ。従って、日本の時間よりマイナス7時間となりま〜す。

    さてさて今日のパリ13区散歩は...。イタリー広場を反対側に回って、目立たない小さい道にチョコっと入ると、ぬぁんと写真のようなものが。そう、「周恩来」。

    「周恩来(1898〜1976)はフランス滞在中、1922〜1924の間、この建物に住んでいた」と書いてあります。そう、周青年はここに住んで、近くの砂糖精製工場で働き、その後、ルノーの自動車工場に転職しています。建物自体は当時と違って、比較的最近建て替えられていますが、この辺りは以前は手元不如意な人たちの為の安宿や手ごろな下宿があったそうで、ここもそういった下宿だったようです。

    この砂糖の精製工場は1968年に閉鎖されるまで、130年以上に渡って世界でも有数な規模の工場で、甜菜(ビーツ)から砂糖を精製していました。現在は工場は跡形もなく碑だけが残っており、高層アパート、スーパー、公園などになっています。この砂糖会社はSAY(セイ)といい、今でもフランスの砂糖メーカーとして君臨しています。

    こんなところで周さんと会ってビックリ。(笑)イタリー広場の反対側が中華街になるのは、この周青年がいた頃より半世紀以上たって、ベトナム戦争などによるインドシナ難民を受け入れるための高層アパートが建ってから後のことになります。

 

お待たせ!イタリー広場なのだ。

2004.03.26


   庵主の散歩の話や日記によく登場するイタリー広場で〜す。これはITALIE2というビルで1991年建設。丹下健三のデザインですゥ。視聴覚や映画の製作に奉じてデザインされたとか。広場という立地条件を取り入れて正面は軽く半円を描いてて、高さ55mの硝子張り。なんか、遠くから見るといつも工事中のような気がするデザインですが...。それと、ITALIE2っていうからには「1」というのがどっかにありそうなんだけど、どこにも無い。ビルの中には会社、ホテル、デパート、ショッピングセンター、そしてグラン・テクランという巾22mのヨーロッパ随一の大きなスクリーンの映画館などがあります。庵主が本やCDで散財するFNACフナックもここに。デパートはプランタンでェす。もう、ここで、殆ど何でも揃っちゃうのだ。

   こういう便利なものがあると、わざわざ街の中心まで出かける必要もなく、おまけに中華街も控えているので、この辺りは住むにはこれ以上優れものは無いといっていいほどです。交通の便も至極いいし。庵主が住むイタリー通りはこの建物の向かって左の大通りです。

   写真は冬に撮ったものだから裸木ですが、この広場をぐるりと取り囲むのは桐の木。5月の花の時期になると薄紫の花がとても綺麗です。それはまた花の時期に〜。

   

 

こんな壁画もありますゥ。

2004.03.25


これは13区もセーヌ河沿いの新国立図書館近く。もともと国鉄の食料冷蔵倉庫だったところで、通称 LES FRIGOS(レ・フリゴ)。フリゴって冷蔵庫の俗称でもあります。

1921年の創建で、壁の厚さが70cmもあり、2000㎥のスペースに26箇所の冷蔵室が6階に渡って設置され、1971年まで利用されていました。貨物列車が直接この建物内に入り込んで積荷の上げ下ろしができたとか。

ここを80年代から国鉄が音楽スタジオや劇場、アトリエとして貸し出し、結構有名なアーティストもここで録音したりしてます。でも、現在この辺りは再開発地帯なので、立ち退き問題が生じており、立ち退かないぞ〜ッ!!とアーティスト達が踏ん張っているわけ。で、こんな挑発的な壁画が外側の壁にベタベタと描かれてるのです。

www.les-frigos.comというのがフランス語だけですが、ここのサイト。どんなアーティストがいるかちょっと判ります。

 

一見、凧を揚げる人。でも良く見ると...

2004.03.24


   今日は午前中からせっせとデジカメとブロンドのミーコちゃんを連れておでかけ。昨日の日記にUPしたヴァラスの泉の探索でしたが、それは無駄足に。その代わり、他にもいろいろと写真撮ったりしました。

   これはうちから鶉ヶ丘(覚えている方もおられましょうか?)に向かって行く途中にある壁画。最初は落書きかと思ったんですが、NEMOというサインも左下に入っていて、そうでもない様子。パリ市内にはいろいろと規定があり、いくら自分の家だからと、勝手な塗装や装飾はできないんだけど、これはず〜っとあるからOKなのかな?時々写真を撮ってる人もありますね。
このままじゃちょっと小さいかな?写真クリックして大きくして見てみてください。一見、男の人が凧を揚げてるのかと思うと、実は凧はパラソルにくくりつけてあって、この人は月や星を釣っているんです。それを黒猫たちが見ている...のか?水と思しき中には魚も泳いでます。左端の黒カバンには何が入っているのか?いろいろと想像してます。みなさんは?

   この辺りも昔は川が流れてたので、少し起伏があり庵主は向かい側の小高い公園より撮影してます。実はこの公園内にヴァラスの泉の小さいタイプがあった筈なんですが、新しいものと変わってました。(どうしてかその写真撮り忘れた!)ここはポール・ヴェルレーヌ公園といいますが(あの、秋の日のヴヰオロンの...)、公園内にある胸像は違う人のでした。どうなってんのかな?

 

ヴァラスの泉

2004.03.23


   昨日はパワーが点滅状態。軍艦が沈没したり浮上したりを繰返してパワーダウンでした。補給ほぼ完了。(笑)そんなわけで日記のUPは写真だけでとりあえず済ませちゃったので、今朝、いろいろと確認も兼ねて調べていたら、実はイタリー通りの向かい側や、近所の公園にも同種の泉があるというので、早速確認にお出かけして更新遅くなりました〜。

   今日ご紹介するのは、FONTAINE WALLACE(フォンテェヌ・ヴァラス)といい、訳してヴァラスの泉とでも称しましょうか。パリ市内のあちこちにある飲料用の給水機です。写真のはいつかお見せした「中華街の桃源郷」の中にあります。ここは遊歩道。ついついこういうものは見逃しがちで、しばらく日記で13区の風景をご紹介しようと思わなければ、毎日のように見てても思いつかなかったかも。

