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2003年09月の鵞毛庵日記

酷暑のせいで物価高。巴里ではがっちり買えないでショウの巻

2003.09.30

   毎日、巴里は秋晴れ。でもすっかり気温が下がりました。とかいって、10月になろうというのに、あさっては25度なんて予報されていて、びっくり。いったいどうなってんだろ?変な天候続きで農作物に被害増大で物価高。

   夢路いとし逝去の報に、あちこちの掲示板で一番話題になってるのが「がっちり買いましょう」。なんか、年齢層が判るなァ。(笑)5万円、7万円、10万円、運命の別れ道!みたいなこと言って、当時としてはスゴイ金額であったのよね。あの中で参加者の順番を決めるのかなんかのゲームにあった椅子取りのほか、メリケン粉の中にある飴玉を口でくわえるというのもあったと思うけど、どなたかご記憶ありますか?(絶対誰かいるな・笑)あれは見てるだけでも粉にむせたような気になりました。
  お買い物の中身は、今見ると、きっと、え〜?こんなものォ?みたいなモノが並んでいたんでしょうね。スポンサーが某カレーメーカーで、当然そのカレーは並んでて、値段は判ってた筈。そのほかはきっと、当時の家電製品が占めてたんだろ〜なァ。短い時間にパッと選んでその合計がぴったりだと「がっちり」賞っていうのもあったと思う。

  な〜んてことを思い出していた一日でした。ってコレばっかり考えてたんじゃないけどォ。へへへ。

          **********

   おととい、ローマ法王の話しをしたけど、今日、側近の枢機卿がドイツ紙のインタビューに答えて、かなり健康状態が悪いと発表したらしい。でも、本人の巡礼、布教の活動意欲は決して冷めておらず、予定も詰まっているとか。このままでは、いずれ代理を立てるか、自分で移動ができなくなったら、神に召されるのでしょうとのこと。 でもねェ、旅の途中で何かあったら、それこそ、どーすんのよねェ、世紀の一大事ですよ。

   あ〜あ、今日で9月もおしまい。今日は特別な写真はないので、ベルシーの葡萄畑を。
   

 

巴里にありて銀杏並木をゆくの巻

2003.09.29

今日の新しい発見。

   国立図書館の脇にできた映画館前の遊歩道は銀杏並木だった。いつもと違う道を通って、逆方向から歩いていって発見。まだ植えたばかりだからそんなに大きくないし、酷暑でお疲れ気味。でもなんか嬉しくなった。フランスでは珍しいよそから来た木。桜と並んで、最近どんどん増えてます。

   ぜんぜん予定してなかったけど、その映画館に着いた時、4時ちょっと前で、何やってるのかな〜?なんて覗いたら、ありゃ、「HERO」4:15からだってェ〜〜〜。もう一回見ようとは思ってたんですけどねェ。フフフ。..... 

見ィちゃったァ\(^o^)/

   
   月曜日って以前は映画が安い日だったんだけど、このごろは違うみたい。普通の料金だった。ここは設備費かかってるからちょっとお高い。9ユーロでした。ま、椅子はほれ、二人がけのゆったりだし。(って、一人で行って何が面白い?)う〜ん、殆どが一人だったな..。さらに、今日はなぜかお茶を持参してなかったので、ペリエ買ったら3ユーロもした。びっくり。

   映画が終ってから、館内のビデオショップへ。「怨霊」とか「たそがれ青兵衛」とか「踊る大捜査戦」とか日本の「今」のDVDもあって、おっ!とか手に取ったけど、その殆どが香港とか韓国版。それになんだか高いのねェ〜〜。輸入版だからかなァ?30ユーロ前後なのね。ってことは¥4000ぐらいなんだけど。日本じゃいくらぐらいするのかなァ。帰国した時に買った香港のは¥2390。実は、先日、香港が拠点のビデオなんかをネット販売しているとこで価格みたら、今日見た価格の半分以下だったんだけどな。どーなってんだろ。  

 

根競べはいつのことかと皆が心配しているの巻

2003.09.28


   写真の帽子を被って椅子に座っている御仁はローマ法王ヨハネス・パウロ2世。
  
   今日、あらたに31人の枢機卿を発表したとのことがニュースで賑わっています。と、いうのは、即位して25年、現在83歳の法王、一度は狙撃されて銃弾を受けているし、徐々にパーキンソン病が進行して随分と弱ってきているのですよ。頭はしっかりしているのですが、体の方が...。写真は5,6年前に庵主がヴァチカンに行った際のもので、一緒だった方が撮ったもの。この頃も必要以外は座ってたし、セレモニー続きでお疲れでしたが、まだ今に比べればかなりしっかりしてました。なにしろ精力的に世界中飛び回っていて、先週はミサの最中に式次第などどこを読んでいるのか判らなくなったり、眠りそうになったりと、かなり心配されてました。その直後なので、すわっ!という時のために、いよいよ後継者選びの準備かと騒がれているわけです。これで史上初めての総勢195人の枢機卿軍団(笑)、そのうちの100人ぐらいかな?次期法王候補です。「コンクラーベ」っていう冗談みたいだけど、本当に「根競べ」みたいな選挙が時間を掛けて行われ、選が決定してヴァチカンの煙突から煙が上るのはいったいいつになるのか?
  
   従来、法王は終身制で退職・辞職ができないのですが、現法王のように病を患いながらも精力的に布教や巡礼に自ら力をそそぎ、誰が見てもいったいいつまでって思うぐらい表に出てくる法王は今までおらず、ものすごくポピュラー。そして非常にカリスマに満ち満ちています。キムタクやタッキーなんか足元にも及ばないぞ〜〜。法王が現れると黄色い声に拍手にざわめきにどよめきに、昔、パリに来た時なんか飛びついちゃったシスターがいたぐらいですから。(笑)カトリック青年の集いでは世界中から若い人が押すな押すな。パリで大会があった時のメトロの混みようはすごかったですよォ。
   確かに段々しんどそうで、皆、気の毒に思ってはいるのですが、だからってどうにもできず。写真のは特別のミサで、ラテン語、イタリア語、フランス語、スペイン語、ドイツ語、英語と全部自分で使い分けてました。スゴイ。日本語も出てきそうな勢いでありました。(ご本人はポーランド人)その声は耳の奥に焼付いてます。後継者もこんなにカリスマ性がある人が選ばれるんだろうか。他人事ながらちょっと心配。でも、世界情勢にもかなり大きな力を有するヴァチカンの長ですからね、他人事でもないか。

   先代の法王は即位してたった一週間で急死してしまい、あの時の騒ぎもすごかった。暗殺されたというもっぱらの噂で・・・。「ゴッド・ファーザー3」はこの一件に題材を得てますが、ご覧になったかたなら、ふむふむってうなづけるかな?
その映画にでてくるヴァチカンの不動産も、世界中に山のようにあるらしい。でも公には誰にも判らないようになってるとか。パリ市内ではごく普通のアパートとかあるそうです。庵主のとこ、どうかな?な〜んちゃって。(笑)

   庵主は学校がカトリックだったということだけで、何やかやとご縁があり、先々代の法王と現法王と何回か謁見、祝福を受けています。信者じゃないのにね、申し訳なくいことデシ。
  

 

マロニエごろごろの巻

2003.09.27

    BBSはなんか万里の長城でローマ遺跡も世界に誇る国立図書館も吹っ飛んでしまった〜。(笑)世界遺産の勝ちぃ〜!!って具合ですな。

    天気予報によると危ぶまれていたのですが、今日も一日中気持ちいい秋晴れ。午前中よりスーパーの袋を持ってケレルマンの公園にお散歩。??なんでスーパーの袋?へへへ。このサイトをリンクしてくれているtamaちゃんのためのマロニエの実を拾いに。子供のアトリエの教材にしたいとのことで、そういうことだったら、一肌も二肌も脱いじゃう庵主なのであります。

    やっぱり土曜日の朝はお年寄りやジョッギングの常連だけじゃなく、お父さんが小さい子連れで散歩。お母さんはきっとゆっくり朝寝坊か、さもなければ離婚カップルで今日は子供がお父さんと過ごす日ってとこか。肩車してもらってる子が何人かいました。ふと、庵主が父に多摩川べりで肩車してもらってから、はるかかなたの宇宙の果てのような時間が流れている気がした。気がしたじゃなくって、本当に昔のことだわねェ。(実を言うと、ああいうのは怖くて居心地いいものじゃなかったという記憶の方が強い)

    さてさて、マロニエの実。落ちてるわ、落ちてるわ。今朝は庭手入れのお兄さん達はお休みなんだな。拾い始めたらキリがないみたい。夢中になってると、頭上からシャかシャカっ、サっサ〜、コ〜〜〜ン、ぼとぼとぼと...。あわや、命中するところでございました。ひょえ〜〜〜。すっごく大きな木なのでかなり高いところから落ちてきて、遠くまではじけて行きました。

    家に戻ってお掃除して窓辺で乾かしたり、一緒に拾った葉っぱもきれいにして押し葉に。

    なんかtamaちゃんのお陰ですごォく楽しかったァ。

 

私は人間でモニュメントじゃないと言ったミッテランの図書館の巻

2003.09.26


 なんか熱いのか寒いのかよく判んないです。薄着だと寒くなるし、厚着すると汗だくだくだしィ。

 今日はオルセー美術館の方面に用事があって出かけた後、そこから高速地下鉄で新国立図書館までもどって歩いて帰ってきました。昨日いっぱい歩いちゃって、ちょっと筋肉痛っぽい。とほほほ。

