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2003年10月の鵞毛庵日記

ニース漫遊記 *2日目 旧市街とアンティーブなのだ。

2003.10.31

   夕べは久しぶりにいっぱい食べて飲んで騒いだ庵主。へろへろへろ。(@_@。
  
   ニースは南仏だからパリよりずっと暖かい。だけど、ホテルには暖房が入ってるし、夜中に暑くて汗かいて何度も目が覚めてしまいましたぁ。さらに朝は予定より早く目覚めてしまい、朝食後、VIEUX NICE ヴュウ・ニースという旧市街と海岸沿いを散歩。お天気は雨混じりの曇りで海はミストラルの続きで荒れてました。旧市街には毎日市場がたっていて、明日の諸聖人の大祝日のためにお花屋さんにはお墓参りようの菊がいっぱい。こちらの人は11月1日がお墓参りです。海岸では刻字用に小石拾い。夢中になってたら、いきなりドバ〜っと高波が寄せてきて転がるように逃げたりして、命がけだったのだ。(笑)しかし、これは無駄な行為に。詳細は後日談で。

   夕べは皆さんお疲れ様だったので、ゆっくりとお昼前に車で小一時間もしないアンティーブという町のピカソ美術館に出かけました。海に張り出しているピカソが住んでいたこともある館が美術館になってます。波が荒れてるゥ。そんな中で一人釣りしてるおっさんがいたのにはびっくり。今晩のおかずを釣ってるのかしらん?

   

 

庵主の「ニース漫遊記」なのだ! * 一日目 

2003.10.30

    朝からひっじょ〜に良いお天気。ウキウキ遠足気分の庵主。準備万端、早めのお昼を済ませていざ!オルリー空港へ。うちから近いので国内線は移動がラクチン。珍しく定刻どおりの出発。しかし、秋の学校休みと重なってかなり混んでるだけじゃなくって、小さい子がうじゃうじゃ。案の定、機内は空飛ぶ託児所か保育所状態でした。(@_@;) さらに南仏はミストラルという北風の突風ピープーで揺れました。マーライオンになるかと思った庵主。ミストラルが吹いてたのでいつもと逆に旋回してニースの飛行場に着陸。やれやれ〜。朝の快晴はオルリーを出る頃はどっか行っちゃってましたが、ニースはお天気。雪を頂くアルプスがニースの山並みの向こうに貼り付けたように覗いてて、海が一面に見えて、山あり海ありの庵主がなんかホッとする景色でした。着陸体制中は前述のマーライオンにもしやならんとしていた都合上、残念ながら写真はないです。でもね、あとで帰りの際のはばっちりですからUPしますからね〜。

    さて、今回のニース旅行は、この日記にも時々登場するT子嬢の絵の展覧会のためでした。(http://www.t-toko.com参照)日本からご家族も見えて、パリからは知人家族も含めて総勢9人で押し寄せたのでした。

    今夜は展覧会のオープニング。展覧会場のニースの画廊は何度か行ったことがあってよく知っているところ。今回はそこの画廊の出版によるダンテの「神曲」の挿絵を担当した数人のアーティストの展覧会の一環で、T子嬢はデンマーク人のJO(ヨォ)さんと挿絵と近作の二人展。一応6時半スタートのオープニングも、人が三々五々集まって賑わうのにはゆっくり時間がかかり、たっぷり飲んじゃったりして結構出来上がってから、友人知人を混ぜて20人近くで近所のレストランで夕食。やっと前菜食べ終って、なんと殆ど11時。デザート済んで散会はもっと遅かったですゥ。

写真はオープニングの様子。こうやって、長〜いことフランス人はしゃべってしまうのだ。画廊入り口、みんな空きっ腹で前菜を待っているところなどなど。デンマーク人はやっぱりいくら飲んでも顔つきが変わらない。(笑)同伴の奥さんも顔色ひとつ変えず。でも、すごく感じの良いご夫婦です。

 

水が出なくてしおれてしまったワンダーの巻

2003.10.29


   朝から今日は水道メーターじゃなくって、元栓の付け替えで断水だったのを、また忘れていた庵主。あわてて飛び起きたが時すでに遅く...。水道屋さんも来るんだから身なりは一応ととのえないとなぁ〜〜〜。仕方ないので化粧落し用のウェットティッシュみたいなので顔を拭いて、コンタクトレンズは入れられないので眼鏡といった有様。とほほ。ちっともワンダーではない鵞毛庵のできあがりィ。幸い、お昼は昨日の煮込みうどんが残っていたので、暖めて食べました。

         *************
   
   さてさて、今日はお約束のアカンサスの話しをしようぜィッ。気合イマイチ...。空元気。
   
    
   このアカンサス、和名を葉アザミといいますが、葉っぱが似ているのでこの名前が付いてるだけで、アザミとはなんら関係もございません。えへん。原産は地中海岸沿岸や西アジアというあったかい地域の多年草植物。葉の大きさは5〜60cmっていうところかな、結構大きいです。棘がちょっと先っちょにあって、光沢がある葉っぱです。夏には花も咲きます。写真は夏に撮ったものだけど、花咲いてなかった...。
アカンサスはギリシア語のakantha(とげ)に由来している呼称だそうです。葉や根っこにタンニンを含んでいて下痢止や止血剤に使用されたとか。
  それが古代ローマやギリシャの時代からいろんな装飾模様に使われています。コリント式円柱の柱頭は、なんでもお供えだった籠に入れたアカンサスが籠目から芽を出して籠を包んでしまったのがモデルというような話を聞いたような気がします。真偽の程は...。劣等生の記憶なのだ。
   
  写真ひだりが植物園にあったアカンサス。つやつやしてるの判るかな?ワックスかけて磨いたみたいです。真ん中は昔の写本の飾りの一例。赤と青で描かれていることが多いです。そして右がここのGALLERYの一番左下の作品の頭文字の部分です。周りのいろんな色の葉っぱも字の中の葉っぱもアカンサス。この手の頭文字は字自体が青や赤系が一般的で、葉の模様は葉っぱ自体を最初から描くのではなく、葉脈に陰と光を付けながら仕上げる技法を使って描きます。そうすると自然に葉っぱが出来上がるというわけ。パターンが決まっているので、一度それを理解すればパズルのような感じです。スタージュで教えてくれたクラウス・ピーターは長電話なんかするときに何にも考えないで練習するとすぐに慣れてできちゃうよォなどと、いとも簡単に言ったけど、ま、遠からじ。

         ************

  明日午後からニース、4泊5日で不在ですので、戻ってきたらニース便り書きますね〜。日本時間だと金曜からっていう感じかな。それでは。ばっはは〜い。(思わずケロヨ〜ンって言ってる人、だぁれ?)

 

ケルトのふるさと小さいブリテンの巻

2003.10.28

今日はアカンサスのことを書こうと思ってたけど、急遽予定を変更いたしまして、ケルトの続きを書くことに。

フランスの北西部のブルターニュにはもともとはケルト人が住んでおったのじゃよ。(語り部爺さんしてる庵主・笑)
海の向かいのグレイト・ブリテンのブリテンとブルターニュは同じものです。海の向こう側の方が大きかったのか、強かったのか?グレイトだったんですな、きっと。

で、フランスでは一般的にブルトン(ブルターニュ人)は石頭っちゅうことになってます。これは庵主がパリに着いたばかりの頃に、寮でひとり男勝りのおっかね〜子がいて、他の子たちが嫌がってて、教えてもらったのだ。普通、ちょっと石頭の態度を取ると、「あんた、ブルトンみたいね」とすぐ言われます。

従ってかどうかは定かじゃないけど、エゲレスのストーンヘンジより規模が大きい巨石文化遺跡がカルナックという所にあり、観光名所になってます。みんなが石に乗っかって写真撮影したりし続けたので、最近はあんまり触れないみたい。

http://www.lessing4.de/megaliths/brittany_s.html
↑いろいろ探してみてここどうかな?カルナックの写真いろいろあります。英語のページ。(フランスじゃ、禄なのないのね)

またブルトン語というフランス語とは全く関係ない言語があり、長い間蔑視されてましたが、ここ数年、地元ではやっと学校でも教えたりするようになったとか。(以前は公の場で使用禁止でした)

写真はパピルスにスミ・オンシアルというケルト文字を使って書いたブルトン語の「ブルターニュ賛歌」です。数年前に西の最先端のブレストの方にヴァカンスに行った時に絵葉書を見つけたので記念に書いてみたもの。ブルトン語でブルターニュのことをBREIZHブレイズ(ブリィズかな?)というそうです。

NI BREIZHIZ A GALON
KAROMP HOR GWIR VRO....