   さて、これは1872年8月に第一号が設置されたとか。ヴァラスというのはこの給水機を発案してパリ市に寄贈した人の名前です。
   時はナポレオン3世のプロシアとの戦争でのさんざんな結果に見舞われていた1870年。パリ市内は市民の不満がつのるばかりで市街戦のような状態で荒れ狂っており、それから立ち直るには街を再建しようということに。博愛主義も万延していた当時、貴族や資産家たちの間では慈善事業を施すことが大変流行っていました。そんな時代背景の中、イギリス人の貴族でフランスに住んでいたSIR RICHARD WALLACE(英語読みならリチャード・ウォーレス卿、フランス語読みならリシャール・ヴァラス卿:1818〜1890)が、飲料水に窮していたパリ市民に飲み水を提供しようということで、パリ市に公共の泉の設置を申請したのでした。自ら基礎をデザインして、知人の彫刻家LEBOURGルブールに依頼して完成させて寄贈したのが始まり。といってもこのヴァラス卿は大変謙虚な人だったそうで、泉自体には自分の名前はいっさい記されていません。1878年には57個、1900年にはすでに100個に達していたとか。泉は3種類あり、写真のは大きい型のもので高さ3メートル弱。現在パリ市内には65個あるとされています。これは「純真」「善良」「節度」「愛徳」を女神4体で象徴し天蓋を支えているデザイン。真ん中から水が湧き出ますが、冬の間は凍ってしまったりするので水が止められています。この水は地下水道からパリの貯水所に引かれたものを利用しています。庵主もパリに来たばかりの頃は試しに飲んでみた事あるけど、夏だったから冷たくて美味しかったと記憶。

    他に小さい型でもっとシンプルなのが9個、壁に設置されているもので現存するのは1個だそうです。今は二つの私企業がセーヌの左岸と右岸に分かれて管理経営しているので、正確な数値は不明だとか。

    で、今朝、早速確認に出かけたイタリー通りには残念ながらなくなっていて、小さいタイプのがあるとされていた公園では、新しく近代的な飲料給水機に変わっていました〜。

    このヴァラス卿は、実は美術品の蒐集家としても有名で、そのコレクションは世界中の美術館にも引けをとらないほどだそうです。1897年以降、ウォーレス・コレクションとして英国王室の所有となりロンドンのマンチェスター・スクエアに保管されているそうです。

 

パリ13区の風景

2004.03.22


    変な天気が続いていて、予定のお出かけはやめに。と、いうのは、今夜はうちに人を招待していたのと、午後になって創作意欲が沸いてしまったのとで、お出かけを取りやめたわけでした〜。 

    今日はまたまた庵主のうちの近所の風景。以前にもちょっと書いたけれど、現在のパリ市13区内には100年ぐらい前までビェーヴルという川がながれており、その川を埋め立てた道もいくつかある上、川があった頃の名残の建物も多く残っています。

    写真のは近代建築とのコントラストが面白いかな?と一枚。一見フランスの北のほうの感じの建物。これだけポツンと建ってますが、この辺りはかなり遅い時期にパリ市内に組み込まれた地区なので、このように突然古臭い建物があるのと同時に、もとは殆ど何もなかったところなので、後方にそびえ立つような高層アパートもニョッキリ。手前の古い建物は文化財に指定されているわけでもなく、ただ、古臭いといった感じ。なんなんでしょうか?普通のアパートのようではありますが...。後方のアパートは丸い建物で、イタリー通りに面してます。いつだったか、アパートを探してる時に、不動産屋のオニイサンが、この建物にも物件あるけど、丸くて評判悪いから見せないといわれたことがあります。無駄なスペースがいっぱいできちゃうんだと。ま、そうでしょうね〜。

    手前の緑の物体は、瓶のリサイクル用のゴミ箱です。今は各アパートに瓶専用のゴミ箱が配布されましたが、それまではコレ専門。街の通りのあちこちに設置されてます。庵主がパリに来た頃は、スーパーでは必ず瓶を回収して瓶代を何サンチームか返してくれるようになってたけど、いつの間にかその習慣は消えうせました。コレに瓶を捨てるとスゴイ音がするんです。そして定期的に回収車が来て、クレーンで持ち上げて中を空けて行くのだけど、それもまたものすごい音。どうも、瓶の割れる音って気持ちよくないのよね〜。(>_<)

 

ご近所の風景シリーズ

2004.03.21


    え〜、デジカメで風景を撮ることに結構なれてきた庵主は、住まいの近所の風景を皆様に時々お届けしようと思いまして、昨日の広告塔やらいつかの殿方のポスターやらに引き続き、なるべく変わったものをお見せしたいと思っておりますですゥ。   
    いきなりこんなものがある。これはガソリンスタンドなのだ。イタリー広場から中華街に延びているショワジー通りにあります。スタンドなんて大げさで、ちょっと給油するところみたいな...。ガソリンスタンドは普通のは日本と似たようなものですが、なんでこんなところに?といつも思っている庵主。きっともともとは車の数も少なかった時代から営業してるのでしょうねェ。なんともレトロな感じ。お店自体は向かって右端のSATATION SERVICE CHOISY スタシオン・セルヴィス・ショワジーと書いてあるのがそれ。給油機はなぜか隣の店の前。もしかして、昔はココまでお店が大きかったのかな?
    そのお隣の店は全然違って、「都麗花髪型屋」(タオ・リィホゥアン美容院)、男女兼用の髪結いです。髪型屋さんの件数は結構多いです。一度試してみたいと思いつつ、庵主は美容院に行く習慣がないので未経験。髪が長いのでカットなんかは自分で適当にやってしまうし、染めるのも自分で。パーマをかけてた一時期は、日本人の美容師さんにうちに来てもらったりだったしな〜。東洋人の髪質は西洋人とは全く違うので、昔は普通の美容院に行くととんでもないことになることが多かったですね。「私にはその価値がある」「アナタにはその価値がある」の研究所のサロンでは日本人対象に商品開発の試験ということで無料でやってくれる所がありますが、タダだから予約入れるの大変。(今でもあるのかな?)一度で懲りました。
    庵主がパリに来たばかりの頃はパリ市内で日本人の美容師さんがいるサロンが一軒のみ。つまり日本人美容師たった一人。その後、もちろん美容師も増えて、日本の美容室もでき、また日本ではプロだったけどという人がフリーで出張してくれたりと、便利になりました。っていっても、本当に庵主は長いことお世話になっておりませ〜ん。