  この国立図書館はなぜ「新」かというと、旧図書館は前世紀どころかもともとは17世紀にさかのぼる古〜い建物で、ルーヴル宮のすぐ近くにあるのですが、蔵書は増える一方。それにハイテクの導入とかとにかく建物自体が文化財だと、壁に穴も開けられないの。それにその建物だって修復だのナンだの手間がかかるし。(一番かかるのはお金じゃ)それで、前大統領のミッテランがパリ祭の日のTV演説で1988年に世界に誇る新図書館の建設予定計画を発表。13区の河を挟んでちょうどベルシー公園の向かい側に1996年末に完成し、フランソワ・ミッテラン国立図書館と命名されました。総面積25万uで、高さ180mの建物が4棟。蔵書1200万冊、閲覧室のキャパが5000席、一日の平均入場者数が2万人ということです。図書館内にはいくつか展覧会場もあり、いろんな催しも随時行われてます。新しい蔵書はすべてここに。旧図書館は古文書や古地図、写真資料などが引き続き保管されています。利用しやすいかどうかは...。すばらしい!という意見はあんまり耳にしないなァ。庵主はもっぱら展覧会とかに足を運ぶといっても、そうでもないか。(笑)

   13区のこの界隈はもと倉庫街だったりして、向かい側のベルシー同様再開発地区。まずは図書館がにょっきり4本もできたのはいいけど、ほかが最初は追いつかず、な〜んにも無かった。カフェすらもすぐ近くには殆ど無い有様。それが数年でカフェだ、レストランだ、映画館だっていろいろできてきました。もちろん、地下鉄も最初はなかったのが、パリでは初めての全自動無人電車の新路線も作っちゃったし、既存の高速地下鉄も新しい駅をこしらえて連結。この新路線の延長工事で、うちの裏の幼稚園が陥没してしまったんですけどォ...。(笑)
まだまだ開発は続きます。

   写真はベルシーの公園の高台の遊歩道からと、セーヌにかかるトルビアック橋から。停泊している船はカフェとかライブハウスとか、レストランなんか。真ん中に進んでいるのはペニッシュという昔は石炭船、今は他にも積荷はいろいろの運送船。セーヌを下ってゆけばドーバー海峡ですから、現在でも立派な水上交通手段で運送船のラッシュもよく見かけます。遊覧船もあるし。だから、飛び込んじゃ危ないのだよ。虎キチくん。(笑)ここにはないけど、ペニッシュを改造して住居にしている人たちも結構います。誰でも住めるのだけど、外観はいつもキレイにすることという最低限の決まりがあるそうで、船の手入れが好きじゃないと住めない。住居として停泊してる岸には郵便受けとか水道、電気なんかがそれ用に引かれています。

 

ライオンが走り回ったかもしれない円形劇場跡の巻

2003.09.25

    お昼ごろ電話局から電話があり、ラインが開通しましただって〜。なんだよ、今ごろ、ふん!おせィんだよって感じに、夕べっからとっくに繋がってますよ〜って言ってしまった庵主。可愛くない利用者ナンバーワン。

    さて、お天気良くて涼しいけどちょっと汗ばむ感じ。散歩日和ですゥ。銀杏がどうなってるか様子を見に。ほんのちょっとだけ黄色くなってきてましたが、まだまだ。それを確認してからなんとなく坂道をぶらぶら。気持ち良いな〜〜。でもって、古代ローマ円形劇場跡へとやって参りました!こんなの予定じゃなかったんだけど...。どこにあるかというと、モンジュというカルティエラタンのちょっと手前。パリの5区になります。ノートルダム寺院から真南に1km弱下ったあたりです。今度パリの地図のっけないとねェ。

    ここは、正確な年数は不明ですが、古代ローマ時代の円形劇場跡。しばらくぶりに行ったら、手すりが付いたりしてきれいになってました。パリ市内には二箇所ローマ遺跡があり、もうひとつは、すぐ近くのソルボンヌ付近に浴場跡があります。

    ガイドブックによると、壊された年は判ってる?280年、侵略者により破壊されたということで、そのまま1869年にモンジュ通りを建設中に発見されるまですっかり忘れ去られていたもの。20世紀初頭に修復されたそうです。競技や芝居に利用されていたらしく、VIP用に指定席もあったとか。

    今は公園になっていて、ご覧の通り、暇なおっさん達がペタンクに興じておりました。

    ココまで来ちゃうと別の大きな植物公園が目の前で、そっちにも立寄ってしまいました。な、な、なんと、赤とんぼがいるではありませんか〜〜〜〜〜っ!!! 日本のみたいにまっかっかじゃないけど、それにたった一匹だけど、思いも寄らぬ出会いに感激。このあいだベルシーの公園でもトンボがいて、パリではすっごくめずらしいんですよォ。

 

やっと繋がった〜!こんなことでは「天下」は取れぬよ仏蘭西人の巻

2003.09.24

   一夜明けて、やはり繋がらない!電話局に昨日から繋がらないことを説明すると、Wanadooに掛けてくださいっていうので、それは夕べ調べて問題ないんすよっ。内心、てめェんとこ、さっさと調べろよっ!という状態。で、ここも問題なァし。お次は電話局のインターネットサービスに問い合わせろだってェ。ぶりぶり。Wanadooも電話局もすべてOKだから、問題ありはそちらでござんすよっと最初からまくし立てた。し、し、調べます。折り返しお電話いたしますので、しばしお待ちを〜〜〜って。10分ぐらいで電話があり、やはりこちらの方でインターネットのラインに問題が発生しており、ただいま復旧作業中です、午後中にはきっと、と言う。

   フランス式午後中というのは、はっきりいって今日も殆ど無理かとあきらめ、映画を観に出かけました。ふふふ。今日は水曜日。庵主が待ちに待った水曜日ィ〜。っつうのは、張藝謀の「英雄」(HERO)の公開日だったんですゥ!!いざゴブランの映画館へ。その手前のイタリー広場の13区の区役所の前はなにやら賑やか。そうだ、「イタリア週間」だったんだ。なんでもローマの3区とパリの13区が姉妹区になったらしい。区役所前にはテントが張られて特産品のほかAlfa Romeoのスタンドもありました。ちょうどカラブリアの民謡とダンスをやってましたが、時間がなかったので、つつつっと前を横切って映画館へ。
   
   いや〜、美しい映像。ワイヤーアクションなんか全く気にならない「気」の動き。でき過ぎみたいな配役。ちょっとあらすじをお話しすると、あの秦の始皇帝が皇帝になる前のお話し。とにかく敵を滅ぼしてのし上がっていた時、彼の命を狙う3人の刺客を破ったと「無名」という男が現れる。秦王はその話しに耳をかたむけながら、天下を取るということについての悟りを得、その後は敵を攻めることをやめて万里の長城を築き、守りの体制を整えて天下を治めるきっかけとなったというようなストーリー。この無名が王に語る武勇伝に出てくる3人の刺客は、長空(ドニー・イェン)、残剣(トニー・レオン)そして飛雪(マギー・チェン)。後者二人はカップル。それに残剣の弟子の如月(チャン・ツイィ)がからんでくる。

   最初に出てくるドニー・イェン扮する槍の名手「長空」とジェット・リーの「無名」との碁館(碁を打つための館ね)での対決は雨の滴る中、老人が小さい琴を奏でていて、その音を聞きながらまず二人がまるで囲碁の手を次々と読むように対決を夢想する。こういうのは、西洋人にはわかんね〜だろーな〜。

   またまたトニー・レオンがカッコいい。情けない顔しても、泣いてても、上手い。マギー・チェンなんか非情なところがあってこれまたよろしい。そしてチャン・ツイィはまだ姐さん、あんたは青いよって感じで、ぴったり。それにしても役どころが「グリーン・デスティニー」に被ってしまって...。中国人情報によると、ご本人がそういう性格だとか。ふんふん。トニー・レオンの残剣は書を極めていて、無名に「天下」の字を託して秦王を打つことを諦めるよう言うのだけど、この「天下」って言葉も外国語にするとただの「国々」みたいになってしまって、なんのことだか判りにくいのじゃあないかと思いマフ。と、いう庵主も本当のことは良く判っておりませんが。

   とにかく、映像がきれいなので、ご覧になってない方、お勧めですよ。中国って本当に広大で自然の恵みが残ってる。その上、監督はその美しさを最大限に見せるために、かなりの手間ひまかけたみたいです。

   そうそう、青い姐さん以外は主な俳優さんは香港スター。監督さんも大陸の人。みんな、頑張って北京語のセリフでしたねェ。広東語から北京語に吹替えかな?って思ったんだけど、口の動きもちゃんと北京語だったわ。
あ〜楽しかった。もう一回見に行こうかな〜〜〜。

↓日本でのオフィシャルサイト
http://www.hero-movie.jp/phase2/

思い出して写真貼り付けました。10年以上前ですが...庵主が万里の長城に行った際のもの。雪催いの午後。

 

棚から牡丹餅というわけにはゆかないの巻

2003.09.23

ネットが繋がらないのに気付いたのは午後3時過ぎだった。

今日はお彼岸のお中日。夕べからなんとなくおはぎがむしょうに食べたくなって、朝は散歩してゆで小豆を買いに。外はまさにお彼岸日和。ちょっと涼しいけど、お日様が気持ちいい〜。庵主の母の実家はお寺なので、小さい頃から春と秋のお彼岸には必ずお手伝いに行き、朝からおときだのお茶だののお世話をしたものです。お祖母ちゃんの総司令のもとに、従姉達や姉と塗りのお弁当箱にご飯を詰めて、飾りつけして...。その日にはいつもおはぎの差し入れをしてくださる方がありました。あの頃はこんな日じゃないとおはぎなんて見ることも食べることもなかったなァ。いろんな種類があって、あれこれ味わいたいけどそう食べられるものじゃないしィ。黒胡麻のなんか美味しかったなァなんて懐かしく思い出しながらてくてく歩きました。

    お昼過ぎからいよいよ支度開始!圧力釜があるからもち米炊くのなんかあっという間。今日はずるしてゆで小豆買ってきたからあんこには手間がかからないしね〜〜。そうそう、その前にメールなんかをチェックして、いくつか余所のBBSに書き込んだりしたんだわ。確か、猪やっこさんのところで、これからおはぎ作るとか書いたんじゃないかな?

