Javascriptを使用しています。
   
 

 

2003年06月の鵞毛庵日記

鶉ヶ丘のがらくた市

2003.06.30


パリはあっじィよ〜。

 BBSで報告致しましたとおり、庵主は午前中から青島ビールを買いに「第一大商場」に出かけました。家に戻って汗がダーッ。

やれやれ。

 そこにご近所のT子ちゃんから電話があり、夕方一緒にイタリー広場付近の骨董市に行って見ようということで、5時に広場の映画館の前で待ち合わせ。最初に予定していた骨董市よりも、手前でガラクタ市を発見。そうそう、そんなことネットでみたなと思い、横丁に入りました。そこはうちから歩いて5分ぐらいの、パリ13区の若者に人気スポットのBUTTE AUX CAILLES
ビュットーカイユ、つまり鶉ヶ丘(うずらがおか)です。丘というぐらいだからちょっと高台になっていて、しゃれた雰囲気の一角で、小粋なレストランやカフェなどもあります。今日はそこの界隈でガレージセール風のがらくた市。なんでもあり。どーして?なんていうものでも、結構ちゃんとしたものでも何でもありなのです。道の両側にずらっと出店が並んで、日が当たっている人たちは暑くてかわいそう。古着から靴からおもちゃに人形、本にレコードなどなど。ふる〜い感じのセルロイドっぽいお人形もいましたが、そうなのかどうかは不明。上の写真はそんな売り物のほんの一部です。ぼろいカバンにごっそり。なんでもかんでもこんな具合に並べて売ってました。王様なんか、興奮するかもしれない。
 
 鶉ヶ丘を一巡りした後、最初のお目当てであった骨董市へ。こちらはプロが店出ししている割ときちんとした市でした。

あっじィ〜。

 レトロ好きにはたまらないだろうなと、いろんな人のことを頭に思い浮かべながら(え?それ私?僕?と思ったあなた、そうですよ・笑)、カリグラフィーのペン先6個が小さい箱に入ったのを2ユーロで購入。これは同じのがほかのお店でも売っていたので、おそらく第二次大戦前に多く使用されていたものだと思います。学童用かもしれない。明日、試してみよ〜っと。前に、スクリプシットのヴェロニックがくれたイギリス書体用のペン先と似ていて、硬さなんかもちょうど良くて書き易いのです。彼女も骨董市で見つけたとかで、もう製造していないもののほうが多いので、骨董市などで見かけたら買っとくようにとも言われてたので、ラッキー。

 それにしても、あっじィ〜。

ブラブラ歩いて7時に近づき骨董市も店じまいの時間。暑いし喉も渇いたし、ということでカフェのテラスでビールを一杯やったのでした......

 

今日はGAY PRIDE

2003.06.29

 今日お昼過ぎに昨日から日延べした用事に出かけたら、家の前の大通りが車両通行止め。??? 沢山人が歩いてる。またスト?なんかヤバイことあったの?それにしてはのんびりムード。 しばらく行くと見えました見えました。「あッ、そーかぁ、今日はゲイプライドだったんだわぁ。すっげー人だなぁ。」そう、出発点が近所のイタリー広場だったんです。いろんな色の風船がいっぱい。メトロの入り口も判んないぐらい人だかり。それを押しのけて地下鉄に乗りバスティーユまで行きました。

 今日に繰り延べした用事とは、カリグラフィーのSCRIPSITスクリプシットのアトリエオープンに行くことでした。昨日と今日がその日で、今年一年間の字を習いに来ている人たちの発表展示と同時に、ほとんどがアトリエ自家製のインクやペン軸やらとその他のカリグラフィーグッズの公開販売日。普段はアトリエで直接か通信販売のみなのです。今年の作品テーマは「JOUR ET NUIT」(昼と夜)。それぞれ自由にテキストや書体、デザインなどいろんなのがありました。なんとここにもストの影響が。ストのせいでクラスがキャンセルになったりで作品が出来上がらなかった人も何人かいたみたい。本当にいろんなところに迷惑かけてるんだ!!
 その他、これまでにノルマンディーの田舎でやってきたワークショップ毎の署名帳も閲覧できるようになっていて、当然私が参加したのも何冊かあり、写真も貼ってあって懐かしかったぁ。だいたいふざけて可笑しなこと書いたりしてるから、楽しい日々がよみがえりました。あとは東京での個展の報告。CD-ROMに写真たくさん入ってたんだけど、私はPC、アトリエのはMacで、ファイル名が日本語のもあったりで全部みられず。ミーコちゃんの写真は見られました。そうそう、キントトをアトリエに進呈。「水に浮かべられるの?」「もちろん、大丈夫よ」「お風呂も?」なんてうれしそうな顔のヴェロニック。それから、新しいペンやインクを購入して、夏のワークショップに行く手筈を整えてアトリエを出ました。すると、なんとさっきのゲイプライドがこっちまで来てるじゃありませんか!! すっごい。遠くからでもカラフルな景色が目に入り、これは近く場寄ってなんとやらだぞーとばかりに、多分に王様熱もあるかと思いますが(笑)、時代を変えちゃるゥとばかりに小走りに見に行っちゃいました。カメラ持ってなかったの残念。だから上の写真はおよそから失敬しました。今日の写真ですよォ。