「我等、勇者ブルトンは祖国を愛す...」という意味。詠み方全然判んなぁ〜い。

装飾文字はBREIZHのB。ケルト模様の奇獣柄です。ケルト模様は他に組みひもの飾り結びみたいな絡み合い模様も特徴。ここのGALLERYの一番左上の作品の頭文字にちょっと(その文字はオンシアルという同系の文字)、それから左下段から二番目の緑色の作品の右隣のがスミ・オンシアルで簡単な絡み模様が見られます。

 

ケルト人のお祭りは何処への巻

2003.10.27


何年か前に比べたら、ぐ〜んとハロウィンブームが下火になったとはいえ、小さい子供達はこれを機会に騒ごうということで、地味ながらも関連グッズをスーパーなんかで見かけます。

大昔はフランスも北西のブルターニュは先住民がケルト人だから、その辺りの民間信仰ではハロウィンのもとになる習慣はあったようですが、キリスト教の普及と共にすっかりそんなものは消えてしまったんですねェ。迫害されちゃったんです。どこ行っちゃったんでしょ〜?もともとはケルト人の収穫祭みたいな、夏の終わりのお祭りだったのが、いろんな宗教やら習慣やらと混ざり合って、アメリカに渡ってなんか派手なお祭りに変化したのですが...。

考えてみたら今まで縁がなくって作品ぽいもの書いたことなかったけれど、今日は暇に任せていたずら書きしてみました。ひっひっひ。←??

カラス口を使って遊んでみました。
最初はハロウィンと全然関係なく葉っぱの模様の練習してたんですが、思いついてこういうことにィ。最初のhの中の模様は葉っぱです。見えるかな〜。この葉っぱの模様は写本にもいっぱい使われていて、アカンサスという葉がモデルです。コリント式円柱の装飾にも使われてる葉っぱ。実物見ると、そうかなァ〜?なんて思っってます。昔の人のデザインって結構大胆かも。このアカンサスの写真もちゃんとありますが、それはまた明日。

 

マロニエの黄葉ひたぶるに...の巻

2003.10.26

今日から冬時間に突入したワンダー鵞毛庵でございますゥ。
やっとまともな朝の明るさを取り戻しました。でもこれもつかの間。朝も夜もじょじょに暗さが増してゆきます。冬至まであと2ヶ月弱。う〜ん。辛抱せねば。以前は九月に時間が変更になってたのですが、イギリスに合わせるという名目で1ヶ月遅くなりました。時間変更そのももを廃止しようという話しもあるぐらいでして、人間だけでなく、家畜にもかなり影響があるみたいです。

もともと、第一次石油ショックの頃に資源節約のために始められたというこの制度(だったと思う...)、統計的にはちっとも節約になっておらず、かえって具合の悪いことの方が多いらしい。子供なんか情緒不安定で学業が振るわなかったり、太陽の動きで生活している動植物には不自然極まりないわけです。

ただでさえ気候が不順だし。酷暑のせいで地中海の魚達がみな、ドーバー海峡方面に逃げたという話しを小耳に挟みました。いつか日記で話した大西洋を通過するマグロさんたちと同様、普段と違った動きをみせてます。

なんか秋の風情もイマイチ。こちらは紅葉より黄葉が主体なのですが、どうもね〜。さっさと枯れ落ちちゃってるか、枝についたままきちゃなくなってるか。

寒くなってモヤってて、ひと気の無い公園。ああ、秋の日の...ひたぶるにうら悲し...

 

庵主ワンダーウーマンになるの巻

2003.10.25

ぶはははは。ワンダー鵞毛庵でございます。

    今日、蒼月♯さんの日記にハンドルネーム占いのことが話題になっていて、庵主もさっそくググッて占ってみました。HNも吉凶があり運不運を左右するという発想の下に、愉快な占いをしてくれます。庵主はまず「ぴーたろー」を占うと小吉。次に「鵞毛庵」、これも小吉。どちらも適当に良いHNとのことですが、それに他のものを加えるといろいろと吉凶が変化。中でも大吉であったのが「ワンダー鵞毛庵」というもの。笑えるでしょ?

    さて、夕べ案じたように、今朝はとんでもない時間に目が覚めて(朝5時半)、世の中真っ暗けっけのままもんもんと過ごしてしまいました。今頃は9時を回らないと明るくならないのら〜。それでも、一応毎朝やってるメールなんかのチェックとか用事は済ませて、ご飯も何時もよりたくさん食べて、それでもまだ真っ暗。そして腹ァくちれば、また眠くなりますわ。で、また寝てしまった。ぶぶ。

    今夜半から冬時間。だから明日は一時間得するのじゃ〜〜〜。して、夜明けが早まる。でもって日没は早まるわけ。(遅くなる筈ないですゥ)朝が明けないというのはえらくつらいものですよ。北欧の全く日が差さないというのよりはマシだけどねェ。少しは朝の目覚めがすっきりするかも。やっぱり朝起きると明るいというのが自然の法則だと思うのですよね〜。

    ワンダーウーマンって、めがねを外してくるくるって回るとキラキラっとかなって星条旗柄の衣装に変わるのよね。星条旗じゃなくって日の丸柄だったら... 向こうの方に逃げてるのがワンダー鵞毛庵の庵主でございます。↓

 

腹ァくちて寝こけるの巻

2003.10.24

   来週ニースに出かけるので、飛行機のチケットを旅行代理店に取りに行き、その後、元務めていた会社に置きっぱなしにしていたコンピューターを引き取ってきました。午後はその中やZIPに入れてあったファイルを普通のフロッピーやらこっちのPCやらに移す作業なんかで肩こりこり。猪やっこさんから届いた「ツボ」の本をぱらぱらやってグイグイ。

   夜、お稲荷さん作って、鳥を焼いたりなんたり、ビール飲んで、「てなもんや」の続きを観ていたら、そのまま寝てしまった。あははは。これね、ものすごく小さかった頃の庵主の得意技であります。って。あたしゃ、覚えてませんがね、よく、親に言われたもんでござんすよ。大人しくなったなァ〜と思うと、きゃわいい庵主は食卓でこっくりこっくりやっていたそうな。

   でもって、時間は夜の9時半!げェ〜〜〜。なんてこった。と、気を取り直して残りのビールを一口飲んだら、また白河夜船よ。どうなってんの?もうこれはいかんとばっかりに、あわてて着替えて寝入ったのでした。時間はやっと10時。こんなに早く寝ちゃって、大丈夫かな〜?