   で、それ以降、夕方からぷっつり。夜になってもぜんぜん。ついに11時ごろ、Wanadooワナドゥーのサポートセンターに電話。あんまりはっきり口をきけないオニイサンが電話口に。私が自分の名前をいうと、その名前どこの名前ですか?って。またかよ〜〜〜。日本だというと、ああ、以前に日本語で女性を誉める言い方を習ったんだけど忘れちゃったァだってさ。ふん!そうっすか、それはお気の毒にィ。で、顧客番号はいらないの?ということから「ネットワーク接続」をチェックしましょうということに。
「あなたのPCは日本語バージョンですよね?これは日本語でなんていうの?」
「network」
「xxxxは?」
「dial up」
せっかく期待してたオニイサンには残念でした。(笑)
もう、定番のフランスには長いんですか?から始まって、いつもの質問は耳に流し、今日という日に限って、大事な仕事のメールを待ってたんだよっ!この唐変木!というよないわないような雑言を浴びせてしまった庵主でありました。
結局異常なし。次は電話局の問題だと思うので、明朝、そっちに問い合わせてくれろと。もう夜おそいしね〜。

と、いうことでおはぎのヤケ食いに付き合う浴衣ミーコちゃん。
秋なのにちょっと牡丹餅になってしまったおはぎ。春は牡丹で秋は萩ということになってるんですけどね〜。

 

マロニエと栗と茶色の関係は難し〜ぃの巻

2003.09.22

残暑も落ち着きを見せてきました。明日から一気に20度切って涼しくなるそうです。(庵主=お天気ママさん)

   今日は午前中にちゃんと散歩に出ましたよ〜。平日のそんな時間帯はまじめにジョギングしている人意外はお年寄りの緩やかなお散歩ぐらいで公園なんか静かなものです。お池の鴨ものんびりしてました。

   今日はケレルマンの公園に行ったのだけど、マロニエが山のように落っこちてました。2、3日前のベルシーの公園ではそれ程でもなかったのだけど、やっぱり秋。庭の手入れの人がちょうど掻き集め終ったところでした。あんまり落ちてたので頭上を注意しながらお散歩。こういう時期は危ないのですゥ。イガと実と一緒に落下してきたのに当たったりしたら、イテテテテっ。
マロニエのイガは栗のようにハリネズミかウニ状態ではありませんが、それでも結構痛いです。大きさは写真の王様のマッチの寸法からご想像ください。

   マロニエは「マロンもどき」で栃の木の一種。栃の木は正確にはインドのマロニエと言うらしいです。水のマロニエというと菱の実のこと。栗の木はシャテニエといい、栗の実はマロンともいうけど、正式にはシャテイニュ。お菓子なんかにはマロンの方に軍配があがるかも。みんなが絶対知ってると思う「マロングラッセ」。焼き栗は熱い栗の意味で「マロン・ショウ」。まだ巴里に着いたばかりの頃は、絵に描いたようなベレー帽のおじいさんが黄色の紙巻タバコくわえながら「マロン・ショウ!マロン・ショウ!」って叫んで街角で売ってました。学校の帰りに馴染みになったおじいさんはいつもまけてくれたりして。だけど、最近は焼き栗売りはバングラデッシュ系の仕事です。そういうルートがあるんだと思う。なんか焼き方もイマイチのような気がします。もう何年買ってないだろう?(今のところ、例の天津むき栗で間に合ってますゥ・笑)
   昔、アラン・ドロンが出ている映画に「栗色のマッドレー」ってのがありましたが、原題は単に「Madly」だったな。Madlyが黒人女性なのね。黒人て言っても出身にもよるし、肌の色はいろいろ。この邦題もなかなかうまいこと考えたなって感じです。俗に、白人と混ざってて少し薄めの人たちのことはカフェオレと言ってます。 で、普通、栗色っていうとまさに栗からきていて「シャタン」を使います。髪の毛の色は濃いシャタンとか明るいシャタンとか。ちなみに庵主ぐらいだと単なるシャタン。(知らない人には判んないか)こっちで黒髪というと、本当に市松人形みたいな感じで、普通のナチュラルな色の髪でも日本人は大概シャタンになります。意外でしょ?髪染めで「黒」を使うと、ほんとに市松ちゃんよ。(笑)

   じゃ、茶色は?これがね、日本人が子供の頃から親しんでいるクレヨンや色鉛筆の茶色は、brunブラン(ブラウン)じゃない! マロンなんですよ〜。ブラウンの茶色っていうのは、くすんでてもっと濃い色、つまり褐色です。だから髪の毛でブランていうと、茶色く濃い色を差しますねェ。シャタンは柔らかい感じの色合い。明るくて薄いシャタンはブロンドの濃いのと殆ど同じぐらいです。金髪もいっぱい種類あるからなあ。難しいです。ヘアカラーだってすっごい数です。

   シャテイニュ(栗の実)は、インドが付くとやっぱり栃の実、水がつくと菱の実で、そのほかに、海がつくと「ウニ」、大地がつくと「南京豆」ですって。それぞれ、もっと普通の言い方あるからあんまり使わないな〜。

 

四の五の言って家にこもってしまったの巻

2003.09.21

   う〜ん、今日は見事に一歩も外に出てない。いかん。こんなことでは...。今日も残暑でお天気はすっごくいい。しかしまづ、出そびれてしまった原因は:
 1.朝寝坊。(夕べ読書で夜更かし)
 2.読書  (夕べの続きね)
 3.調べ物 (レスリー・チャンの歌の歌詞を中国語辞典で紐解いてましたん。)

ということでした。立派な言い訳。(笑)

   で、明日、日本に発送したいと思ってるバザーに寄付するための作品の残りを書いたり、スキャンしたりプリントしたりとやっているうちに、夜の7時半を過ぎてしまいました〜〜〜。日没までには30分ぐらいまだ時間あるなァ。散歩、ちょこっと行こうかな? でも、日記書いてるうちに遅くなっちゃうか。ま。いいや。

   随分前に書いた作品もあるんだけど、これをカードぐらいの大きさにして、バザーに役立てばァと思って用意。内容はお祈りとかなんとかそんなものです。
   しかし、便利になったもので、数年前にやっぱりバザーに出した時には、東京にいたのでコンビニ行ってカラーコピーで縮小して、色もあんまり良くなくて、それを台紙に貼ったりとかすごく手間隙かかったけどね〜。今回は自分で書いたものをすぐにスキャンして、ちょこちょこっと操作して、適当ないい具合の紙にプリントして、ハイ出来上がり!すべて自宅で座ったまま、お茶の子さいさいだわ。

   と、いうことで、日没と相成りまして、おんもは「彼はたれどき」、あっという間につるべ落としで「黄昏」に染まってゆく巴里の宵でございまする〜〜〜〜。でんでんでんでん。またあしたァ〜〜〜。

   

 

仏蘭西の案山子は役立たず?の巻

2003.09.20


  益々残暑厳しくなってますゥ。でも、天気予報によると徐々に下り坂のようですが...。

  なんとか俳句も投句して、バザーに寄付する作品のプリントも上手くいったし、でも散歩は出かけそびれてしまいました。夕方、お使いを兼ねてちょこっと出ただけ。今日は土曜日だったんですねえ。それを忘れてFNACに行ってしまった庵主。本屋さんもレコード屋さんも人がいっぱいで、ボウイのCD買わずに帰ってきました。

  今日はベルシーの公園の案山子を御紹介いたしまするゥ。「へのへのもへじ」の田吾作風じゃない、フランス人の案山子さんたちです。うち一体はなんかヘロヘロになってますが。フランス語では EPOUVANTAIL エプゥヴァンタイユと言って、すっごく醜い人とかおどかしなんかの意味にも。だけどね〜、この畑にすずめがい〜っぱい。役に立ってんのかなァ?手入れや水撒きしてるお兄さん達がいたにも関わらず、私が近づいたらすっごい勢いで沢山飛び立って行きましたモン。でも、かぼちゃとかひょうたん、トマトに茄子と酷暑にめげずにたわわでしたよォ。雀が減ってきて街中では本当にちょっとしか見かけなくなってたのが、餌のあるところにはちゃんと居るんですね〜。なんか安心。この公園にはいろんな鳥が沢山いますもの。びっくりしました。土鳩にのさばらしちゃいかんですよ。ったくゥ。