    さて、一番左のお店は??FUJIRAMA。なんか怪しいでしょ?中国人がやってる日本レストランあるよ。(笑)焼き鳥定食、刺身定食、寿司定食などがメインです。こういうところで食べる焼き鳥は焼きすぎて肉汁はどこかにすっとんで干からびてますし、刺身はフランス人の大好きなサーモン中心、くたびれちゃってるネタ、その他はやめたほうがいい感じといった具合ですが、日本人経営と違って値段が格安。何も知らない日本人以外にはとても魅力的なわけですね〜。くわばらくわばら。
    一時、日本レストランでアジア人が多く働いていた時期がありました。それは難民を雇用するということで、福祉援助になり、雇用主には税金や社会保障の一部控除というおいしい話があったわけです。ま、直に仕事は適当に覚える、資金は華僑の互助会から出してもらって独立してお店を出す、といったパターンが多く、その人たちが次の世代を自分たちで養成してどんどん店を出させるという図式になっております。他に、デリバリーのお寿司も同じパターンでして、郵便受けに入っているチラシ(お寿司のちらしではありません・笑)のレイアウトはすごく美味しそうですが、そのうちお腹が痛くなってきちゃうような気がするのは...やっぱり日本人だけなんでしょうか。そうだ、今度そのチラシ、UPしてみようか...。

 

今日から春

2004.03.20


   フランスの暦では今日から春です。天気悪い。気温下がってるゥ。風が強い。ぶぶっ。

   昨日の日記に書いたモーリスの広告塔、良く見てみれば、うちのまん前にもあり、イタリー通りや隣の中華街のショワジー通りにも何本もありました。案外気がついていないもの。桜の横のは夜になると明かりがつきますが、他は違うような気がするし、どうも回るタイプのはこの辺りにはないようです。公衆トイレや電話とドッキングしてるのもないし。それは恐らくもっと繁華街、シャンゼリゼにはあった様な気がします。今度要確認だな。

   さて、昼間撮ると良く判るかな?向かって右が昨日の写真の昼間のお姿。桜は満開を過ぎて、風が強くて散り初めてます。女性の顔は映画のポスターで、「世界の果てを左に」という題のイスラエル・フランス合作映画で、来週封切られるみたい。60年代末にイスラエルに移民したモロッコとインドの二家族の話だそうです。ちらっと見えるのはジャメル(アメリーで八百屋のお兄ちゃんやってた人)のお笑いの舞台のポスター。
   左の広告塔はうちのまん前にあったもので、これは「LES MARIONNETTES DU PENNIS」(ペニスのマリオネット)という喜劇の二人芝居のポスター。ふふふ。おパンツの殿方が消えうせた後は、こんな方々もいらっしゃいました。(^_^)v 芝居の内容はちょっとよくわからないけど...。どうやら可笑しい芝居のようではあります。

 

モーリスの広告塔

2004.03.19


   昨日撮ったイタリー通りの夜桜の写真を、文さんの掲示板にペッタンコしたら、脇の雪見燈籠のようなものは何か?という文さんから質問が。どっちみち、ココの今日の日記ではこの写真を掲載しようと思っていたので、何というかいいタイミングなのだ。ちょっと写真ぶれちゃってますが...あしからずゥ。

   これはCOLONNE MORRIS(コロンヌ・モーリス)といって、1868年に印刷屋さんのモーリス氏がパリ市の許可を得て街のあちこちに設置したものです。それ以後、今までずっと愛用されていて、現在は映画や劇場の広告専門の広告塔。100年ぐらいかな?と思ってたら、もうちょっと古かったですねェ。1868年というと明治維新じゃあ〜りませんか。
   たまねぎ頭で殆どが本体がゆっくり回るもので、他に、夜になると照明が中からつくもの、公衆トイレや公衆電話と合体したものなど、時代と共にデザインが変わって何種類かあります。桜と映っているのは明かりがつくタイプ。

   http://www.insecula.com/oeuvre/O0012642.html
このサイトにいくつか写真があります。今度、うちの前のも昼間撮ってみますね〜。イタリー通りには2〜3本あったはず。

   いいものはいつまでも利用され、愛用されているというフランス風の産物のひとつ。パリは地震に見舞われることもなく、戦争中は占領はされてたから爆撃を受けることもなく、このように、建物だけでなく古いものがたくさん残っています。

 

巴里越南にて満腹の巻

2004.03.18


    軍艦は無事浮上致しましたが、今夜はまたまた少し潜伏状態。夕方は台湾人の友人の展覧会のオープニングで再びヴァンセンヌの方まで出かけて、その後、一緒に行ったT子ちゃんとうちの近所のベトナム屋さんに行きました〜。彼女は日本から戻ってきて、やっぱり懐かしい味、ベトナムです。(笑)

    庵主のうちのすぐ近くで、個人的な俗称は「皿飯屋」。ベトナム料理は日本のどんぶり物のように、お皿にひと盛の楽しいものがあるのです。それに、ここのは結構いけるんだ〜。本当に名前は単純に「PARIS VIETNAM」パリ・ベトナム。いつも外に香港フラワーを散りばめて、べトナムのお人形なんかもディスプレイしているちょっとダサい入り口ですが、それがなんともいえないのだ。

    まづは前菜にパンセオ。フランスではベトナム風クレープといってますが、パリッとした皮はお米の粉とココナッツミルクにタマリン(黄色くなる)。それに黄色い大豆の砕いたのや、もやし、肉、海老などが入ってます。それをちぎってレタスや紫蘇の葉、ミント、人参やキュウリなどで巻いて、甘酸っぱい、ちょっとニョクマム(ベトナムのしょっつる)の入ったタレをつけて食べます。だぁいすきなのだ!

    T子ちゃんはスープ・サイゴネーズ(西貢湯麺)、つまりサイゴン風汁そば。あっさりした味付けで肉や海老、今日は鶉の卵も。麺はフォーの細めん。(きしめんの細めので、やはりお米の粉で出来てます)庵主は三宝飯。読んで字のごとく、おかずが三種類乗った皿飯なのだ〜!ここのは春雨やひき肉、野菜、きくらげなんかが入ったふくさ卵のようなオムレツがおいちい。他は豚の香味焼、豚の皮と脂の間のゼリー状の、日本ではなんていったかなぁ?ハムの外側に時々付いてるヤツ。あれの和え物。これらも甘酸っぱいタレで。結構さっぱりしています。旗が立ってると、ちょっとお子様ランチ風でしょ?