 

ZIGGYの次はウルトラマンがやって来たの巻

2003.10.23

    本来なら一月の気温だって。明日の朝はマイナス3度、日中は6か7度....うううう。ぬァんだァこれはァ〜〜〜〜ッ!!!ついに庵主もガスのスイッチを冬型にして暖房を入れたのでした。ぶるるるるゥ。

    今日なんか朝から灰色一色の上に雨まで降ってて、鎧戸を開けたって閉めたままだって、明るさが殆ど変わらない。もう病気になりますよ、ほんとに。

    しかァし!夕方、ウルトラマンがやってきたのだ。それもスペシウム光線を発射しているのだ。ムハハハハ。と、いうのは、猪やっこさんのトメ吉くんのところでキリ番をゲットしたご褒美が届いたのです。記念品の主役はトメママの猪やっこ特性、真夜中に怨念をいっぱい詰め込んでぐつぐつ煮詰められた「紫蘇ジュース」。これを飲んで暗いパリに爆発するのだ!(笑)
    他にもいろいろ楽しいものが入っていて、一粒三〇〇メートルの美味栄養菓子にオマケが付いている、タイムスリップグリコも入っていたのですゥ。\(^o^)/  なんとも懐かし〜い気分になってドキドキワクワクしながら箱を開けて中の袋の封を切る手ももどかしく...おおおおッ〜、ウルトラマンの「スペシウム光線発射」。「きゃ〜ッ」...。
    
    ご存知海よ〜堂さんの細かいフィギュアの部品。早く組み立てないと、ウルトラマンもなんとも無残なお姿です。(笑)「た、た、助けてくれェ〜」という声が聞こえてくるではありませんか。あわてる庵主。手先が震えちゃうし、説明書になっている「週刊グリコ」の字は小さいし、部品を差し込む穴も小さいし、よく見えないよ〜〜ん。近頃、小さな細かいもの、よく見えないのね...年を感じてどっと疲れる庵主(ーー;) あせればあせるほど光線の差込がうまく行かず、四苦八苦すること、かなりの時間を費やしてしまいましたね〜。やれやれ。紫蘇ジュースでも飲むか。 

    どうだッ!ウルトラマンは不滅なのだ〜。シュワッチ!

 

記憶喪失の巻

2003.10.22

いきなり本格的な冬型気温になってしまいました〜〜〜〜。ぶるぶるッ。日中、10度切ってますゥゥ。

あの酷暑はなんだったんだ!たった二ヵ月半でこの気温の差はなんなんだ!と、道行く人も皆、そう思っているに違いない。それと、今日、友だちと話していて、おかしいのは庵主だけでないことが判明。それは...。

あの酷暑の間、いったい何を食べていたか?

覚えているのは煮炊きなんかとてもできない状態で、お湯も沸かしたくなかったことだけ。じゃあどうやってご飯作ってたか?冷やし中華のようなものや冷奴ばかり食べていた気もするけど、そればっかりじゃなかった筈。でも、記憶がないのら〜。食欲もそんなに無かったしなァ。

記憶がすっぽり抜けちゃってるのね。過去の日記チェックしてみよう。なんか書いてるかな?

昨日、夏のあの時期に届いた「てなもんや三度笠」のビデオをまたちょこっと観たんだけど、その時も、あ〜あ、よくあんな暑さの中で観てたな〜と関心してしまった庵主。

そして、そのことがはるか彼方のことのような気がしています。

 

ZIGGYがまたやってきたの巻

2003.10.21

    ひょ〜〜〜〜ッ。行ってきましたァァァ。\(^o^)/ディヴィッド・ボウイのコンサート。
会場はベルシーの公園の西側にあるベルシー体育館。写真がそれでし。

    7:45にベルシーのメトロの出口で友だちと待ち合わせ。すでに携帯片手に待合せの人でいっぱい。こういう人ごみにまぎれると、背の低い庵主は全く目立たなくなるので不安になってしまったのだ。案の定、遅れてるの。友人の携帯にメッセージを残して電話ボックスを出たら(庵主は携帯持ってない原始人です)、バイクがちょうど停まって友だち二人が乗ってました。ほッ。もう一人、別の人も体育館の入り口の方で待ってて合流。一枚多く予約しちゃったことにさっき気付いたとTくんが言うので、会場前で「一枚切符ありま〜す」って叫んだら、すぐ売れちゃってめでたしめでたし。

    つまんねェ前座が終ってから、通路の柵を越えていい方の席に4人でぞろぞろ移動。会場は室内競技場なので席は舞台をU型に囲んで、舞台のすぐ前は立ち見の場所、何て言うんだっけ日本じゃ?私達の最終的な席は舞台上手すぐの中段ぐらいでした。最初は舞台上手の真横だったので断然マシに。平均年齢高いですね。やっぱり。(笑)
  

    カッコいいね〜〜〜。どこからあのパワーがでるのかなァ〜〜なんてずっと思ってた庵主。しかし、はっきり言って、内容は、実は、何ていうか、あのォ、ですねェ、昔の歌の方が多いんじゃないかァ〜、リアリティ・ツアーは詐欺でっせ。新しいアルバムの歌なんて2,3曲。後はみ〜んな、泣いて喜ぶ昔のヒット曲。しっかし、初めて生で聞いたので、庵主は感激は感激。まさか今回ZIGGYを歌うと思ってなかったのでかなりびっくり。30年間、同じ歌を歌い続けて、ちっとも衰えてない不思議な魅力は満載でした。

    だけどさ〜、ここんとこ口すっぱくして、過去を振り返ってもしょうがないだの、新しい物にどんどん挑戦だのって言ってたのに、これってどういうこと?

と、友だちもみな同じことを考えてた。結局、昔の歌の方がイイってゆ〜ことなのか?か、それともですね、彼があまりにも先端を行ってて、やっと今になって時代が追いついているのか。ということに一応落ち着きました。確かに内容によってはかなり先端をいってる歌なんかあるわけだし。

    庵主は今夜はチャイナ服の上着着てました。全然意識してなかったけど、まさかCHINA GIRL、ねェ、でも歌ったんだ、これも。

    

    

 

煙草は高級嗜好品になり得るかの巻

2003.10.20

   今日からフランスは煙草が20%値上げ。そして来年早々にまた値上げして都合4割以上のアップを政府は予定しています。殆どが税金よ。これに反対した煙草屋組合がお店を閉めて全国あちこちで抗議デモ。

   昨今の禁煙運動でただでさえ売り上げが落ちてるのに、これを機に禁煙する人も増え、どんどん商売あがったり。閉店をまぬがれない店や閉鎖工場も当然のことながらあるわけです。さらに煙草の密売が増加することへの懸念から、煙草屋さんたちは死活問題で立ち上がったのだけれど...。せめて来年早々の重なる値上げの延期をということらしい。これ以上政府の犠牲になりたくない!!と訴えるのも確かに一理ありますな。

   さて、この煙草の密売ルートについて、ニュースで詳しくやってました。まず、イギリスは欧州内でも一番高いところで、ここの税関で欧州外に販売するということで無税で買い付け、リトアニア方面に流す→東欧経由でフランスに→場合によってはもとのイギリスにも流れる、というルート。煙草の単価や課税が少ない国を通ってもとに戻って安く売られるという訳です。ものすごく儲かるらしい。トラックの運ちゃんが、積荷に紛れ込ませてドーバーを渡ってくれって、かなりいい手数料でその手のヤカラが話を持ってくるんだと言ってました。ドーバー海峡に向かった税関では運送トラック周辺で当然のようにみんな煙草買ってる様子を隠しカメラで写してました。これはみな、本物のたばこ。
   もうひとつは、ブランド物と同じく、ニセ煙草があるんだと。以前は中国モノも多かったらしいけど、今はロシアを中心に隠れ工場でパッケージを似せて品質の悪いのを作ってさばいているらしい。ロシアの煙草って、葉っぱより木の屑みたいなのがいっぱい詰まってた。昔、モスクワでお土産代わりに買った時にロスケの煙草は相変わらずひどいねェと父に言われたものです。(笑)最近はロシア系(要はロシアマフィア)の隠れ工場がドイツで検挙されて、話しによるとベルギーにもそういう工場があるらしい。フランスにできるのもすぐって感じですな。