  ここでふと、いつもの悪い癖で「かかし」の語源が気になった庵主。日本では、竹や藁で作った人形で、鳥獣の害を防ぐために田畑にたてるもので、古くは鳥獣の肉や毛を焼いて、その悪臭を嗅がせて追い払ったことから、「嗅がし」(かがし)といったそうですゥ。その「かがし」が変化して「かかし」になったのですねェ。これ、俳句の歳時記と国語辞典の受け売り。でもどうして「案山子」の字が当てられてるかは不明。ほかに、見かけだけは一人前だけど無能な人の意もあるそうです。(えっ?!どきどき)
俳句では秋の季語です。ってことは「かかし」で一句ひねらんとならんな〜〜。う〜ん。

  そういえば♪山田の中の一本足の案山子ィっていう小学唱歌がありましたよね。早速検索。
      → http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/kakashi.html

なんか今の子には良く判らない歌詞かも。それと一本足っていう言葉自体が公に使っていいんだろうか。その上、歩けないとか耳がないとかだしね〜。ああ、イヤな世の中になったもんだわ。  

 

いにしえの葡萄酒蔵を訪ねるの巻

2003.09.19

  こんなの初めてですよ〜。30度だって。残暑です。今頃は普通だったらそろそろセーター欠かせない季節なんですがねェ。もう暑くなんかならないだろうと夏物はみんな洗濯して片付けようかとしてたんですが....。
 
  今日はそんな暑い中、日焼け止めたっぷり塗って散歩に出ました。昨日、歩かなかったのでなんか物足りない気分になったのです。いいことだわ。でも暑いからちょっとだけェなんて軽い気持ちで出たのですが、結構いっぱい歩いちゃいました。

  写真はこの間も行ったベルシーBERCYの公園です。セーヌ河沿いに高台になってる遊歩道公園を進んで行くと涼しげに水が流れる階段。この脇でビキニ姿の美女が日光浴してましたねェ。ふふふ。写真ないですよ〜。(笑)ここを降りて左の方に行くと薔薇園や葡萄畑がありました。そう、ここはワインの倉庫があったんだもんね、その名残として当然。古い建物も残ってます。その奥が菜園になってます。(ココの写真は別の機会に。)

  ここでちょっとベルシーの歴史について。ベルシーはセーヌの右岸でパリ市内の南東あたりに位置します。もともとローマ時代、パリがリュテースと呼ばれていた頃から葡萄は栽培されていて、13世紀にはパリはヨーロッパでも有数のブドウ畑を持っていたといいます。ルイ14世の時代にワイン貯蔵庫とされて以来、3世紀に渡って継続。19世紀はその最盛期。何しろパリに近い上、貯蔵庫はパリと郊外の境界線にあり関税がかからなかったという利点があったからです。その頃はパリって本当に小さかったんです。荷は舟でセーヌから岸に上げられてから、今はもうありませんが、近くの貨物駅に運ばれ、パリジャン達はこぞってガンゲットGUINGUETTEという周辺の酒場に集まり、日夜賑わっていたそうな。酒代もパリ市内より安かったらしい。人が集まれば、ワインに付随した樽の製造、荷車の御者、卸業者なども自然に集まり、「卵の黄身売り」というのもあったとか。白身はワインの精澄剤として利用されてたそうです。毎日がお祭りみたいで、この辺りの河沿いはJOYEUX BERCYジョワイユゥ・ベルシー、つまりハッピーベルシーと呼ばれてました。でも20世紀初頭にパリの城壁の破壊、汽車の発達による運送手段、貯蔵方法の改良などにより、この界隈は衰退の一途をたどった訳です。当時の名残としては周辺の道にポマール、シャブリ、マコンなどワインに関連した名前がいっぱい残っていること。
庵主がパリに来た当時はまだ少しだけ倉庫も使われてましたが、じきに利用者もいなくなり、長いことそのままになってました。柵を乗り越えて中を探検したこともあったな〜。ワインのラベルとか捨てられた帳簿とか山のように残ってました。

  で、そんな空き地を数年前にパリ市が開発し直したのです。この公園は大部分人工なので、木が茂ってばかりじゃないから日陰が少なく、日盛りにはちょっとキツイ。水気がある藤棚の木陰に逃げ込んで一休みして俳句ひねりました。明日は別の俳句会の投句〆切なんです。

  ワインの倉庫街の名残として石畳に荷車用のレールが残っています。(写真左下)そして公園の外に出ると、昔の倉庫を改造してちょっとしたショッピングとレストラン街になってました。話には聞いてたけど、足を伸ばすのは初めて。写真右下にちょっと倉庫だった建物が見えます。ワイン屋さんももちろんありました。カフェやレストランのテラスはお天気もいいのですごく賑わってましたね。

  どうやって帰ろうかな〜なんて思いながら、端っこに面白そうな画材屋さんぽいお店があったので寄り道。そこは東京のユザワヤの手工芸を小さくしたようなお店!いろんなものがあって、かなり長い時間うろうろしてしまった庵主です。写真なんかを印刷したのを布地にアイロンで写せるという用紙と、A4サイズのカード印刷用の紙を購入。自分の作品をTシャツなんかにプリントできるみたいです。今度やってみようっと。カード用のは、ちょうどタイミングよかった。と、いうのは、日本の母校のバザーに聖書の言葉やお祈りを書いたのを寄付する予定なのです。うまくゆくかな〜。他にもいろいろあって、興味しんしんだったんだけど、今日は止めました。また来ようっと。次回のお楽しみィ。

 

甲冑の音が聞こえるの巻

2003.09.18

  今、ボウイがTVに生出演してますゥ。うふふふ。3日前から新しいアルバムREALITYが出て、来月からいよいよフランスツアーです。彼が17歳の時にイギリスのテレビで長髪(ロンゲね。)を擁護する発言をしてるの。きゃわいい〜。美しい男の子。今日は56歳ですが、笑顔が素敵だわァ。えらくカッコイイ〜っ!!
Golden yearsのことでは当然、プレスリーの映像もでて、なんかオンタイムで血圧があがっている庵主ですゥ。


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  さてェ、昨日の続き。午後はイェーヴル・ル・シャテルというところの中世の城砦が残る古い町へ。パリから南に国道で約90kmです。

  もともとは岩場の丘陵地帯ということからローマ人が長い間要塞地として占拠していた町で、9世紀に修道院の領地となり、10世紀カペー朝の頃からお城があった様子。12世紀にはこの町はフランス王朝の裁判所の本拠地でもありました。現存のお城は十字軍の遠征のおかげで知りえた新しい要塞建築の技法を取り入れて、13世紀初頭のフィリップ・オーギュストという王様が再建したもの。百年戦争の際にはイギリスやブルゴーニュ候の攻めにも最後まで落ちなかったとか。でも15世紀になって大砲の登場により、要塞としての性格が通用しなくなり、1610年にはすでに廃墟と化したそうな。城壁と塔の残骸だけになってるけれど、現在痛んだ部分を修復中。

  写真上が左から、塔、城壁の正面入り口(もとは木の大きな二重扉もあった筈)、塔の狭間(敵に矢を射る窓)からの眺め、塔に登る階段。こんな小さな段で狭い階段を、いったいどうやって鎧甲冑を付けて戦争したのだろうと疑問。ゆっくり登ったり降りたり、優雅だったんだろうなァ、きっと。太った人は通れないですゥ。

  写真下は同じく左から、塔のてっぺんからの町の眺め。向こうの方は畑で全く何にもないでしょ?次が中庭と残っている壁。そしてお城の前で井戸端会議風の村人たち。

  

 

残暑に照り返る香水の館をおとなうの巻

2003.09.17

残暑じゃ〜。今日は28度ぐらいありましたァ。

  今朝は早くから俳句の吟行でお出かけ。パリを南に下ること、車で1時間ちょっとのPITHIVIERピティヴィエという所に行ってきました。俳句会の会員の一人がそこに住んでいて、カフェを経営しているのです。彼はもう40年以上もフランスに住んでいて、もともとはコックさんだったらしい。小さいけれど、雰囲気のよい町です。庵主は20年ちょっと前に行って以来、久しぶり。

  まづは近くの香水博物館になっているお城CHAMEROLLESシャムロルに足を伸ばしました。16世紀末の建立。庭はルネッサンス様式でラビリンス(迷路)状の植え込みやいろんな花が植わっています。もう少し時期が早ければ薔薇がきれいだとか。ほんのちょっとだけ残ってました。外の壁には日時計があり、どうやって時間を読むかというと、夏時間の時は日時計が差している時間に1時間45分足すと現在の時間になります。合ってましたよ。写真では XI に影が差しているのですが、丁度、12時45分でした。城内は昔の香水作りの道具や練り香水などの容器の展示、身づくろいやお化粧の道具などが時代ごとに展示されて、最後には有名な香水が展示されていました。女性のビュストを象った香水はゴルティェが最初ではなくて、2種類昔のものが展示されてました。写真のかわいらしいのは1937年製SCHIAPARELLIのショッキングという香水です。写真のこのビンの横のは18世紀のバスタブ。

   ピティヴィエに戻ってベトナム料理屋さんでお昼の後、また別の中世の城砦が残る町へ。これは明日、UPしまァす。

コティの昔からの定番のおしろいの箱も。

 

隣人が金曜の晩に自在鍵を吊るすの巻

2003.09.16

  これが残暑っていうのか、本当に今年はヘンだわ。残暑現象は稀なんだけどな。あれだけ暑かったのに、まだ、暑さが残っていたのか。ま、27度とかそんなもんですけど、もう9月も半ばになってこんなことは普通はないもんね。先週の涼しさの次は、本格的に寒くなってゆく筈であったのだ。

  まっしいさんに引きずり込まれて(爆)、歩け歩け運動に積極的になっている庵主。今日はすごくお天気もよく、朝から気持ちよい暑さ。お昼近くにごく軽い気持ちで散歩に出たのだけど、気持ちよくって2時間も歩いちゃった。今日の予定はうちから新国立図書館まで歩いて、帰りに陳氏兄弟公司で買い物してなんて思ってました。それが、図書館まで行って、そのまんまセーヌ河を越えてベルシーの公園まで行っちゃった。前から行ってみたかたんですよねェ。もと倉庫街で、ワインの貯蔵庫なんかがいっぱいあったところ。貨物の駅が近くにあったからです。それを数年前からこの一帯を開発して、新しい官庁を建てたり、体育館や公園と新しく整備されたのです。広いところにビルを建てないとこがフランスっていいのよね。大きな公園になっていて、畑もありました。小さいけどいろんなものが植わってた。赤紫蘇が雑草のように植えられてました。今日はまさかこんなつもりじゃなかったので、またまたデジカメなしです。でも、また行くから、その時にフランスの案山子の写真でも。乞うご期待!