    ワインは結局一本とって、飲んでしまい、軍艦ただいま潜伏状態であります。(笑)

    デザートまでは手が回らず、ベトナムの子供だましのようなのお見せしたかったのですが、またの機会にィ。

 

やれやれ。夕べはちょっと。

2004.03.17

軍艦沈没です。

友だちから借りた高橋克彦の「だましゑ歌麿」というのを読んで1日ごろりと過ごしてしまった庵主でした〜。

飲みすぎ反省。(^^ゞ

高橋克彦は浮世絵専門家としても名高く、それを題材にした推理仕立ての小説はなかなか興味深いもの。でも、この「だましゑ歌麿」では鬼平さんが悪い人なんだな〜。ちょっとそれが気に入らなかったけど、話は結構面白かった。

明日は海底より浮上して頑張るぞ〜〜。(あくまで予定。笑)

 

人間五十年...か?

2004.03.16

    不思議な日。というのは、まづ昼間まさに出かけようとしていた時に電話。今晩ご飯を一緒にというお誘いだった。OKしてレッスンに出かける。
    夕方一度家に戻り、ネットをめぐったりしてから出かけようと靴を履いていたら、また電話。これからある展覧会のオープニングと夕飯どうかなっていうお誘い。あ〜、これから出かけるところなんだわ〜、と断る。

    で、約束の場所になんとか遅れず到着。なんかいっぱいワイン飲んでしまったのだ〜。うへ〜〜〜っ。帰りは他の人たちと方向が逆で、お店を出てからひとり歩いていたら、ある日本レストランのご主人が外に立ってたので、声をかけた庵主。もう20年以上の知り合い。最近も続いて旧知が亡くなっていまして、そんな話から、実は昨年夏にもう一人亡くなっていたのを聞いて、なんかえらいショックだった。一気にお酒が回った感じィ。
何がショックって、その人もまだ50代で若いのだ。皆、癌に倒れてまふぅ。
   「年が同じでさ〜。なんかいい気持ちじゃないよね〜」って、そうでしょう。うんうん。人間五十年って、本当にそうなのか?庵主もやっぱりあとそんなに長くないのかな?なんて2年ぐらい前に思ったんだけど、それが続いております。

 

お江戸散策なのだ!

2004.03.15


    夕べは寝不足。というのは...日本の友人がT子ちゃんに庵主宛のお土産を託していたのだ。なんでも一緒に両国の江戸東京博物館に「円山応挙展」を見に行ったらしい。その折に友人が買い求め、庵主には絶対気に入るものだからって言ったとか。うんうん、大正解!!それは、「江戸古地図でみる池波正太郎の世界/鬼平・剣客・梅安の世界」でした〜〜〜っ!!

    さっそく地図を開いてみると、古地図にちゃんと156ヶ所もの鬼平犯科長、剣客商売、藤枝梅安の舞台になって登場する家や店などが記載されており、うんうん、そうそうなんてうなずきながら嘗め回す感じでありました。この三作は全部読んでるし、梅安以外は全巻持っているのだ。(笑)
    それから、アソコはどの辺かな?とかアレはここだっけ?など、お江戸を東西南北うろうろ。庵主が生まれたところもちゃんとこの中にあるのだ。ああ、だからここら辺りが母の実家だな、とか、ここいらが四谷の土手で桜がそろそろ咲く頃だな〜とか。あそこはこんなお屋敷だったのかとか、時間があっという間。それにしても、昔の人は全部歩きだったのだから、ちょいとどこそこまでって言っても、かなり時間がかかった。でも、お江戸は人口が多くて、昼間の往来は非常に混んでいたそうです。以前にフランスでゼネストで交通機関がすっかりマヒした時、庵主も朝歩いて会社まで行ったことがありましたが、あんなに人が歩いているのを見たのは初めてと言っていいくらいでしたねェ。それとそんな人ごみでも途中で友だちに会ったりして。セーヌに掛かる橋はどれも人の往来がずっと続いてました。きっとそんな感じだったんだろうなぁ。東京は今では海に向かっても随分埋立地が広がってるし、お江戸の面影はほとんどないけど。日本橋で展覧会をした時に、父が、日本橋だから子供の頃(!)からお手の物なので、ぶらぶら歩いて来たら、すっかり変わっちまって道に迷ったよって。あのね〜、今は平成の世でござんすよ。いったいいつの話をしてるのさぁ。(笑)

    なんでも、平成13年には入谷の方に「池波正太郎記念文庫」なんちゅうものもオープンしていたのだ。うふふふ。今度帰ったら行こうかしら〜。(^o^)/ HPがあるようなので調べてみましょうかねェ。
    挿絵のお侍さんは、火付盗賊改の鬼平こと長谷川平蔵。池波正太郎の描いたもののようです。
       

 

観光スポットはちょっと厳戒態勢なのだ。

2004.03.14

思ったより厳戒態勢も目立たない感じですが、さすが、凱旋門のエトワール広場のメトロ構内はゴミ箱が全部撤去されてました。変わりに野菜を入れるみたいなダンボール製の箱が床に置かれてました。しばらく、駅がきたなくなるのだ。
     このゴミ箱撤去は、80年代にパリがテロの嵐にあった時の教訓で、繁華街のゴミ箱に爆弾を投げ込まれたため。ゴミ箱って中が見えないでしょう?だから放り込んでしまえばなんだか判らなくなるわけ。9/11の時は事件発生3時間ぐらいで、うちの最寄の駅のゴミ箱もすっかり撤去され、街中のゴミ箱が、それ以来口の部分を残した他は半透明のビニール袋を取り付けるようになりました。風が強くてゴミが少ないと、取り付けが甘かったら飛ばされてしまうことも。う〜ん。そんなもの顔に当たったらヤダナぁ〜〜。(>_<)

     エトワールの駅では警備する軍人さんは見かけなかったな。シャンゼリゼの大通りもそんなに目立った警備はない様子でした。デジカメ持ってたけど、なんとなくヴィトンの写真撮りにくい感じだったのであきらめたのだ。巨大カバンのシャンゼリゼに面した部分の覆いが取れて、別の巨大カバンの留め金が出現しておりました。近々、日本人会のほうにまた行くから、今度は撮ってみようっと。