   この他にぐんと価格が安いお隣のリュクサンブルグ公国から買い付けてさばいている連中も国境付近にはいるとか。

   アメリカや日本ほどじゃないけど、フランスも禁煙運動が徐々に浸透してきました。禁煙の専門医はきっと笑いが止まらないだろうな〜。確かに、以前に比べたら随分喫煙者が減ったと思います。庵主が学生の頃は10人いれば8人は吸ってたし、子供が吸ってるのもよく見たし。ランドセル背負ってベンチで美味しそうに吸ってたもんね。(爆)法律では未成年の喫煙は禁じられてないんです。未成年に売っちゃいけないという法律のみ。日本と逆だわね。小さい頃、よく煙草屋さんにお使いに行った庵主。(笑)
   それから、自分で手巻き煙草っていうのが、愛煙家の最たるものみたいだったんだけど、最近見かけないな〜。上手に巻くのには修行がいります。片手でひょいひょいっと上手にやる子は魔術師のようだった。大学の講義中にノート取りながら左手で作っちゃうの。先生も生徒もスパスパやりながらの授業...(-_-;) ああ、昔語り。


   煙草も近い将来パンピーの手に届かぬ高級品となり、キャビア、フォアグラ、トリュフ、松坂牛、マツタケ云々と肩を並べることになったんだわ〜。(笑) 

   写真は台湾の煙草。可笑しいからと友だちが箱をくれました。これはないわよね〜。(爆)  

 

一日中DEPARDIEUの巻

2003.10.19

   マザー・テレザが福者になった。福者とはカトリックで聖人になる前段階のランク。今回は当事者が亡くなってからたった数年で福者に列せられたというのが異例。庵主の通っていた学校を経営する修道会の創立者は350年も待ったのだ。現ローマ法王は自分の在位中にできるだけ多くの福者を列したいという意図があるとかないとか...。そして法王在位25周年の式典も行われた。これで大きな行事に姿を現すのは最後ではないかとも言われている。

         **********

   今日は昼間はずっとテレビのFR2でジェラール・ドゥパルデューをゲストに迎えての特集番組がありました。水曜日にジャン・レノと共演の映画が公開されるのでその話しで持ち切り。そして、夜はM6で息子のギヨーム。息子ギヨームも俳優。実生活では離婚に伴い不在がちな父と息子の確執が有名。さて、このギヨーム、6月に右足を切断したのです。1995年にオートバイの事故で大怪我をして入院、手術を繰り返している間に、院内感染で黄色ブドウ球菌に感染し、右足のひざ、筋肉、骨などが犯されて、ここ数年、痛みを抑えるためにモルヒネ中毒にもなりかかっていたらしい。統計によると、この手の院内感染はフランスでは年間80万件近くあり(ぞォ〜〜〜〜ッ)、うち4万人ぐらいが死に至るケースだとか。それを知ったギヨームは病院内の管理システムなどに大して怒り爆発。自分のように苦しむ人がこれ以上増えないためにと基金を設立。厚生大臣に直訴したり、マスコミにも随分と訴えかけていた。だけど、感染による苦痛でテレビで見かけてもきちんと話せないこともよくありました。そんな時は自分がこういう姿をさらけ出すことで、自分の知名度も有効に利用して現実を知ってもらいたいと言っていた。今日は術後、かなり精神的にも元気そうな様子でゲスト出演。義足はとにかく一番いいものを、そのために初めて家族に借金した、父親に資金を調達してもらったと言ってたな。幸い、それだけの財力があるから可能なことで、誰にでもという訳じゃないのも許せない話しだとも。22万ユーロだったかな?っつうことは約22万ドルです。保険では全くカバーされないんだって。(高級品だから。歯なんかも一番安くてどうでもいいのしか保険利かないのと一緒です。)

   彼は俳優という職業を殆ど捨てなければならない訳で、今回のいろんなことを通して世の中の矛盾にイヤというほど触れてしまったのを、これからどうやって乗り越えてゆくのか。

   ただただ庵主は入院した際に院内感染しないでよかったと胸をなでおろすばかりでした。

 

ものがたり

2003.10.18

   ぶらっと散歩に出たら、近所でまたがらくた市をやってました。今度はうちの前の大通りの端っこの方。結構安くてまあまあなものがあったけど、庵主には必要ないものだったからな。おなべとかお皿類は現在満ち足りてるので...。ホントに動くのかな?なんていう感じのラジオや時計。中には飾りとしてだけでもじゅうぶんなものもあったけど、そうじゃないのはどーすんだろ〜?

   日本の貝あわせが二枚あった。絵は平安朝の図柄だったから、源氏物語とかを題材にしてるようなタイプのだけど、きっとそんな古いもののはずないし、この二枚が合わさっているかどうかも判んないし、値段も聞かずに済ませました。よくあるのよね、お雛様一体だけとか、いったいどうやってここまでたどり着いたんだろうって思うようなもの。それぞれいろんな物語が込められてると思うと、ちょっと怖いような気もして...。だから殆ど眺めてそう問いかけるだけが多いです。

   ひと通り見終わって、中華街に一歩踏み入れたら、なんか今日はお貰いさんが多いな〜。そのうち二人は東洋人でした。この人たちも流れ流れて、物語をいっぱい抱えてるんだろうな。
そういえば、数日前のニュースで浮浪者だけど絵を描いてた人の絵が口伝に人気が出て、画商がついたとかなんとか。ご本人は病気がそうとう重くなって現在入院中なんだけど、自分でも語らないからいったい何処の誰なのか、本当の名前もなァ〜んにも判らない。ただ、フランス語以外に英語はきちんと話すんだそうな。あと彼の口から出る話はものすごい失恋をしたことと、大火事にあったことがあるというだけ。

   世の中、いろんな物語が詰まっている。


  

 

法蘭西に中国大陸パワーが吹き荒れるかの巻

2003.10.17

   新型肺炎にもめげず、中国の経済は良好ですって。なんか大陸パワーって感じだな〜。それに引き換え、同じ大陸続きでもヨーロッパはねェ、寒々しい感じ。庵主のふところと一緒。

   この秋から一年間は法蘭西(フランス)では「中国年」。経済面や文化面などなど、いろんなところで中国関係の催しが企画されてます。何年か前は日本年で、法隆寺の夢殿修復で居場所がなくなった薬師如来が来仏。(笑)お返しに、セーヌから自由の女神が東京に出かけて行きましたよね。催しが目白押しで、通訳だの何だのの仕事があふれていました。

  聞くところによると、アート関係は現代美術の紹介に随分と力を入れているとのことで、中国の秘宝級のものはやってこないらしい。残念。先日ちょうどニュースで取り上げていたのは中国のバレエ団。なんか妙に郷愁を覚えました。と、いうのは、あれは70年代初頭だったと思うけど、来日公演があり、テレビで興味しんしんで見たことを思い出したのです。「白毛女」みたいな古典的なものから、紅衛兵丸出しのスゴイのまで、機械のように飛び跳ねるダンサーっていうか、体操の選手みたいな人たちの動きとつくり笑顔に圧倒されたものでした。あれから30年の歳月が流れ、文革も終焉を迎え、21世紀の中国バレエ団はその様式は保持しながらも演目の題材は映画「覇王別姫−さらば我が愛」を脚色したものをやるとか。今日、メトロでポスター見かけました。観に行ってみようかなァ。

  しかし、来週はボウイのコンサートだし、他にも行きたいコンサートだのなんだのいっぱい。ああ、芸術の秋、おんもも懐中も寂しい季節になったものよ。

 