  今夜はマドリッドとマルセイユのサッカーの試合をTVでやってました。マドリッドは黄金チームだもんね。結果は4対1でマドリッド。期待したほど面白い試合じゃなかったなァ。

  なんでもパリの虎キチがシャンゼリゼで騒いだりセーヌに飛び込んだりしたとか。これ、みんな日本からの情報で、庵主は全然知らなかった〜。(笑)関西の人、多いからな、やりそうだな。

  騒ぐといえば、今日、郵便受けにこんなもの(画像)が入ってました。同じ建物の6階左に最近越してきた人たち(ジャリラとマルク)が、引越しパーティーを金曜の晩にするので、例外的にうるさくしますのでご了承くださいというお知らせ。このエチケットはなかなか廃れない。いいことです。入り口の扉に貼り紙する人が多い中、これは郵便受けに一軒づつ入れてるんだから丁寧だわ。でもね、もうちょっと言うと、是非一杯やりに来て下さいって書いてあると尚よろしい。(笑)そうなんですよ、フランスは。新居祝いをCREMAILLERE(クレマイエール)自在鍵といい、パーティーをするのを自在鍵を吊るといいます。古い時代の名残かな?

日本だと昔は引越し蕎麦くばったり、葉書何枚とか手ぬぐいとかご近所に配ったりしたけど、今でもそんなことします?

 

靴のかかとの減りがきっと早まるの巻

2003.09.15

  敬老の日、な〜んちゃって、すっかり忘れておりました。
フランスでは9月15日は所得税の支払期日です。年に三回に分けて、2、5,9月の15日に支払うことになってます。これも忘れかけてたんだわ〜。日本に作品発送するので準備をしていて、思い出しました。あわてて支払い用紙にサインして封筒に入れて、郵便局でなが〜いこと並んですべて郵送無事完了。

   まっしいさんが一万歩歩くと300kcalエネルギーを消費できるというので、いったいどのぐらいなもんかいな?と、今朝、用事の帰りにバスを途中で降りて歩いてみた庵主。万歩計なんかないから、自分で勘定しながら歩いたんだわ。排気ガスばっかり吸ってちゃ台無しだから、途中、例のモンスーリ公園も抜けて、うちまでテクテク歩くこと30分。3200歩ぐらいでした。一万歩には遠いな〜。ってことは1時間半たっぷり歩かにゃならんわけか。夕方、郵便局の帰りにまたちょっと30分弱散歩して合計6000歩ちょっと頑張ってみました。でも、きっと、いっぺんにまとめて歩くとかなりエネルギー消費するんだと予想されます。とにかく、一回に10分以上は続けてってことらしい。それはじゅうぶんクリアしてるなァ。。。

   これからお出かけは歩き専門にしようかな〜。SCRIPSITのヴァンサンとヴェロニックは普段パリ市内の移動は徒歩専門。あの二人は気功や太極拳やってて、そういうのすごくタフなのです。時間に余裕さえあればね、できないことじゃないです。それに、パリは東京に比べたら小さいし、歩いてて景色が飽きない街だしねェ。

 

久しぶりに都会に出るの巻

2003.09.14

ああ、いいお天気!
でも、もうすっかり秋なんですよォ〜。
風が吹いたり、日陰になるとすご〜〜〜く涼しい。

昨日の文化財や史跡の看板(っていうのか?)、せっかくだから
大き目の写真UPしますね。パリの歴史 摩天楼bPって書いてあります。GRATTE-CIELって空を引っかくというような意味。摩天楼っていう言葉は誰がどうやって考えたのかなァ?(調べてみようかな...) 


午後から俳句会があって日本人会のあるシャンゼリゼへ。8月は夏休みだったので、みんな久しぶりに顔をあわせて、酷暑の折の安否を確認。句は当然、暑さを詠んだものが多くを占めてましたねェ。

さて、夜は福岡の展覧会用の小作品を発送する準備をするつもりだったけど、久しぶりにメトロに乗って都会に出てなんとなくグッタリしてしまいました〜。いきなりお〜シャンゼリゼはきつかったかなァ?(笑)

明日はちょっと朝早くに用事があるので、今日は早く寝ようっと。BONNE NUIT!

 

ある晴れた日に鉄柱が光るの巻

2003.09.13


お待たせしました!ぴぃさん!!(笑)

巴里の近代総合文化住宅第一号でござりまする〜〜〜。

  今日、朝からお天気がすごく良くって、午前中に散歩して写真とってきましたよ〜。ゴブランの工房の裏手にあります。

  写真左上の茶色のヘンなのが(笑)、文化財に指定されている建物や史跡なんかの目印。数年前から設置されてます。そこに解説が書かれています。何が書いてあるかというと...

  ちょうど1960年に建てられたアパートでした。パリで一番最初の近代総合文化住宅です。建築家はEDOUARD ALBERT エドゥワール・アルベール。鋼鉄のパイプ、ステンレスの化粧板の覆い、プレハブ建材などを使用した、経済的で軽い仕上がりが特徴とか。はァ...ふむふむ。高さ65m、6階に位置する空間は裏側の道に通ずる歩道と繋がるようにデザインされているということですが。。。??通り抜けられませんよ。ここには地下鉄の車庫かなんかがあるようですが。写真の下右二つがその裏の道から見たところ。

同じ建築家によるパリ第七大学の校舎の一部と並んで、鉄パイプを建材とした建造物の貴重な存在だそうな。

大学校舎の写真はこちらで見られます。       
      →   http://www.jussieu.fr/homehist.html

  公園が目の前にあって、正面全景は撮れなかったので、写真は正面部分と6階(日本だったら7階にあたる)の空間部分と、ちょっと左よりから。

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  今日の午後はテクノ・パレードだったのだけど、家の近所は通らなかったし、午後は家にいたので全然気づきませんでした。

そうそう、あの月餅ですが、実はもっと高かった。よくみたら一個が6ユーロぐらいして、化粧箱にはいったのはその4倍以上の値段でした。今日は「一缶買うともう一缶おまけ」というチラシつきだったァ〜。ゲゲゲっ。(笑)

 

もう世の中には絶世の美女はいないの?の巻

2003.09.12

  お空は雲ってお月様どっかいっちゃった〜。まさにいざよふ。いざよひてそのまま何処へ行ったやら...。明日の立待月を期待。

  他に何にも番組ないのか?という感じで、今夜は懐かし80年代をやってましたが、馬鹿々々しくて見なかった。なんかやってないかなァ?とチャンネルを回して(ってもう回す型のTVなんかないわよね〜・爆)、「ミス・ヨーロッパ2003」、へ〜そんなのやってるのかとそこに落ち着いた庵主。大昔は胸をときめかしてミス・ユニバースとか見たのを思い出しました。東京でこういう類の大会があるとEH・エリックとか宝田明とかが司会してたなァなんて。最近は女性蔑視だとかいって美女コンテスト廃止なんてことも話題になるけれど、きれいな若いお嬢さんたちを愛でるのは楽しい。今日は36人に絞られたヨーロッパ中のお嬢さんたちがずらり。ロシアとか東欧は新しく独立した国が多いので、あんまり馴染みのない国もありました。今回の会場は仏領ニューカレドニア。審査員の中に、あのリッキー・マーティン、ジャン・アレジ、エロス・ラマゾッティなんかがいました。エロスが結構白髪増えてオジンになっててつまんなかったなァ。(あ、日本じゃあんまり知られてないかな?イタリアの人気歌手です。庵主はファンです)

  はっきり言って、ガッカリ。確かにどの子も綺麗でかわいいんだけど、息もつまりそうな美人てのがいないのよ〜〜〜。昔の女優さんて本当に綺麗でオ○ッコなんか絶対するわけないっていう雰囲気の人がいたでしょう?ミスなんとかもそうだった。それは前世紀の遺物なんだろうな、もう。みんな、その辺に歩いてそうなお姉さん達。やっぱりもう美女コンテストいらないんじゃない?って気になりました。ま、それでも誰がいいかなァなんてチョイスはしてみて、髪型ってすごく大切なんだとも再認識。審査の途中でタンゴを踊るっていうのがあって、ダンスもやってるというスペイン人はさすがラテンの血が流れているだけあってカッコよかった。私が男なら彼女と踊りたいっ!しかし、エラがはりすぎ。最終審査に残ったけど惜しくも4位。かわいらしいハンガリー人がミス・ヨーロッパの栄冠を手にしました。でも、目が覚めるような、息がつまりそうななんていうのには程遠かったんだわァ...。