う〜ん、パリはこれだから楽しい。浅草の三社祭が東京中のメインストリートを練ってて、見物人もあちこちの窓やバス停の屋根だろうが街路樹だろうがうじゃうじゃしてるなんて具合を想像してみてくだされ。(死人は出てません。おそらく)

暑いからほとんど裸の人もいましたね〜。今日はちょっとは無礼講かな?

 

王様の贈り物

2003.06.28

夕べは本当に寝付けなくて苦しんだ庵主は、今日の晩の用事は明日に回して予定より早く帰宅。すると、管理人のALEXがニコニコして小包を差し出している。「三つ目のが届いたかな?」と期待に胸いっぱい。しかし...その包は小さかった。

しかし!!!!

それは、トム・ソーヤ工房の王様からのそれはそれは貴重な小包だったのです!!うひゃ〜ッ!!!!

転がるように階段をあがって(ぜーぜー)、魔法の小箱を開ける手ももどかしく、そうそう、おまじないを唱えながら開けなくてはならなかった。「ご利益ご利益」じゃないってば、「世直し世直し」。

さぁて、さぁて、中にはいっぱい不思議なものが詰まっておりました。パリのミーコちゃんも目がまんまる。
キントトたちもわさわさしておりまする。フフフ。

ちらッと皆さんにお見せいたしませう!

 

やったねぇ!!

2003.06.27

今日から我が家もネットに繋がりました。

心配していたフランス式トラブルも今のところありません。
ホッ。

これで今までのようなパソ休日がなくなる訳ですが、どーなることか?

ますます時間に関係の無い生活になってしまうかも...
気をつけないと。


 夕べはコンフェデ杯の準決勝でフランス対トルコ戦3対2でフランスが勝ったけど、夕方のもう一個の準決勝戦でカメルーンの選手が試合中に心臓発作を起こして、そのまま亡くなってしまうという出来事に見舞われました。フランスのチームでも活躍していた選手で、一緒にプレーしていたことのあるフランス選手はめちゃくちゃショックを受けている様子。試合前の黙祷やマルセイエーズが流れている間、皆、涙を流していました。スポーツ選手だから健康管理には十分注意を払っているはずなのに。詳細は今日明日に発表されるそうです。合掌。

 暑いんです。6月にこんなに暑い日が続くのは珍しい。夜も窓開けて寝てます。それに例年よりも湿気がある!! これは異常ですよ。ホント。何にもしてなくても空気が重いなんていうのは日本の今頃の気候の特権かと思ってたけど、ヨーロッパも徐々に変わってきたのかなぁ。何かの危険信号かともちょっぴり心配。
自然を怒らせると怖いですからね〜。

 フランスでは今頃になると「今夏の歌」というのがあって、みんなで踊って歌う式のをTVでしょっちゅう流すのですが、そうそう、ランバダだとかマカレナみたいなの。今年は「chihuahua」。
チワワぁ!とか言いながらDJ BOBOと言う人が英語で歌って踊ってます。日本でも流行るかな?
http://www.amazon.fr/exec/obidos/ASIN/B00007EL9G/kelkoo-21/171-1651823-9134661
↑ここで聞けるハズ。

 さあて、暑くて寝る気になれないけど、そろそろ消灯時間です。←修学旅行みたい。

では、全世界の皆様、おやすみなさい。BONNE NUIT!!

        これがCD 

 

庵主の記念日

2003.06.26

 光陰矢のごとし。だから時間は大切にしなきゃいけないし、上手に使わなきゃいけない。と、パリに着いてからしばらくして届いた父の手紙に書いてありました。(貴重な手紙)

 今日は記念すべき6月26日。1977年6月26日、庵主が羽田発アエロフロートの機上の人となった日です。

 東京はジメジメムシムシの梅雨の真っ只中。夢と希望をいっぱい抱き、でも生まれ育った日本や家族と離れ離れになるということで、いくら自分で決めたこととはいえ、ひとりではなく6人でのグループ留学ということであっても、殆ど水杯状態で羽田を旅立った日です。←羽田っていうだけで、???それいつのこと?なんて思ってる人、多いでしょ?ふふふ。そんな時代もあったのさ。「お別れの窓口」みたいなのがあって、通関したあとそこを通ってとぼとぼタラップへ。そう、あの頃はどこもタラップでしたねエ。そして映画スターのように(爆)タラップから展望台にいる見送りの人たちに手を振って機内に入るのでした。