目を保養した後、口中大火事になるの巻

2003.10.16

   ポンピドーセンターのすぐそばの「KOKORO」というギャラリーに吉村昌也さんという陶芸家の展覧会に行ってきました。会場で7時に中国人のリヤンと待ち合わせ。クリームチーズがかかったような柔らか味を感じさせる焼き物で、庵主は水差しが気に入ったけど、手元不如意につき眺めるだけでございました。招待状の写真になってたのを家に戻って気付きました...。


   このKOKOROというギャラリーは東洋系のアートを扱っているところで、入るなりいきなり「日本人の方ですか?招待状はお持ちですか?」と流暢な日本語で西洋人の男性に話しかけられ(なんか妖しいよォ〜)、お飲み物は?と至れり尽くせり。その飲み物がウォッカ。珍しいな。つまみは、北の方っぽい甘みのあるピクルスに蜂蜜とクリームがかけてある。これがすっごくおいしかったァ〜。(ロシアや北欧ではよくやるみたいです)
   そうこうしているうちにリヤンが到着。彼女がオーナーを紹介してくれた。あ、さっきの男性。私のことは彼女からずっと話しを聞いていたらしく、あああ、あなたでしたかァ、やっと会えたんだァと感激してる。(^_^;)
で、さっそく庵主はリヤンにヒソヒソと他の人に判らないように中国語でいろいろ聞いたら、彼はスウェーデン人で、日本人と結婚して、鎌倉に長く住んでいたんだけど、今は離婚して云々と、ぼそぼそっと教えてくれた。(内緒話に役立った庵主のさびた中国語・笑)ははァ。どうりで、あの日本語。

   ころあいを見計らってベルヴィルの方の中華街にベトナムのフォー(おそば)を食べに行き、久しぶりに会ったので互いの近況を。そして映画「英雄」の話に。なりますね〜当然。北京で観たっんだって。う〜ん、いいなァ。本国でもすごく評判はいいそうです。やっぱり、あの微妙な人間の内面の描写とか、夢想して戦うとか、とにかく西洋人には判んないわよねェって言ってたので、同感。中国ではしきりにひとつの真実に何通りのバージョンもある初めての試みだなんてマスコミでとりあげていたらしいけど、「羅生門」(「藪の中」)があるじゃないね〜と憤慨してました。そこで、庵主は「藪の中」だってイギリスかなんかの小説にもとネタみたいなのがある筈だから、芥川が最初じゃないみたいよ、なんていいつつ、おそばをずるずる。

そ、そ、その時!話しに夢中になって、自分で入れた青唐辛子の刻んだのを誤って食べてしまい、口の中が大火事になるというハプニングに見舞われました。アセアセ。(-_-;)

   もうひとつ、面白い事を小耳に挟んだのですよォ。レスリー・チャンの最後の映画のDVDを買った話しをしたら、その映画をやって、彼自身、かなり影響を受けておかしくなったんだと。なァる。やっぱりィ。「ビルから飛び降りるっていうのが、観てて気になったのよ。観てみるゥ?」「ダメ。」....あ、彼女は怖いのはおトイレ行けなくなっちゃう星人でしたァ〜。(笑)

 

よかれと思っても、それがじゅうぶんに活用できない状況の巻

2003.10.15

   空は真っ青だけど、さむ〜い。なんかこの感じ懐かしいな〜。東京の秋から冬にかけての気候に似てるんです。めずらしいの、こんなの。普通だったら、そろそろ灰色の街になってみんな暗く硬ァくなってゆく季節。日本に比べたら遅いけど、日没は確実に早くなって夜7時には暗くなってます。今月末から冬時間だから、もっと早く暗くなるんだわ〜。そうすると本格的に冬。

   午前中、用事で出かけてバスに乗った際のできごと。そのバスは新しい型で車椅子用の設備がなされているもの。あるバス停で子供を車椅子に乗せたお母さんがいたので、運転手はバスを何度も前後させて四苦八苦して車体を低くしてやっとこさ停車。なぜ四苦八苦したかというと、バス停のわきに街路樹がデンと構えているのと、バス停に囲いがあるのとで、停車の位置によっては車椅子が通れないからです。お母さんは椅子を押しながらバスと一緒にバス停の周りをウロウロ。幸い、乗客はだあれも文句をたれなかった。なんとか無事に乗車。やれやれ。

   と、これじゃ済まなかったのは、降車の時。どうやら、このバスは停車してからは車体を低くできないらしい。「低くしてくださ〜い」って何度か頼んだってできなかった。ちょっと混んでたのでお母さんと運転手は離れてて直接交渉できない状態。最後はあきらめて、「他の人に手伝ってもらいます」と大きな声で叫んで、そうやって降車。
いったい何のための身障者も安心して利用できるバスなんだろ〜?

   この光景をバスの一番後ろに押し込められて見ていた庵主は、なんかちょっと疑問を感じてしまったのでした。  

 

鴛鴦夫婦の実態はいかに

2003.10.14


   街中はいやなほど土鳩が勢威をふるっていて辟易。うちの小さなバルコニーにも巣を作られそうになってタイヘンだったことが。餌をやっちゃいけないという法律があるにも関わらず、餌やりばーさんやじーさんは必ずおり、そんな人たちがパンくずやお米を撒くと、この世の光景とは思えぬ状態に。すごい!一体どこからどうやって?というぐらい、鳩の伝達手段の速さと言ったら...それも我先にと他の鳩を踏んづけたり馬乗りになったりしているのですよ〜。


   しかし、ひとたび公園に入ると、いっぱいいろんな鳥がいるもんです。普段あまりみかけないようなキレイなのもいたりすると、ああ、よかったなんて思ったり。そうそう、つい最近、朱鷺のきんがついに死んじゃって、ニッポニア・ニッポンは絶滅しちゃったけど..。

   写真はオシドリです。ベルシーの公園の池に鴨さんたちがたむろしてて、ひなたぼっこしてたり、泳いだり、の〜んびりしてました。あ、オシドリがいるんだ〜とちょっとびっくりした庵主でした。隣の地味な方は奥方でしょうね。(笑)ダンナが一生懸命めかし込んでるのに、そっぽ向いて。これがイワユル円満夫婦の秘訣なんでしょうかァ?

      

 

飛行場の床はどこでもつるつるよく滑るの巻

2003.10.13

   2,3日前の日本のニュースで、飛行機の出発時間に遅刻して逆ギレした棋士のことが載ってましたね。

   はっきり言ってこの人は大○カ。自分を何様だと思ってるんだ!!それに、近頃はいくら搭乗手続きしてたって、飛行機は待ってくれないのだ。世界中、殆どの飛行場と飛行機会社がそうなのだ。その理由に、同種の便が頻繁に飛んでいるし、飛行機の駐車じゃない、駐機(っていうの?)料金は莫大ということがあるのだ。それに何度もアナウンスする筈なんですけどねェ。

   飛行場で走らされたこと、何度もあった庵主。成田で2回。荷物持って走るのね、ツライですよ〜。床、滑るんですよ〜。なりふり構わず「すいません、飛行機出ちゃうんですっ!!」てパスポート検査で割り込みしたりとかさ、はずかしい〜〜。←これは庵主が悪いのではなく、搭乗手続きが異常に混んでいたためと、もう一回はカウンターで、一人旅だからといっていきなりすぐ出る別便に変更されてしまったため。