写真見つけたので追加。彼女です。19歳高校生。右隣の赤いタスキの女性が昨年のミス。ロシア人。後ろが2位だったスロヴァキアの女の子。
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  PC用の手袋調達。例の指先がなくてミトンにもなるタイプのデパートで売ってました。でも結局普通のを買って、自分で指先改造しました。これでこうやって日記も安心して更新できますです。今日なんか昼間でも手がかじかんじゃって、資料作り、まいったまいった。

 

映画の国のおそまつな入場券の巻

2003.09.11

  ああああ〜。今日は夕方から雲って小雨模様となってしまいました〜。明日は晴れるみたいですが...今日、晴れるっていう話だったんだけどなァ。ま、昨日が満月初日でお月見したし、写真もUPできたし。明日にまた期待して。

  巴里のお月様も日本のお月様と同じでまん丸ですよォ〜。四角いかと思った人が多かったみたいです。(爆)

  先日、みつ豆さんのサイトで映画のチケットのことが話題になり、そうかァ、日本のはチケットは写真付きで立派なものだったんだわ、と思い出しました。前売り券ってヤツですな。フランスは映画大好きの国で、犬も歩けば棒には当たらないけど、映画館にはぶつかるという具合。パリ市内なら家から歩いて行ける範囲内に映画館がないなんてことは稀です。庵主の家の近所にはイタリー広場とゴブランが映画街。イタリー広場はものすごく大きなスクリーンの映画館がショッピングセンターにあり、ゴブランには中程度のが何軒か並んでいます。

  日本と違って前売り券とか指定券はなく、映画館の設備で多少差があるけれどだいたい料金は一緒です。8ユーロ前後だから¥1000弱。これでも高くなったんですよ。普通は時間の少し前に並んでチケット買います。最近は大きい映画館ならプリペイドの割引パスもあり、予約もネットなんかでできるようになったけど、単に並ばずに券が入手できて上映時間が指定できるというだけで指定席はなしです。すべて入れ替え制。パンフとかチラシはなし。大きな映画館だと月間の案内誌みたいなのは館内に設置してあるけど、だいたい映画が始まるまでに読んでおしまいみたいなの。

  最近、新しい国立図書館のすぐ近くに、大きな映画館ができました。うちからもそんな遠くない。歩いて20分ちょっとかな?そこは、アベック用の(あ、古いか、この言い方。カップルね)二人がけの椅子になっていて、真ん中の肘掛が上げられるようになってます。うひひ。な〜んちゃって、一人で行った場合にはちっとも面白くもなんともないのであァる。(笑)

  昔は切符売り以外に中に案内嬢がいて、懐中電灯を手にチケットを半分ちぎって空いてる席に案内してくれるシステムでした。この場合、ちゃんとチップを渡さないとならなかったのですよ。ここ数年でめっきりいなくなっちゃった。床にランプが付くようになって、そういう人はいらなくなった訳です。おせんにキャラメル売りもまだいるけど、やっぱり大きいところは外に自動販売機や売店があって、なんか味気ないなァ。籠を下げてチョコやアイス売ってて、たまにはそんなの買ってみたりするのも楽しかったんだけどね〜。近頃はアメリカ風にポップコーンが必ずあるな。一回、どうしても買ってみたくて挑戦したけど、全部食べきれず、うちまで帰りながらやっと食べ終えてお腹いっぱいに。一人じゃそういうことしちゃダメだわァ。(笑)

  でもって、フランスの映画のチケットは写真のようなもの。以前はもっと小さくってチャチでした。最近はコンピュータ意導入のおかげで、映画館の名前や映画の題名、時間なんかも入ってるし、裏側は映画館なんかの宣伝付きで立派なものです。大きさは約5cm四方。左側がUGCゴブランの3号室で上映された「天空の城ラピュタ」の時の、右がこの間の怖〜い「The Eye」。映画館は大きいスクリーンのゴーモン・グランテクラン・イタリーの2号室(ここは小さいスクリーンです。)。
  

 

名月や ああ名月や 名月や の 巻 

2003.09.10


  今日から満月。明日11日は今年の中秋の名月、十五夜で〜す。さっき、うちのバルコニーから今か今かとお月様がやってくるのを待って、撮影に成功!皆様に巴里の名月をお届けいたしまするゥゥゥ。

  このところ曇ったり雨だったりと危ぶまれましたが、なんとか拝むことができました。十五夜本番の明日も大丈夫そうです。
同時に今話題の火星もたっぷり観賞。昨日は何でもお月様と火星が接近して見えたとか。ヨーロッパではちょっと離れていました。一緒に撮れなかったァ。写真右上が火星。大きくして見てくださいな。

  毎年夏休みも終わりに近づくといよいよ仲秋、我が家の近所の中華街は一気に派手派手、中秋の月餅だらけとなります。ちなみに、仲秋と書くと秋を三つに分けて三秋、つまり初秋、仲秋、晩秋の陰暦では8月にあたる真ん中の秋のこと。「中秋の名月」はこの陰暦8月15日のお月さまのこと。でも、今はどっちでもいい感じに使われてます。とにかくこの時期は、どこもお店中、月餅だらけ。山積みです。中秋節特別コーナーも設けられます。写真は中華スーパーの大手、陳氏兄弟公司で庵主が盗み撮りしたもの。(笑)いかにも値段や中身を吟味しているフリをして写真撮影は至極難儀です。

  中国には、日本人のお中元やお歳暮のように、日頃お世話になっている人に月餅を贈る慣わしがあり、綺麗な缶に4個入りというのが通常のサイズのようです。今年の調査でも中国本土では7割近い人が必ず購入するという話で、予算は50〜100元が大半の予算とか。5〜10ユーロか。パリだと4個入りはだいたい15ユーロ前後だな。円にすると¥2000ぐらい。いいものだともっとお高いです。

  種類は豊富。塩味と甘味。塩味ィ〜?という声が聞こえそ〜う。(笑)そうなんだぞォ〜。塩味は、卵の黄身の塩漬けとか、腸詰とかお肉が入ってます。ナッツ類やナツメなんかも。甘い方は蓮の実だの各種あんこ系にナッツだのなんだのぎっしり。はっきりいって、カロリー300倍の栄養た〜っぷりの、体にもっのすご〜く悪そうな食べ物。それが大きいサイズもあるんだから、見ただけでお腹苦しくなします。(笑)最近は、現代風に食べ易い感じのもあって、例えば、栗のあんこだけで、真ん中に卵の黄身の塩漬け入りというのは、去年試して、一口食べるのには結構イケました。他に、バナナ味、マンゴ味、ドリアン味とか。ドリアンのはあれが嫌いじゃなければ、美味しいですよ。でもね〜、とにかくぎっしりって感じで、とても一人で一個は無理。一個を8人ぐらいで分けてちょうどイイかなァなんて思います。普通のは7〜8cm四方のサイズです。
  

 

またまたフランス人の好きな歌が流れる巴里の宵の巻

2003.09.09

  また今日もフランス人の好きな曲TOP50。今晩は違う局でした。当たり前か。同じ局でやるわけ無いもんね。
実は「TOP50」という番組が20年前からあり、といってもいつやってるのかな? ま、その20年の間に1位になったことのある172曲から、一般の投票により50曲にしぼったもの。
この間のといったいどう違うのかイマイチ判んないまま。説明によるとですね、やはりレコード店の売り上げが基準とか。じゃあ、どこが違うんだろ?ね〜。

  結果はダブっていない曲いっぱい。だから、あれ〜、あの歌は?なんて思ってたのは今日ちゃんと入ってた。今夜のTOP5はいかに。

5位 日本じゃ知らないでしょうから省略。(笑)でもこの人別の曲でTOP1。

4位 これもフランスので省略。すっごく流行ったし、よくラジオで流れてます。

3位 ジミー・クリフ 「I can see cleary now」
これは知ってますねェ。

2位 これも知らないはず。でもジャン・ジャック・ゴールドマンて、この前1位になったセリーヌ・ディオンの歌を作った人。これも流行ったな〜。今でもよく聞くわね、やっぱり。

そして1位。これも残念ながら日本じゃ知らないでしょう。と思ったけど検索したら出てきた〜。始めのさわりが視聴できます。

FLORENT PAGNY フローラン・パニィの「SAVOIR AIMER」(サヴォワール・エメェ)この歌はいい歌ですよ。ヴィデオでは彼は手話で歌ってるのです。(歌が流れてて、それに合わせて本人が手話で歌詞を表しているということですゥ。)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000007SMG/qid=1063146892/sr=1-15/ref=sr_1_0_15/250-6908373-7684253

ちなみに、先回の1位は13位、ケルト風ラップは34位、その他は登場しませんでした。投票50曲の中には入ってませんでした。なんか不思議だわ。(笑)

庵主としては、今夜の結果の方が好みかも。

 