     俳句会の後、夜は昨日戻ってきたT子ちゃんと再会。飛行場の様子を聞いたら、全然物々しくなかったとのことで、拍子抜け。欧州経由便だったので、すでに経由国で入国手続きは済ませて、でも旅券チェックは何時もよりは時間をかけていたぐらいだったとか。フランス入国そのものはす〜っと済んでしまったそうです。 なんか拍子抜け〜。
     日本のパスポートって、黄門様の印籠みたいな感じで、といっても税関吏が平臥したりはしませんが(爆)、赤い表紙と菊の御紋は、簡単な時は手にも取られないでフリーパスです。だいたいどこの国でもパスポートコントロールで手間取ってるのは中近東やアフリカの人が多いのだ。あきらかに人種差別としか思われない態度。しかし、イギリスに入国する際は、結構チェックが厳しくて、それにあの国はブラックリストが各管理官の手元にあって、パスポートの名前の頭文字をす〜っと手でなぞってきちんと確認してたんですよね〜。庵主の頭文字はGなので、最初はささ〜っと、1/3ぐらいまでくるとゆっくりになって、Gが終ると旅券を返してくれるっていうのが良く判ったのだ。今はコンピューターでもっとすっきりやってるだろうけど。あそこも日本同様島国ですからね、チェック厳重に越したことないんだけ。それにアイルランドの問題抱えてるし。しかし、いつまでもユーロに変えないのは、至極不便でいやらしいのだ。(笑)

     今日からちょっと暖かくなってきたけど、夜は風が出て寒い。うちの前のイタリー通りの早咲き種の桜、先週気温が下がったので開花がストップ気味でまだ満開じゃありません。いつもならとっくに満開なんだけど。ぶれちゃったけど、パリの夜桜と広告塔。

 

 

飛行場なんかはレベル・ルージュなのだ。

2004.03.13

    日本でどの程度ニュースになってるのか?スペインのテロ。 今日からフランスの厳戒態勢がオレンジレベルに引き上げられ、飛行場や駅など、無差別に人が沢山集まる公共の場所はレベルが赤になりました。この厳戒態勢のレベルは、黄色、オレンジ、赤と最後にすごいのは何色だっけか?の4段階に分かれていて、赤になると軍隊もばっちり出動して、守られてるのか、脅されてるのか判らない雰囲気になるのだ。(^^ゞ 

    いまだにアルカイーダの犯行なのか、バスク独立運動系なのかはっきりしないまま、フランスは直接これといった予告も受けてないけれど、隣の国であり、先の鉄道爆弾事件のこともあるので非常に敏感になってます。
    なんでもプラスチック爆弾を操作したと思われる携帯電話にはアラビア語の表示があったとかで、アルカイーダ路線が濃厚のようだけど、何かの都合でいろんな組織が手を組むことだってあり得ますからね〜。わかったもんじゃないのだ。この携帯電話から足が付いて、モロッコ人とインド人が数人逮捕されたらしい。それにアルカイーダの犯行声明がビデオで届いたとかいうことらしいけど、それも確かなものか不明。
   
    庵主は今のところ繁華街には出てないので身近には感じてないけど、明日は俳句会で月に一度のシャンゼリゼ参り。お天気によってはミーコちゃんを連れて凱旋門をバックに「お出かけミーコ」しようと思ってたけど、ちょっとあきらめ気分。だって、シャンゼリゼ付近でもし何かあったらとか、所持品検査とかいろいろあるだろうし。なぁ〜んて、そういうの慣れているとはいえ、やはり面倒なものですゥ。そうそう、アテネのオリンピックも非常に危ないともっぱら。(だろ〜なぁ)

   スペインでは今回の列車爆破テロをNYの「9.11」にならって、「3.11」と呼んでおり、昨日12日はマドリッドで1000万人以上が参加してデモや集会がありました。フランスからも首相をはじめ何人か政府からも参加。テロというと俄然張り切ってしまうフランス。(笑)パリのノートルダムでの追悼ミサや月曜かなぁ、お昼頃サイレンと共に全国でテロの犠牲者のための黙祷を予定してるとか。
   

   で、飛行場などかなりの厳戒態勢に入ったのでは?と、今日、東京からパリに戻ってくる友人のことがちょっと心配になってた庵主。でも、夕方、無事戻ったと電話があり、ひと安心。でもその飛行場の様子を聞くの忘れちゃった。明日、会う予定なのでその折に聞いてみよう。
   日本の皆さんは心安らかにお過ごしください。

 

春雨じゃ、濡れていこう...

2004.03.12

   一日のずれを取り戻しきっていない庵主です。今日は何度も金曜日だっけ?を繰り返していたのだ〜。一日中薄暗くて雨が降ったりやんだり。でも、夕方、文房具屋さんに買い物があって、ゴブランの方までぶらぶら出かけました。本当は映画も見たかったけど、時間がうまい具合じゃなくてとりやめ。コッポラの娘が撮った、東京が舞台になってる映画です。もう随分前に封切られたのだけど、まだ観ていなかった。日本ではやりましたか?

   雨は上がっていたので、ゴブラン織りのアトリエ脇の100年ぐらい前までは川だった道を歩いて、ギンナンがなってた公園にに行きましたが、なんか枯れ木ばっかりで冬景色。レンギョウがちらちらっと咲いているだけ。中にバラ園のようなのがあるのだけど閑散としてるし、他は殆ど木ばかりの公園なので、全く色気がない。ぶ〜。

   公園を横切って歩いていたら、木蓮が咲いているのを発見!へ〜〜〜。もうちょっと先かと思ったのにィ。うちの前のイタリー通りのコブシは寒くなって開花がちちとして進まず。

   写真は左がゴブランの昔ヴィエーブルといった川が流れていた所、右下が公園からその川だった道の方の景色、レンギョウが春雨(か?)にしょぼくれてます。木蓮も。
雨がちょっと降ってきたけど、傘を差し出して「月さま、雨が...」ってな感じに言ってくれる人はおりませんし(笑)、傘持ってたけど面倒くさいからそのまま散歩は続行。こういうとこはまったくもってフランス人の振る舞いの庵主でございました。(笑)誰も傘さしてないでしょ?