   シカゴでは雪で送れてしまって、まさに転がるようにダッシュ。ゼーゼーたどり着いたら、セキュリティーのための質問攻め(アメリカン航空の定番)、大丈夫、飛行機出ませんからって、すぐ目の前の扉指しながら、ずっと質問が続くのだ〜〜。誰が荷物作りましたか?どこで?誰かから物を預かりませんでしたか?何の目的の旅行ですか?何処に泊まりましたか?ここまでどうやって来ましたか?な〜んつうのが延々とつづくのです。息絶え絶え。でもって、その時は庵主が飛行機内に一歩踏み込んだとたんに扉が閉まり、乗客の視線をビシ〜〜〜〜ッと浴びて死にそうだったァ。「アンタのためにみんな待っててやたんだぜ、ジャップのお嬢ちゃん」って感じでしたです。あせあせ。

   他にも何度か乗り継ぎの飛行場で走ったけど、とにかく、昔と違って今は待ってくれないので、経由便は余裕を持って予約を入れるようになってます。何事もないと、結構無駄な時間を過ごすというありがたいことに。元気な時間帯ならいいんだけど、日本からパリに戻る場合のヨーロッパ内での経由は、ちと厳しいものが。日本時間の真夜中とか明け方にあたるので、お腹も空いてないし、眠いし。ただ椅子に座ってぼ〜っとしてるだけしかない。と、いつだったかブツクサ言ってたら、ゲーマーの母がゲームボーイの麻雀をポイッとくれたのでした。ふふふ。

   

 

オ〜!シャンゼリゼよ、何処へ行ったの巻

2003.10.12

パリで一番嫌いなところと聞かれたら、即座に「シャンゼリゼ」。どんどんつまんない所になっている。なるべくなら足を向けたくないけど、月に一度は俳句会で日本人会に行かねばならず、それがシャンゼリゼのど真ん中。それもあの有名なカフェ「フーケ」の建物なのです。

な〜んて書くと、みんなのヒンシュク買いそうだけど、ホントにやなんだもんね〜。いつごろからそんな風に思うようになったのか定かではありませんが、とにかく観光客用の大通りと化してただの住民にとっては落ち着かないところになってしまったのですよォ。

学生時代は時間があるとわざわざ出かけて行ってお茶したりしてたんだけどな〜。するとなんだか素敵に妖しいカップルとか、いかにもお金持ちって感じの品のあるアラブ人とか、よくみんなが想像するようないかにもフランス映画みたいな雰囲気だったんだけどなァ。歩いてる人はみんなシックだったし。高級娼婦が小ジャレタ犬を散歩させてたりとか...それが今じゃァ、猫も杓子もGパンにTシャツって感じで、身なりが軽すぎる。だけど、シャンゼリゼというだけで、何もかもよそより高くてばかばかしい。

昔よく入ったシックなカフェからうるさい音楽が外まで流れて聞こえてきた。なんかさみし〜〜〜ィっ。

 

フランス人と輪廻転生を語たりしこと

2003.10.11

   ダライ・ラマが来仏中。今日はベルシーの体育館で集いがあったらしい。ベルシーにお散歩に行こうかと思ったけど、周辺は警備でタイヘンだったろうし、行かないで正解でした。でも、ちょっぴり、後悔もしてる庵主。

   ニュースで見たところでは、フランスでも仏教人口は少しづつ増えているとか。会場から出てインタビューを受けてたおばさんが、「誰だって仏教を信ずることができるんですよ、キリスト教徒だってなんだって。私のようにユダヤ人でも」って、すごく嬉しそうな顔してた。そうです。アラブ系の青年も、「今日の話はすごくよかった。ダライ・ラマの語ることに嘘も間違いもない。すごく当たり前の、すごく平穏なこと。それなのに、何で世の中は...」ってちょっと興奮気味に言ってました。

   ダライ・ラマもローマ法王(なんか元気取り戻してます)のように、世界中駆け回って、平和のための貢献につくしています。彼もイヤミのないカリスマ性を持ってる。どんな少年期を送ったかはブラピが主演した映画で知ってる人も多いと思うけど、激動の人生を送りつつも仏様に加護されているというか、すごくいい顔。話しもおだやかで、インタビューはいつもさわやか。いつだったか、あの映画については、あれは映画で面白くできてますがねェって言ってたなァ。その言葉の陰には現実はそんな甘いものじゃないということなんですが、それは表に出さずに、ニコヤカに。

   パリ生活の初めの頃、よく輪廻転生のことを聞かれたものです。本当に動物に生まれ変わっちゃうの?とか、前世は犬とか猫だった可能性もあるの?とか。それと、何に生まれ変わりたい?とか。そんな風に具体的には考えたことなかったので、返答に困ったこともしばしば。

   おととしの夏に石刻のスタージュの際に、殆どがリピーターで、その中の一人が、「私達って、絶対に前世から繋がってるのよ」と言い出し、「こうやって石を触って彫っていると、時間の長い繋がりみたいな不思議な雰囲気を感じるし、きっと中世の石職人とかそういうのだったのかもしれない。誰か覚えてない?」ときた。ははァ〜〜。そうかもしれないな、と庵主はすぐに思いましたねェ。するともう一人が、「実は、こうやって石を触ってると、いつのことか判らないけど、この感覚を指先が覚えてて、どこかの修道院とか、それが今の自分が行った所なのか、それとも前世の記憶なのかと思ったりしてェ」なんて言い出したり。あたしゃ、さしずめ遠い極東からシルクロードを流れてきた、石切り場の下っ端職人ってとこか、な〜んちゃって。そして、そのスタージュ中に仏様を彫ってしまった庵主でした。

   

   
   

 

出不精が郊外まで出かけるの巻

2003.10.10

   画家の友人二人が出展しているというので、「ラディゲ記念展」に郊外のサンモールまで行ってきました。

   ラディゲの生誕100年を記念しての行事の一環として、生地であるサンモールでラディゲの自筆の原稿や手紙、ジャン・コクトーとの交流のさまざまな品々や写真などが数多く展示されていました。ラディゲは「肉体の悪魔」の作者でわずか二十歳で夭折したフランスの作家であり詩人。三島由紀夫の「ラディゲの死」の、あのラディゲです。「肉体の悪魔」は若い青年が年上の女性を慕う心理描写が克明に描かれている話しですが、出版された当時はかなりのセンセーショナルを起こしたそうです。(だろうな〜ァ)1947年にジェラール・フィリップ主演で映画化もされました。

   なんとわずか17歳にして書いた小説なんですねェ。とても大人びた容貌で、短い時間を濃く生きた人って普通とは顔つきが違うような気がしました。あっという間にチフスで亡くなったのですが、最初は誤診で風邪ぐらいに思われていたんですって。それをコクトーがシャネルにお医者さんを紹介しえ貰って云々という逸話もあるそうです。もう、これだけでもじゅうぶん、小説か映画のような...。


   私の友人達は他数名の画家と共に、オマージュとしてラディゲの作品をイメージしたものや、肖像画などを出品していました。

写真は映画「肉体の悪魔」。これ以降、最近になってもいろんな形でリメイクされてます。

 

展覧会のお知らせ

2003.10.09

  帰国が迫って今日が最後のレッスンの生徒さんから、金沢のお麩屋さんのお吸い物のもとを頂きました。懐中しるこ風なの。お湯をそそぐと最中が割れて中からいろいろ出てくるタイプのです。庵主はこういうの大好き。とっても日本的で洒落てるじゃない?水中花が貝殻に入っていて、水に入れると貝が開いて花がパッと出てくるのをみたいでしょ。確かアメリカではコレをジャパニーズっていうのだけど、もともと日本からの輸入物だったんでしょうね。

  さて、今日は数日前にBBSでお知らせした福岡での展覧会のことをお話しします。

  明日10/10から10/14まで、福岡の飯塚市にある「遼雲」うのはなにて開催します。ウズベキスタンのスザニというシルク素材を使ったデザインバッグの展覧会と合同です。庵主の作品は「能の花」のシリーズの先回東京で展示した作品の中から数点と今回のために新たに例の陶額に入った小作品を出品。そのほか、カリグラフィーをプリントしたインドシルクのショールやウール地のバッグの合同作品も展示販売します。庵主は残念ながら帰国しませんが、もしお近くにお住まいの方や、遠くてもとおっしゃる方がいらっしゃいましたら、是非お運びください。