にょっきり鉄柱よりは銀杏の木の方がまだ巴里には似合うかな?の巻

2003.09.08

  手がかじかんでます。もうすっかり秋。今日は夕刻より雨模様で冷え込んでます。

  でも、お昼過ぎまではお天気がすごく良かったので、いざ!歩け歩け! 今日はいつもと逆の方向に。いつぞやのガラクタ市のあった鶉ヶ丘を抜けて、ゴブラン(あの、ゴブラン織りの発祥地ですよォ。現在もアトリエや研究所として存続)の裏手のスクエア・ルネ・ルガルという公園へ。ちょうどお昼時分だったので近所の高校生達が携帯にサンドイッチを持ってたむろしてました。庵主はお茶と京極夏彦の本。(デジカメ忘れた)ここには銀杏の木が何本か植わっていて、そんな大きくないけれどギンナンがたわわに。おおおッ。まだ青いですが、時期が来たら取りにこようかな〜。でも、気をつけないとかぶれちゃうし、くちゃいしな〜。そうそう、大学都市内にもあったんだ。昔、よく日本人の知り合いから頂きましたねェ。ま、その季節になったら考えよ〜っと。

  ほんと、カメラ忘れちゃって損したのでした。と、いうのは、この公園の真向かいに、鉄筋近代文化住宅第一号というのがあったのでした。ちゃんと文化財に指定されてて、但し書きがござりましたよ。え〜とですね、エドゥワール・アルベールという建築家の設計で鉄骨とプレハブのパーツを組み合わせた外観のパリで最初の総合住宅。高さ60メートル。多分1960年初頭の建築と思います。パリ第七大学、通称Jussieuジュシユーも、同じ建築家で60年代に設計されているので、だいたい同時期かと。なんか鉄柱の骨組み丸出しで、寒々しい冷たい建物なんだけど。評判はよくなかったと思います。大学校舎にしろこのアパートにしろ、いきなりニョッキリで違和感丸出しなんです。今度、ちゃんと写真撮ってUPしますねェ。


  遅くなりましたが『今月の一枚』の9月版、やっと原稿を完成しましたので、一両日中にはUPできると思います。
お楽しみにィ〜!

 

瞬時の判断うまくできるだろうか?

2003.09.07

  あの9・11の2周年を前に、ロンドンで地下鉄テロの避難訓練をやったらしい。東京での地下鉄サリン事件は何かにつけて模範事件になっており、科学兵器テロを想定しての訓練だったとか。

  いつも思うんだけど、各種災害の避難訓練って、本当の時に役立つのだろうか?瞬時の判断って、そう簡単にできるのだろうか?

  地震は東京なんかだと頻繁だから、学校でやった訓練や日頃から注意してることが瞬時に行動できるけど、もし、普段の経験がなかったらそうは上手く行かないと思う。神戸がそうだったと思うのね。この間帰国した際に、久しぶりに地震を体験。かなり揺れました。その時、横揺れだったけどすご〜く長く揺れたので、火元をどうしようかと思いましたが、昔と違うからどうなってるのか判らず...。とにかくお湯を沸かしてた火だけは消しましたが。なんでも近頃のは揺れると自動消火装置があるみたい。さすが日本ですな。

  パリに地震はないけど、テロはいっぱいあったし、実際に危険なことに遭遇したことあります。

  15年ぐらい前のものすごかったフランスでのテロの嵐の後は、公共の場所で不審なものはすぐにその場で特別班によって破壊されることになっています。小さなものはロボットを使って。

  あれは、南仏のモンペリエに行く時。国内線だったからオルリー空港だったんだわ。これから飛行機に乗ることを迎えの友人に電話をかけようとしていた庵主。バッグからごそごそ手帳を出して、小銭を電話機に入れたところで、周囲に誰もいないことに気付き、あれェ?何で人がいないの?ラッキー!空いてるかな?なんて頭をよぎったけど、なんかヘンな雰囲気だったのだ。そうは思いつつもダイヤルしかけていると、
 「あなた、死にたいのか?死にたくなけりゃさっさと非難しなさい!爆弾ですよ」って男の人に言われたのでした。

???急に知らない人にそんなこと言われたって。「早くしなさい!」と腕を引っ張られそうに。あれれれェ〜と受話器を元に戻したかな?小銭はど〜したっけ?とにかく、その場を手荷物持ってダッシュして避難。良く見れば綱が張ってあってその向こう側は黒山の人だかり。ど〜ゆ〜ことよ?どうしてさっきは電話までたどりついちゃったの?なんて思いながらその枠内に無事非難。回りの人から危なかったですねェなんて言われちゃった。それから待つこと10分ぐらい。ロボットがやってきました。宇宙家族ロビンソンに出てくるロボットみたいな(この例えはかなり古いか...)、ま、小さいけどとにかく手足があるロボットが目的の妖しい包に向かって前進して行く。シュ〜と手が伸びてなんかしてるわァ。すると「パンッ!!シュウ〜」という音がして、みごと妖しい物体は破壊されました。結局、なんでもなくって誰かの忘れ物だった様子。綱が解かれて皆、三々五々飛行場内に散って行きました。その後、電話かけ直したかな?覚えてないわ。あの逃げなさいって言ってくれた人が、民間人だったか軍人だったか警官だったかもちっとも判んないまま。

でも、一度でもそういうことを経験すると、少しは学習になってるとは思いますがね。次回がないことを願うばかり。

 

30年の歌の流れに土曜の夜は更けてゆくの巻

2003.09.06

  夜、テレビを点けたらこの30年間のヒット曲ランキングをやってました。フランスで一番売り上げの多かったシングル盤のランク。途中からだったので半分ぐらいしか見なかったけど、フランスの歌だけじゃなくて、シングル盤全てが対象になってた様子。その殆どがすでに実際に聞いて暮らしている庵主。とほほ。年は取りたくないもんです。ぷはッ。@へ@;)

上位5位を紹介しましょうね〜。

5位:MANAU 「Le Tribu de DANA」  
ったて、日本じゃ知らないでしょう。フランス人の男の子3人グループでマノーといいます。6,7年前に流行った歌。ケルト音楽とラップを合わせたもので、ダナ族というのがケルト民族に実存したそうで、この歌のおかげでケルトの文化や音楽が若者の指示を得て陽の目を見るようなったような気がします。古いものと新しいものを上手くミックス。フランスの北西のブルターニュ地方の先住はケルト民族です。もちろん、歌っている彼らはその辺りの出身。

4位:Ricky MARTIN 「1,2,3」
これは知ってますよねェ〜。♪ウン、ドス、トゥレ〜っていうアレです。プエルトリコのイケメン。あのヴィデオクリップはパリで撮影してますです。スペインやポルトガル人がいっぱいいるから、フランスでも大フィーバーでした。フランス語も結構上手なのよねェ。キャワイかったけど、最近はちょいとオジサンになってきました。残念。(笑)

3位:Lou Bega 「MAMBO bT」
これもきっと知ってるかな。白いスーツにパナマ帽の黒人が昔の歌をカバーしたリズムの良い楽しい曲。

2位:Patrick HERNANDEZ 「Born to be alive」
これ、知ってますね絶対。ディスコの王様ですよ。彼、ニューヨークで活躍してたんだけど、実はれっきとしたフランス人。あのマドンナがデビュー前に彼のバックダンサーだったという。この曲は79年かな?とにかくめっちゃくちゃ流行って、ずっと流行っているのです。世界中で今までに2500万枚シングルを売っているとか...まさにこの1曲で一生左団扇なんだ彼は。

さて、では、1位は?

じゃじゃじゃ〜ん!

1位:Celine DION 「Pour que tu m'aimes encore」
彼女は余所の国じゃ英語の歌しか歌ってないのかな?これは彼女が最初にフランスでリリースした歌。10年ぐらい前かなァ?フランスのヒットメーカーの一人であるジャン・ジャック・ゴールドマンの作った歌。個人的には庵主はあんまり好きじゃない。なぜなら。カナダ人てフランス語話すと超田舎っぺで、なんかしっくりしないのねェ。歌ってても訛りを感じてしまうのですよォ。顔も馬面だしィ。

結果は意外といえば意外、1位がこれっていうのはなんとなく不満。「Born to be alive」は絶対上位だと確信してましたけど。

  この30年って、レコードからCDに変わって、購買層や購買力、宣伝方法、マーケティングなど全てが随分と変遷してると思うのですが、それを押しなべてっていうのは、多少無理があると思いますね。だからどうしても上位は最近の曲が集中しちゃうわけで。そう考えると、やっぱり「Born to be alive」はスゴイんだな。あと、マイケル・ジャクソンの「スリラー」は10位でした。あれももう20年は経ってるのだ。

  庵主はシングル盤を買うことが無いので、今回のランキングにはちっとも貢献しておりません。(笑)

  

 

ハムサンドはいらなァ〜いの巻き

2003.09.05

   今日は午前中はカリグラフィーのレッスンに出かける。久しぶりにメトロ。なんかすっかり田舎者になってます。昨日から曇り時々雨模様で、散歩ムードじゃなくなっちゃいました。週末いっぱいそんな天気が続くみたいです。
 
   涼しくなったというのに、なぜか午後は寒天作って冷やしてゆで小豆かけて食べました。40度以上が何日も続くと、日ごろ暑い時にはコレ!なんていってるものも、一切食べるとか作るとかいうことが不可能だったので、今頃になって、そうそう、なんて作ってたべたりして...。おいしかったわ。ヴェロニックの杏仁豆腐もどきの敵を取った感じィ。(笑)
  