 

金曜じゃない?!(~_~;)

2004.03.11

   さっきまで、今日は金曜だとばかり思い込んでた庵主。なんか一週間がはやいな〜なんて、そりゃ1日飛ばしちゃってたらそ〜だわなぁ。(笑) 珍しく朝早くから出かけたりして、感覚が狂ってしまったのかなぁ? ま、いいや。

   朝の用事は思ったより早く済んだので、どこか寄り道しようかと悩んだあげく、荷物持ってたのでうちにまっすぐ戻りました。明日が金曜ということは、今日あきらめた寄り道を実行できるな...な〜んて大げさだけど。

   え〜、来る四月でこのHPも一周年を迎えます。これも応援してくださる皆様のお陰。 うるうる。

つきましては、一周年記念イベントとして、懸賞クイズ第二弾!を近々予定しておりますゥ。クイズ、何にしようか検討中。プレゼントも検討中。お楽しみに〜〜〜\(^o^)/

な〜んて、どうしようかなぁとブツブツ言いながら、本家ぴーたろーのパンツ完成しました。前にお見せした浴衣、ヘロヘロになってましたので、この子も衣替え。飾りボタンというかなんというか、山猫バスとトトロですゥ。ジブリの森で購入したんだぞ〜! ちょっときどって写真撮りました。ミーコちゃんとお揃いの布でしょ? 実は、15年ぐらい前に庵主用に縫った夏のズボン(庵主はどーしてもズボンと言ってしまうのです)の余り布です。

 

おパンツさま、さよ〜なら〜(ToT)/~~~

2004.03.10

    あの殿方達が、今朝は消えうせておりました。元気ない庵主でございますゥ。(笑)今日は朝から出張レッスンだったんだけど、張り切って出たら...もういなかった...。ぐすっ。おまけに滅茶苦茶寒くて雪もちらちら。

    なんでも東京は桜の開花が18日とか。早いな〜。パリは寒くなってしまって春ムードは一旦おあづけです。ミーコちゃん達も春の装いにしたのに、お出かけはまだまだだわ。

    昨日は東京の武道館でボウイのコンサートがあり、蒼月♯さんが行ったので、彼女のHPで詳細を報告してくれましたぁ。(蒼月♯さんは、最近ここの掲示板に書き込めなくなったらしい。う〜ん。どういうことだ!!)それで、出血大サービス風の内容で、パリのコンサートより時間も長いし、従って曲数も断然多い。ぐやじ〜〜〜〜っ!! 以前にこの日記でも書いたボウイのお水のCM、今、日本でやってるそうですね〜。また、見たいな〜。あれ、なんか面白いんだもん。

    どうして、いわゆる外タレは日本びいきが多いんだろうか?まづ、ペイがいいはずだ。待遇とかいろいろ含めても。他に良く耳にするのは、日本のファンはすごく質がいいということ。日本人のファンはプレゼントなんかもいっぱいするしね〜。(笑)故マイルス・デイビスもアメリカ以外で好きな聴衆というのに、日本人をあげてたわ。きちんと聴いてくれて、演奏しがいがあり、魂が一つになれるんだって。ほ〜そうか?って思ったけど。そうかもしれない。
むか〜しのボウイのインタビューで、そう、ZIGGYの頃、ステージの演出や衣装の話をしてて、歌舞伎を見て感動してヒントを得たし、衣装は山本寛斎って、さかんに言ってた。すばらしいを連発してて。すでにあの頃、彼は日本びいきであったのだ。うんうん。

    それにしてもォ、いいな〜。ま、パリの方が頻繁に来てくれるけどね〜。今度はいつかなぁ。リアリティのアルバム、売れてんのかなぁ、フランスでは。

 

ブルターニュのそば粉がいろんなものに化けて戻ってきたのだ。

2004.03.09


    夕方、雪がちらちら!空は半分青空で日もちょっと差して。寒ゥ〜〜い!

    今日か明日かと待っていたコロンさんからの小包がやっと届きましたぁ。管理人室を覗きに行ったら、庵主の名前があり、包みを見たら、時間がかかったわけが判明。航空便じゃなくて、SAL便だったのですョォ。以前はSEA&AIRといって、陸路と空路での郵便でした。フランスに食料品を送るのに、一昨年は平気だったのに、去年からSALか船便でないと郵送できなくなったんです。封筒に入れてある場合は平気みたいだけど、小包状になると手紙のような航空便でとは行かないようです。
で、ニコニコ自分の棟に戻ったら、お掃除のお兄さんにめっかっちゃった〜。「また、なんか届いてたでしょ?」だってェ。へへへ。(~_~;)

    開けてみて、わ〜〜っ!いろんなものが入ってるゥ\(^o^)/。なんか「そば粉クレープ長者」になった気分。ありがと〜〜〜!! コロンさんがすごく心配していたのは、「おたべ」を入れてくれていたからで、でもね〜、賞味期限切れてたって、大概のものは大丈夫です。で、なんともなかったので、しっかり食べちゃいました。(^_^)v おいちい。(全部じゃないわよ〜)他に、彼女がお勧めの「きなチョコ」や北海道限定販売の「じゃがポックル」などなど、いろいろ入っていて感激ィ。話や写真だけで、いったいそんなに美味しいものなのか?と思っていたので、でも、まづは「おたべ」を片付けてから。だって、後引くようなのですよね、どっちも。(笑) 「ムッキーちゃん」という夏みかん剥きは夏みかんないので、オレンジを買ってきて早速お試ししました。オレンジとか、確かに皮むくの面倒だな〜って思うことあるので、これだとかなりラクちん。中華街には夏みかん風なのがあるので、今度買ってこよ〜っと。外側だけじゃなくて中の薄皮もむき易くできるような代物なのだ。

    ミーコちゃん達も興味しんしんで、覗き込んでおります〜。綺麗な花麩とうさ子ちゃんのハギレも。次のお洋服はこれ?ってミーコ三人娘。(笑)


    そうそう!外の殿方、小さい方は他のに変わっちゃいました〜〜〜〜。(>_<) 大きいのもいつまでおわしますやら...。

    

 

毎日送り迎えしてくれる方々(笑)