 「遼雲」国際芸術交流の郷
 福岡県飯塚市大日寺1383  TEL 0948-29-2051  
 11:00〜17:00 13日(日)もオープン

  「遼雲」は陶芸家の則松金蔵氏の御宅で、いろいろなアンティークの常設のほか、そこが実はお蕎麦屋さんにもなっており、手打ちのお蕎麦を則松氏の焼き物の器でいただけるという、なかなか趣のあるところです。

   

 

何年経っても灰色の巴里の空の下は憂鬱なのだの巻

2003.10.08

すごくいいお天気!な〜んて掲示板にポポままにお返事書いてから出かけたら、曇天と化してしまった...ぶ〜〜〜〜。これだからな〜、行動鈍っちゃうよな〜〜ァ。

   傘持ってなかったので雨になるかも、と遠出はあきらめました。気温もぐんと下がったし、銀杏が気になって様子を見にゴブラン裏手の公園へ。公園の周りのポプラの木が枝を切り落とされて裸ん坊になってました。このぐらいの時期になると枝が大きく張り出しちゃって街路樹は剪定されて寂しい姿になり、いっきにあたりは寒々しくなるんです。見通しがよくなって隠れてた信号が見えたりという利点もあるけどね〜。今年は酷暑で木も随分と傷んだから、あちこち点検や剪定なんかに力を入れてる筈。数年前の強風による倒木騒ぎもあったし、気をつけないと惨事を招きますからね。

   公園内の子供の遊び場は大勢で賑わってました。今日は水曜日だから、学校お休みの日です。その先の木陰で太極拳をやっているフランス人の脇を通って、季節が終りに近づいている薔薇園に到着。まだかすかないい香りが漂っています。ここも段々さみしくなってきたァ。そして奥の階段を上がって銀杏のもとへ。緑色でまん丸だったギンナンの実が山吹色で皺くちゃになってきてるゥ。でも臭くないからまだもうちょっとかな?

   帰りはイタリー広場のショッピングセンターに寄って、あやうく散在するところでした。CDだのDVDだの本だの。危ないあぶない。鳥の図鑑、面白かったな〜。公園でいろんな鳥をみかけるので気になってたから。でもなァ、買うってまでもないか、などと、ぐずぐずやってました。

   寒くなっていまいちパワーが出ない庵主です。   

 

疲れた目には北欧産野生のミルティーユなのだの巻

2003.10.07

     いきなり本格的に寒くなって、固まっている庵主です。しかし、まだ10月になったばかり。暖房を今から点けちゃうと本当に冬が来た時にエライことになるのでじっと我慢の子。

     近頃は日本製の遠赤外線云々の下着や靴下なんかがいっぱいあって、うれしい限りじゃ〜。(笑)それと、ちょっとでも煮炊きすればすぐに暖かさがこもるので、まだまだ大丈夫の介です。
 
     このところ雨続きで寒いので、散歩は遠ざかり気味なうえに((~_~;)、DVDなんか見ちゃっててダメ。お目目が疲れちゃうし、脂肪は燃えないし...。

     疲れた目にはブルーベリーということで、先日、カリグラフィーの生徒さんに教わった冷凍のを買ってきてお砂糖で煮て、ヨーグルトに入れてせっせと食べてます。なんでも北欧産の野生のブルーベリーが一番効果があるとかで、パリにある冷凍食品のスーパーでPICARDピカールのはまさにスウェーデン産で野生。普通のよりはちょっと小粒で酸味が強いようです。これに砂糖を適宜混ぜてそのまま火にかけて煮詰めると、ゆる〜いジャム状に。最初、凍ったままをいくつか口に放りこんでたら、指先が真紫になってしましましたァ。

     すごくキレイな色なんですよねェ。パリについたばかりの頃、街で藤紫色のソフトクリームを食べながら歩いてる人を何人か見かけて、ビックリ。いわゆるくるくるっていうイタリアンソフトクリーム(珍しかった。)だし、なんてったって藤紫色。友達とふたりでその人たちが来る方向にひたすら歩いて、街頭のアイススタンドに到着。それはMYRTILLEミルティーユ、つまりブルーベリー味でしたァ。そりゃ、初めて見たときはびっくりしましたよ。自然の色だなんて思わなかったもんね。

     と、いうことで、今日もこれからコレを買いに出かけてきます。って、家から2,3分のところに2軒はあるのね、ピカール。出かけるなんてオーバーなぐらいで...。

 

秋の夜も更けて最愛的張国栄の巻

2003.10.06


   寒くなってきました〜。こうなるとグンと本格的。でも、庵主は暖房つけずに頑張ってます。夏涼しく冬暖かい石の建物の強みです。
   
   夕べ、戻ってからうっひょ〜〜〜!! だってね、香港に注文したDVD2本届いたのだァよ〜ん。\(^o^)/

   もち、レスリー・チャンの出てるやつですよん。ひとつは王家衛の10年以上前の「阿飛正傳」で、もう一個はレスリー最後の主演映画「異度空間INNER SENSES」。これはちょっとホラーです。精神科医なんだけど、幽霊の幻覚に悩まされる患者と恋に落ちて、そのうち自分自身が過去の悲劇から呼び起こされた自殺した恋人に悩まされるという話し。

  う〜ん、彼は年取れない。実際年齢と風貌がかみ合わない。確かに以前よりは老けてきているけれど、どうしたって実際年齢に見えない。これ、役者として大きなダメージだと思った。男性の場合は特に難しいはず。このまま、永遠の哥哥(グゥグ・お兄ちゃん)の愛称のまま、大衆の思いにいつまでもいてくれればいいと思った庵主です。それに、亡霊に追い詰められてビルから飛び降りる寸前まで行くシーンがあって、彼の実際の死とだぶって寂しい気がしてしまった。

  「僕がここから飛び降りて死んで、君と一緒になればいいんだろう」って。 

  今頃、あちら側で楽しく過ごしてるといいな。

  

 

10年ひと昔。30年はやっぱり大昔の巻

2003.10.05

久しぶりに夜出かけたりして日記を更新しませんでした〜。

土曜は日本から久しぶりに戻ってきた友達を交えてご飯を食べに。酷暑の話しやらなにやら。

日本の俳句誌が届いて夏の句が二句入選してたんだけど、

     巴里の風江戸風鈴を鳴らしをり
     散りてまた散るや槐(えんじゅ)の石畳

例の江戸風鈴の句。やった〜〜〜!\(^o^)/
二句目のえんじゅはニセアカシア、よくアカシアと思われがちな、同系の街路樹。家の近所の街路樹になってます。歩道は散った花で真っ白になってました。写真撮っとけばよかったなァ〜。


         *********

   金曜から土曜にかけての真夜中に、ドイツ系のTV局arteでまた面白いドキュメンタリーをやってました。題して「KASHIMA PARADISE」。1970〜71にかけて、鹿島の工業地帯から成田空港建設に至るまでの東京近郊の農村や労働者の反対運動それに加担して運動した学生達や共産主義のグループの思想や、社会構造、農村の風習などをルポしたフランス人のフィルムで、オスカーでも73年にノミネートやカンヌで74年に賞を得ているドキュメントでした。