   10月に福岡で展覧会を予定していて(庵主は帰国しませんが)、そのための小作品の制作や、会場で閲覧用のブックを準備したりと、ごちゃごちゃやっていてら、スイスの腐れ縁から電話。

   腐れ縁の御仁は仕事でイタリアのシエナに行っていたのだけど、あっちも酷暑ですごかったらしい。明日は高齢の両親がアメリカから船でイギリスのSouthamptonに着くので迎えに行くとかで、せっせと片づけをしているのだと言いつつも、私も私でPCで書類作りながら長話をしてしまったァ。しかし、高齢で夫婦揃ってアメリカからスイスまで息子に会いに来るのはスゴイ。一ヶ月ぐらいスイスに滞在するらしい。お二方とも80代半ばを過ぎてマフ。やれ心臓が悪いだの、アルツ気味だのっていうんだけど、旅行だけはするし、普段は車も運転してるっていうんだからオソロシイものがありますな。ドクターストップかかってるらしいのに運転止めないみたい。言われて、はいそうですか、なんてお父さんじゃないけど。(どこの頑固オヤジも皆おなじか?笑)
家の中で、ヘンなものにつまづいたりして転んじゃったらタイヘンなので、あれこれ気を使って片付けしてるという。うんうん、良く判るわ、それ。東京の実家もそうだもんね。小さい子がいても注意することいっぱいあるけど、高齢者に対しても同じですからね〜。

   そんな話以外に、アメリカの片田舎のことからステファン・キングの話になり、庵主のサンドイッチ村事件*の話をしたら、ハムっていう村もメイン州(キングの出身地のある州)にあるんだってェ!!爆笑。そして、さっきはステファン・キングの小説のTV映画をやっていたァ〜〜〜。偶然ですがなんか怖いな...。

*庵主のサンドイッチ村事件とは

3年前?かな?アメリカに遊びに行って、友人とドライブしててちょっと迷子になった。そこはメイン州のサンドイッチという村。うひぇ〜。ステファン・キングの世界だよォ。で、仕方なく教会の広場で車を止めて地図を広げていたら...。広場にたむろしているじ〜サン達の視線が。「どっから来たの?どこに行くの?」とニコニコおじいさんがやってくる。ひェ〜〜〜〜〜ツ!怖いよォ〜と地図の陰に隠れる庵主。あの辺りは白人以外は殆ど存在しないんすョ。「だ、だ、大丈夫ですゥ」と必死になって応対する友人は日米のハーフ。道を教えてくれながらニコニコしているじ〜さんの目の奥には「あんた達よそ者には何の用もないとこ、さっさと回れ右して村を出んかいッ!」って言ってたのら〜。もう、思いっきりアクセル踏み込んで、脱兎のごとくその村を出たのでした。無事に出られてよかった。きっと、あの教会の裏には妖しいことがあるに違いないと確信したのでした。
  

 

霞を食って生きろというのかァ〜〜〜ッの巻

2003.09.04

今日はちょっと制作活動。実はお尻に火が付きかかっているのです。ま、なんとかクリアできるでせう。

従って、散歩はお休みで、久しぶりに中華街にお使い。やっぱり叉焼のぶら下がってるところを通るの落ち着かないな〜。怖い映画の幽霊おもいだしちゃうのら〜〜〜。あ、あの映画は10月24日にDVDが日本では発売されるみたいですよ。(みつ豆さん情報)

いや〜〜〜〜、どこもかしこも野菜が高〜〜〜い!!
酷暑のせいですよ、これ。先日は普通のスーパーであまりの高さに何も買わずに帰ってきちゃって、今日は中華街は少しはマシだろうという期待がみごと外れました。う〜ん。きびしィ〜ッ!

 

寒くならないうちにせっせとお出かけ

2003.09.03

今日も公園に行きましたァ〜。
お天気良かったし、お茶と本とデジカメと、そしてのり巻。
のり巻は昔よく母がお弁当にしてくれた簡単なの。佃煮巻です。酢飯じゃなく、普通のご飯。おむすびがのり巻になったようなものです。公園でサンドイッチはダメ。だって、パンくずに鳩や雀があっという間に集まってくるからです。案の定、囲まれている人が何人かいましたね〜。今日の公園は広いからカラスも。怖いわよォ、日本のみたいに大きくないけど、何羽も集まってて、ぞっとしました。

さて、今日のモンスーリ公園はうちから西に歩くこと20分。あ、庵主は結構早足です。特に運動を兼ねてるので尚更早い。ぶらぶらのお散歩じゃないんです。ちょうどこの公園から13区から14区に。この間の陸上の選手村になった国際大学都市の真向かいにあたります。

ちょっと丘陵になっていて、大昔は石灰岩の採掘場、他に地下墓地にもなり、600万人ほど埋葬されていたそうです。モンスーリはMONTSOURISと書いて、ねずみの山という意味。すっかり荒廃してねずみなんかの住処になっていたことからの命名で、ナポレオン三世が1878年に公園に改修したとか。総面積15ヘクタール、樹木1400本、現在は気象台もあります。百葉箱が常設の彫刻に混じって設置されてました。

都会の真ん中にこういう公園がいくつかあるのはヨーロッパの都市の特徴のひとつかも。
今日はデジカメ持参だったので、自分で写真撮影。池もあって鴨や白鳥や亀さんがいるのですが、今日はそっちには行きませんでした。

 

世の中はヴァカンスムードに幕を引き何もかも新しくなる

2003.09.02

すっかり秋の気配の巴里ざんす。今日から学校は新学期。新しい学年度の始まり。それと、パンが値上がったらしい。これは酷暑のせいで小麦が云々といってましたが。本当のところはどうなんでしょうか?

PCに向かってると手がつめた〜くなってしまい、指先が無い手袋探したけど、去年の夏の大掃除で処分してしまったのだった。昔、日本で結構はやったでしょ?ミトンにもなるの。二組持ってたんだけど、ぼろいし、まさかな〜なんて捨てちゃったんだわ。

涼しくなったとはいえ、お天気良ければ散歩には最高の季節。このところ、運動不足をなんとかするために近所の散策を始めました。この間のマラソンでお気づきの方もあると思いますが、緑がかなり多いでしょ?パリ市の東西はそれぞれ森があるし、市内には随所に公園があります。庵主の住まいからも歩いて30分前後の範囲にいくつもあるのですよ。だから、せっせと歩いてます。今まで全然行ったこと無いところや通ったことない道がいっぱい。お昼だったらお結びでも持って行ったら最高ってな感じ。

今日は、おととい初めて訪れた「Parc Kellermann」ケレルマン公園というところにお茶と本を持って再び行ってきました。巴里13区の一番南にあります。うちからなら歩いて10分ぐらいで着くけど、中は広い。またデジカメ忘れたので、およそから失敬しました。平日の公園て人が少なくて静かだわ。寒くなると出づらくなるから、今のうちにせっせと通お〜うっと。

 

人災には対処できるけど天災にからっきし弱い仏蘭西人の巻

2003.09.01

今日は日本は震災記念日。関東大震災から80年。
珍しくフランスのマスコミで取り上げてました。と、いうのは、恐らくいつかの日本の台風情報と同様、8月の酷暑で天災に過敏になっているせいだと思うのですよ。なんか単純だわ。

庵主の父は震災経験者。東京の本郷あたりに住んでたんだと思うけど、その日のことは、肝心な揺れよりも、その後、数え切れないほどあった余震の恐怖、公園で夜を明かしたことなどの方が記憶が鮮明らしい。 数年前にフランスのTVでこの大正の震災後の銀座四丁目の映像を見たことがあったんだけど、なァ〜んにもないのねェ。道行く人は殆ど着物。そこに絣の着物のいがぐり頭の小さい男の子が丸髷結ったお母さんらしき人に手を引っ張られて歩いてました。それを見て、父もこの日はこんなだったんだろ〜な〜なんて思って、現時点とその大正12年の9月の間があまりにもかけ離れているのと、この時から今日までになんていろんなことがあったんだろ〜なんて驚いたりしたもんです。

フランスには地震は滅多に無ァい!!まづ、活火山ないもの。ジュラシックパークのジュラ紀はフランスのジュラ山脈からきてるんですよォ。ジュラ地方はフランス東部のスイス北部との国境に近い辺り。でもそこから南下するとアルプス。そして地中海にイタリアと繋がるので、そっちの方面になると活火山もあれば地震もあり。従って南仏ではたまに震度1とか2ぐらいの揺れがないわけじゃありません。

パリにもし地震が起きたらどうなるか?
震度1で古い建物が殆ど崩壊すると言われてます。古い石の建物は石を積み重ねてあるだけ。下水道が発達してるから、地上の通りと同様に地下道が下水とともにあり、地下鉄もイッパイ走ってて、つまり穴だらけ。とんでもないことじゃ〜〜。な〜んて想像したりしてるのは地震を知ってる者だけの常識。パンピーのフランス人には全く考え付かないことですねェ〜。

今年の2月に庵主の家の直ぐ近くで地盤沈下があり、その時、グラッときました。ミシッとも。一瞬、地震???なんて思ったけど、ニュースは何にもやってない。(揺れを感じてラジオを付けるって行為は何時まで経ってもトーキョーイット丸出しだわねェ・笑)

   [トーキョーイット=フランス語で東京人のこと]

翌朝、直ぐ裏で地下鉄延長工事が行われているところが沈没したことが判明。それ以来、なんとなァく、壁のひびが広がったような気がしてるんですけどォ...。

 


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