2004.03.08


   日が当たってると暖かそうに見えて、散歩に出ると案外寒い。それでも花は着実に春を迎えているので、早く少しだけ軽装して散歩したいな〜なんて思うもの。このところ、ずっとそんな具合ですね〜。

   ちょっと寒くっても今はお出かけする時、少々楽しいです。(笑) 先週からうちのアパートを出ると、まん前に大きなポスターがあって、道を渡りながらそれに見とれてたら、途中で信号が変わってしまって、車にプップゥ〜なんてされちゃいました。(笑)「どうだ!見てみろ!」みたいなもんでェ...へへへ。いつぞやは男性の目を楽しませた下着ですがね〜、って女性にも結構評判だったけど、今日は女性のみなさん、お待たせいたしました!蒼月♯さんに、日記に載せたら?とご推薦受けましたものでござりまするゥ。

   こんなの、家の前にど〜〜んとあったら、いかが?
隣は女性版なんだけど、全然目立たない。(笑)実はご丁寧に右下にも小ぶりのがあって、これなんか夜は明かりがついて目だってるのね〜。あと何日ぐらいこのまんまかな〜?
   
   

 

あちこちの穴からゾロゾロ

2004.03.07

   おとといは啓蟄の話をしたけれど、フランスの言い伝えにも、3月のものに似たようなのがありました。

「聖パトリスの日(3月16日)が暖かいと、ザリガニが穴から出てくる」

というもの。

そして、昨日は聖コレットの日で、その日には雲雀が鳴き出すといいます。

暦の上では今は仲春。中国では「倉庚(ひばり)鳴」とも言うので、自然の営みは洋の東西を問わず、人間はどこにいても同じように感じているのですね〜。

なんて、今日は俳句の投句をしたのでこんなことをちょっと。

   外は時々春雨。日が当たったり、曇ったり。寒いようなそうでないような。落着かない空模様だったので、静かに家で過ごしました。何やってたかって...お雛様を片付けようと思いつつ、つい他のことを始めてしまいましてェ。ふふふ。
ちらっと一部をお見せしますゥ。↓

 

春の日のヴヰオロンの...

2004.03.06


どんなに長いこと住んでたって、行ったことないところはいっぱいあるのだ。今日のスウェーデン教会もその一つ。一時期、わりと近くに住んでたのだけど、ぜんぜん知らなかった。場所は凱旋門からもそんな遠くないパリの西北17区、テルヌ広場付近。外の作りも内側も、どことなくスウェーデン風。壁は白くてのっぺりした感じだけど、天上の梁の装飾や窓枠の木と床の調和が暖かい雰囲気でした。

    今日はここの講堂でヴァイオリンのコンサートがありました。庵主の先輩で姉の幼馴染であるK子さんの演奏会。ぎりぎりに行ったら、満員で人が溢れんばかり。あやうく締め出されそうになって滑り込み。椅子席はとっくにないので、木の床にぺちゃんと座っておりました。曲目はバッハのソナタやブラームスなど。こじんまりとして、とてもいいコンサートでした。会場で母校の同窓生数人と落ち合い、フランス人のシスターも見えたのでしばらくおしゃべり。その後、近くの中華レストランで夕食。シスターは昔は日本に住んでいらしたので、日本語もおできになりますが、最近は日本と離れたし、お年のせいもあってか段々忘れがちの様子。とはいっても、意外な言い回しが古くてきちんとした日本語だったりして、おおおっ。とこちらが反省することも。  
    チャーハンのグリンピースを見て、シスターが初めて日本に着いた時、食事でグリンピースが出て、お箸で食べなきゃいけないと、すごく緊張して失敗したという話が出ました。おっかないと相場が決まっているシスターでも、そんな失敗談がやっぱりあるのですね〜。長い日本滞在中、最初は学校でフランス語を教えていたけど、その後は社会福祉関係の仕事に変わり、それこそ日雇い労働者の面倒をみていたとか。その頃からすでに私服になり、Gパンもはいていたそうな。いかにも西洋の尼さんのカッコでは(って顔も西洋人で)、壁になるばかりでベールを取ったのだそうです。今はフランスでも普通の修道会のシスターは私服です。日本でも増えました。だからねェ、レストランでチャーハンのグリンピース飛ばしちゃったとしても平気。(^o^)シスターだなんて判んないもんね〜。フフフ。

 

春はどこまでやってきたか?

2004.03.05

   今日は日本の暦の上では「啓蟄」(けいちつ)。春になって、冬眠していた虫さんたちが穴からぞろぞろ顔を出すんですな。「啓」は開くの意味があり、「蟄」は地中で冬篭りなどした虫などのこと。これは俳句では春の季語。他に、似たようなので「蛇穴を出づ」とか「地虫穴を出づ」なんて具体的な季語もあります。だいたい陽暦の3月6日ごろということで、今年はうるう年だから今日なのかな?

   こちらはお天気はちょっと下り坂で、週末に向かって寒くなるみたい。日本はどうだったのでしょうか?

   鉄道線路の爆弾脅迫騒ぎは、マスコミから世間に洩れたことで、すっかり相手方と連絡が途絶えた状態。なんでもその場合には二週間は連絡を絶つとも予告されてたとか。一部では全くのデマカセなんていう声も出ているみたいだけど、そうでもなさそうな、何かがあるんで内務省は極秘に動いていたんでしょうが...。パリ市内のゴミ箱は撤去されたり蓋されたりせずだけど、メトロは今日もいきなりちょっと止まっちゃったりだし。このまま立ち消えてくれるとありがたいというのが本音です。そうじゃないと、安心して出かけられないしね〜。これから暖かくなってなんとなく遠出したくなるんだからぁ。

   そういえば、スーパーではすでにイースター用のチョコが特別コーナーに陳列されていて、びっくり。なんて商魂たくましいんだろ〜。まだひと月以上あるのにィ。啓蟄とは名ばかりの春だと思ったけど、やはり「春」はやって来たんだろ〜か? 

   写真は公園で先日撮った「クリスマスローズ」。これは英名で、クリスマスの時期に花が咲くのでこう名づけられたとか。きんぽうげ科ヘルボルスというのが正式名称のようです。いっぱい種類があるみたい。普通はちょうど今頃が花の時期のようです。だからこれも春を告げる花。でも、まだ寒〜〜い。
   

 

線路は続くけど、今日の関心事は...