   庵主自身も記憶に古くない事柄が、こんな形で、今日、それもパリで目にするとは思わなかった驚き。もう、30年以上前の出来事で、今見ると、ものすごく古臭い気がして不思議でした。一番ショックに近い印象を受けたのは、当時の自分自身の生活状態と、あまりにもかけ離れている暮らし。都会と都心から100kmぐらい離れたところでの隔たりです。そして、機動隊と成田住民の抗争が、まるでローマや中世の戦か黒澤の映画の戦場シーンを見ているようで、かえって、国際空港として拡大し続けている成田空港の姿を思うと、なんともむなしい気持ちになりました。鹿島地区住民の義理や古いしきたりに縛られた生活。たんぼを耕しながら、工業地帯での就労にも従事して、農村の機能を犯されることに自分達で加担せざるを得なかった社会構造などなど。当時のフランス人の目で、的確に映し出しているのにも驚きました。

題名の「鹿島パラダイス」って労働者のためのサウナかクラブの名前でした。なァんにもない土地にポツンと。

 

日本ではお彼岸終ったけど西洋ではこれから墓参りの巻

2003.10.03

今日耳にしたおかしな話し。

   エジプトでの出来事。ある男性が約2500年前のファラオンの木乃伊を売って、そのお金でトラクターを買おうとして警察に御用になったという、なんともお粗末なこと。それにしても、木乃伊をトラックに乗せて、ピラミッド周辺だのなんだの人が集まりそうな場所で買ってくれそうな人を物色していたとか。この光景、可笑しくありません?ねェ。


            **********

   夕べはなんだか変な夢をみました。出てくる人が殆ど亡くなっている人で、夢の中でもどうして?なんて思ってました。朝、目覚めた時はなんだか自分だけとり残されたような気がしちゃって。お彼岸は終ったんだけどなァ?みんな、何うろうろしてんだろう?(笑)そういえば、日本人だけどこっちで亡くなった人ばかりだった...。

   フランスではお墓参りは11月1日の諸聖人の大祝日という日にします。その前日がハロウィンなんだけど、あれはアイルランドなんかのほうの古い習慣と混ざり合っていて、普通のヨーロッパ諸国ではやりません。しかし!数年前からなァんとなくお店のショウウィンドウなんかがそれらしく飾られたりして、ちょっとは知られたけど、続かず。夏休みが済んでクリスマスまでのつなぎという商魂および、学校が秋休みなのを狙ってたのね〜。でも、みんな、関心ないのね。余所の国のお祭りなんだって感じで。子供は楽しいかもしれないけど、お菓子貰いに回るわけじゃなくて、パーティーして騒ぐきっかけというだけ。一回だけ、ちょうどその時期に中世装飾技法のスタージュで庵主は田舎に行っていて、泊めてもらった知人の家に子供がいたので、みんなでかぼちゃくりぬいて火を入れました。なかなかいい雰囲気でしたよォ。
   

   庵主がハロウィンなるものを知ったのは確かSNOOPYから。もう随分前になるんだなァ...。

   ↓ベルシーや植物園の畑にあったかぼちゃ。

 

天高きより降って沸くいい話もあるのだの巻

2003.10.02


なんか秋晴れ。気温も結構高い。遠足とか運動会にぴったりのお日和でごじゃりました。
今日のお散歩はモンスーリ公園。昨日も雨上がりにいったのだけど、今日も何となァく同じ方向に歩いてしまいました。

今日は池の周りをうろうろ。???水面下を妖しい物陰が進んでいる???

亀さんでしたァ〜。 一生懸命泳いでるのですよ〜。きゃわいいな〜。そんなに急いでどこ行くのォ?っとっと、甲羅干しでしたァ。カメカメエヴリバディ〜。(ちょおとォ、また古いネタだしちゃってさァ、若い子にうけないでしょが〜・(^_^;))こんな池にたくさん亀さんが生息してるのね。鴨や水鳥類もいっぱいいます。

**********

   酷暑で亡くなった人は最終的には1万5千人といわれてますが、身元不明だったり、引取り手のない遺体について、少しづつ判明したことが。
   まづ、政治亡命者というケース。特にスペインのフランコ政権を逃れてきて、親族に危険が及ばないようにと、ひっそり偽名で生活していた人とか、その他の国から政治的な理由で逃げ隠れて住んでいた人のケースが多いそうです。そういう場合はねェ、家族が判っても引取りには来られなかったり、全く消息が絶えていたりだから無理。
   先日は、パリの中心地、かのサントノレ街に一人暮らしでひっそりと亡くなった男性のケース。彼はまだ60歳と若かったのに酷暑の犠牲に。この人、なんとひどい状態とはいえ、サントノレ街に建物一棟、ちいさなホテルだったところのオーナーで、他にもいくつか不動産を所有していたのだそうです。とってもそんな感じじゃなかったみたいらしいけど。で、家族とは死別していて全くのひとりだったのだけど、区役所では必死になって相続人を探し当てたのです。それが、彼のおばあさんに遡って、また下って遠い従姉の存在が判明。いきなり天から降って沸いた話しにこの女性も驚いていました。だって、そんな人の存在すら知らなかったんですから。どうやらおばあさんは再婚していたので、その最初のダンナさんとの間にできた子供の娘さんだそうです。

   こういう話って、映画の中だけじゃなくて、やっぱりあるんだわ。うらやましいこと。

 

もと都民のおもひでの「都民の日」の巻

2003.10.01

    今日は10月1日。東京都民の日でもある。都内の学校はこの日はお休みなので、なんか得しちゃったァという感じの日だった。都内在住じゃない在校生にとっては尚更。庵主の行っていた学校では、中高生はこの日に全員「赤い羽根共同募金」のボランティアをしていたので、翌2日が代休だった。これもラッキー!と朝寝坊をむさぼりくったものですゥ。
    
    9月末になると学校で赤い羽根が配られ、早速みんなそれを制服につけたものです。そして、10月1日は二人一組で、たしか2時間交替だったと思うけど都内各所にちらばって、「赤い羽根共同募金にご協力お願いいたしまァす。」と黄色い声をあげておりました。ビジネス街だと、お友だちや在校生のお父さんが声を掛けてくれて、羽はいらないけどって(娘から入手してるもんねェ)大量に募金だけして下さる良きパパとか、一度は、大手町付近を鳶職の行列があり、江戸前のはっぴ姿のおじさん達が募金してくれたこともありました。TVニュースや新聞の取材なんかもあったなァ。都内の学校でこの運動に参加しているところは結構あるので、数メートル置きに募金箱と黄色い声が並んでるわけね。だから余所に取られちゃいけないって頑張って声を張り上げて、喉を枯らしてしまったりなんてこともありました。集計当番に当たった組は、箱を学校に持ち帰ってその場で先生達と募金額の確認作業。無駄のない小銭の勘定の仕方はこれで覚えたもんです。(ホントか?)

    子供の頃はこの日が赤い羽根の日と思い込んでたんだけど、共同募金は10/1から年内いっぱいがその期間で12月は歳末助け合いと合わさってるのでした。全国ネットなのよね。もともとはアメリカからの導入で赤い羽根をシンボルに。この運動は日本では第二次大戦後、比較的早い時期から始まったようです。今でも覚えてるのは、募金箱にフコウな方を「不幸」じゃなくて「薄幸」と書いてあったこと。幸せがないんじゃなくて、あるけど薄いとうこと。子供心にナルヘソと思ったものです。

    もうひとつ、都民の日には「かっぱのバッヂ」というのもあり、毎年デザインが変わって、希望者は学校で購入できたんだと思うなァ。これを付けてると、都民の日には公共施設がタダだったりしたんですねェ。今でもそうなのかなァ?っと思っておりましたら、はすぴーさんがこのバッヂは昭和55年に廃止されててって日記に書いてました。無料施設も限られているような。

   http://cgi4.tsukaeru.net/diary/diary.cgi?user=hasu

    ↑ココの10月1日を見てください。


    他の道府県にもそれぞれの「住民の日」があると思うんだけど、学校とかお休みでした?

 


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