2004.03.04

    線路は全長32,000km、鉄道職員1万人を動員して、爆発物の探索に躍起になっています。今のところ何も見つかっていませんが、探索は続行とのこと。パリ市内のメトロはなんとなく厳戒態勢の雰囲気。しかし!今日の最大のニュースはある大物歌手の死。クロード・ヌガロという人で、74歳。そんに年だとは思ってなかった庵主。作詞作曲もしていろんな人が彼の歌を歌ってるし、自身も長年にわたってヒット曲が結構あるのだ。ジャズっぽい歌も。TVのCMにも彼の歌はよく使われていて、息の長い歌手でした。

    今夜は、パリの東側にあるヴァンセンヌ市に台湾人のアーティストのグループ展のオープニングに行ってきました。ヴァンセンヌは森やお城、動物園があるところ。この動物園には以前パンダがいたのですが、メスは30年ぐらい前に、オスは数年前にミマカリましたぁ。随分長いことヤモメ暮らしだったパンダくんでした。
    パーティーの後、みんなでご飯を食べようということだったので、ゆっくり目に出かけた庵主。すると、メトロが途中で止まってしまってあせったぁ。厳戒態勢かなぁ?なんの説明もなかったのら〜。ま、よくあることですがねェ。それで、駅に着いたら遅くなって焦り気味。小雨降る暗闇を、お城の石の天守閣を横目にスタスタ。なんかお城から出てきそう〜。(~_~;) しかし、なんのなんの。ギャラリーはまだまだ盛り上がっておりました。無事、リヤンやアントニーとも合流。
 
    展示作品の中に人間の脳や心臓なんかの内臓モノがモチーフになっているのがあったのだけど、それを見て、アントニーが「去年、アメリカでねェ、高速で事故に遭遇してねェ、散らばってるものを拾い集めるのを手伝ったんだけどねェ...CDとか本とかバッグとかさぁ...」と、話しだした。お〜〜〜っとォ。庵主は、こういうのはしっかり聞くのだ。(笑)

    夕食はアラブ料理のクスクス。穀物に野菜たっぷりスープやお肉いろいろ。やっぱりフランス人の話題は歌手のヌガロのことだったぁ。こっちから他の話の水を差し向けても、反応がイマイチなので、そのうち諦めて無視。隣になんか座っちゃって損した気分でありました。

 

線路はつづくゥよォ、ど〜こまでも〜。

2004.03.03


   ♪今日は楽しいひな祭り♪なんて呑気なことがいっていられないフランスです。と、いうのは...

   昨年暮から、フランスの大統領と内務大臣は計6通の脅迫状を謎の組織から受取っていたことが発覚したのだ。そして実はそれに対して真剣に対策を練っていたらしい。なんでも昨日2日に政府はその情報をマスコミに一応もらし、内密にと頼んだとか。それが今日一斉に報道されちゃったんですね〜。(当たり前だ!)

   で、その脅迫の内容と言うのは、だらけた政治家、腐敗した経済、教育の衰退などを非難しており、テロ行為も辞さないAZFという組織だと表明。そして鉄道線路10箇所に爆弾をしかけたという。そして400万ドルと100万ユーロを要求。実際に2月末に国鉄線路上でプラスティック爆弾が発見されてましたぁ。
こわ〜っ。(ーー;)

   さらに、一昨日、内務省は犯人側と新聞のメッセージ欄を使って暗号仕立ての接触を図り、現金を指示通り運ぼうとしたが場所が不明瞭で失敗という有様。とほほ。

   というわけで、現在、国内の鉄道線路上では爆発物および不審な異物発見探索にやっきになっているわけ。一番確かな方法は、線路伝いに歩いて検査することだそうで、その人員数と任務は大変なもの。今のところ、列車は平常運行のようですが...。街も別に特別厳戒態勢にはなってません。

   さてさてどうなりますやら。当分、汽車でのお出かけは控えないと...予定ないから大丈夫かな〜。

 

おとなしく潜伏の巻

2004.03.02

なんか今日も軍艦沈没でした〜。(>_<)
 
   確実に齢を重ねております。(笑)これで無理すると風邪ひいちゃったりするので、じっと大人しくしておりました。外はお天気だけど寒そ〜〜う。

             **********

   先日中華街で面白いもの見っけ!普段は滅多に食べないスナック菓子ですが、うちに人を呼んだりする時にはアペリティフ用になんか調達。それで見つけたのは写真のもの。これ、えんどう豆のスナック(日本ではなんて言ったんだったかなぁ?)で、わさび味。でも、タイ製です。「のりわさび味」というのは日本語で書いてあって、ゲタにわさびが乗ってるイラスト付き。その他はぜ〜んぶタイ語。1ユーロ10セントです。150円前後。これが、日本製の同類のスナックだと、関税の関係で3倍ぐらいの値段になってしまうのですね〜。ばかばかしい限り。だから、最近のこういったアジアの「まねっこ食品」でじゅうぶんなんです。漬物なんかも日式(日本風)云々のまねっこが増えて、安価で大助かり。
これ、後引きます。おいしい〜。(笑)

 

弥生でござるよ。

2004.03.01


    ああ〜。もう3月ですね〜。時間の経つことの早いこと!!(年かも...)

    夕べはとても楽しい宴で、気持ちよく酔いも回って甘露甘露。結局、約一名は酔いつぶれてしまいました〜。今朝も(殆どお昼近く)飲みすぎた〜とゴロゴロしてて、庵主はそれを横目に郵便局と散歩に。寒〜〜〜〜い!!! 日は当たってるのに風が強くてちゃっぷいなんてもんじゃありませんっ!

    二日酔い気味と言いつつも、「てなもんや三度笠」のビデオを見つつ、またまたベトナムのphoフォーの麺を煮込みにして昼餉。その後、カロリーを消費するには歩くのが一番と、お天気もいいしモンスーリ公園まで散歩。寒いので亀さんたちは見かけなかったけど、公園内はやっぱり桃の類の花が結構咲いていて、寒いながらも春の兆し。クロッカスや小ぶりの黄水仙もかわいらしいでした。しかしね〜、ハトが人の顔を見ると餌をもらえると集まってくるのは閉口もんですよ。やんなっちゃうな〜。下げてる袋の中は中身がほとんどない財布かデジカメだけざんすよっつうの。やだね〜ったらやだね〜。(笑)

 


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