 初めて庵主が降り立った外国は給油で寄ったモスクワの飛行場。兵隊さんがいっぱいいて、怖かったぁ。(今じゃ、そんなのビクともしないですゥ)
 そしてパリ。まづ市内までシャトルバス、次に二台に分かれてタクシーで寮までということになりました。タクシーの運ちゃんにまづ聞いたのは「今、何時ですか?」。通じた。やったー。当時だと「やったぜ、ベイビー」って感じかな?でも、教科書どおりのフランス語で今考えるとオカチイ。運転手は親切でライトアップされた凱旋門、シャンゼリゼ、エッフェル塔、コンコルド広場、サンジェルマンを通過してちょっとしたPARIS by NIGHTでした。すっごく印象に残ってまふ。その次に印象深いのは寮長にシーツの掛け方を伝授されたこと、そして訳のわからぬままに眠りについたことです。

 さぁて、なんだかんだと一年経って(簡単に片付けちゃう。折々お話しすることもあるでしょう)、初めて帰国した時は成田はできたばっかり。やはり今頃の季節に帰国して、梅雨で雨にけぶる成田空港は世界中のパイロットから嫌がられておりました。(↑らしい)慣れない飛行場で視界が悪いというのがネックなわけ。ご多分にもれず、ロシア人の(当時はこう言っちゃいけなかった。ソビエト人だわ。父なんか今でもロ×ケと言ってます。これ禁止用語です。ハイ)パイロットは成田を拒否。しかし機内放送もないままにどこかに着陸。窓から見える作業員の顔つきも雨合羽でよく見えない。停まっている車の車体のロゴは横文字ばっかり。機内の温度は上がるばかり。水もでない。トイレも使えない。こんな具合で一時間ぐらいそのままでした。そしてようやく機内放送。「只今悪天候のため羽田に緊急着陸しました。ここで入国しますので税関の準備が整うまでもうしばらくお待ちください」ぬぬぬゥ!なんでもっと早く言わんのか!!このロス×めがぁ〜。と心では叫びつつ、「ああ、よかったぁ、羽田だわぁ」と声を出していた庵主と、一緒に留学した友人達及び周囲の乗客でありました。ま、そのアナウンスがあって間もなく、でも着陸してから一時間半近くたってやっとタラップを降りたのでした。実は、当時、お迎えには誰でも行けるわけではなく、続柄や人数などの制限があり、迎えられる側から外務省だか成田の入管だかに一筆啓上しなければならなかったんです。空港設立反対運動というのがすごくてテロ行為が頻繁だったためです。やれやれ。ま、とにかく、タラップ降りて通関に向かい荷物検査は庵主が一番!!入管のハンコなんかお釈迦になったばかりのものが引っ張り出されてパスポートにペタンっ。さて、外に出ると。お迎えいないの?ガラ〜ンとしたところに庵主の姉が一人立っておりました。???みんな母がお迎えって申請したんだけどォ??? そう、お母さん達は予定通り成田にお迎えにエッチラオッチラ行ってたんです。そこで飛行機が羽田に着いてしまったことが判明。家にいた姉に連絡が行き、羽田に飛んできたというわけ。いやぁ〜なんてこった。しばらくするとお母さん達が成田から到着。無事再会となりました。

というのから、二十数年。

光陰矢のごとし。

 

星の王子さま、そして 100年前のおっぺけぺ

2003.06.25

あ、日付が日本は変りました。パリではまだ火曜日の午後5時過ぎ。
眠いですね〜。時差の続きなんだか宵っ張りがもたらす結果か?いやいや、夕べは早く寝ましたよ。やっぱり時差ぼけかな?日本だとちょうど寝るのにいい頃加減の
時間だし。むにゃむにゃ。

さて、昨日の日記に登場したサンテックス(昨日の日記参照)の記念像の写真、せっかくだからUPします。リヨンにあるヨーロッパ最大級の広場ベルクールの隅っこに、背は高いんだけど案外目立たなくて探しまわってしまいました。サンテックスの後ろに背後霊のように立っているのが(笑)星の王子さま。

ほかのお話は、またパリの日付が変わってから。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

パリは只今午前10時半過ぎです。日本は夕方5時半。

毎日暑くてぇ。メトロに乗ると空気も悪いし暑くてヘロヘロ〜。
おととい、バスの中で窓の開閉についての注意書きを読みました。それによると、「窓の開閉は乗客が自由に行ってよい。ただし、乗客の間で意見が対立した場合には、窓を閉める方が優先。」だってぇ。ふーん。日本はどうなのかな?なんて思ったけど、今は空調だからね。それで、風邪引いちゃった庵主。昔は、暑い時は窓全開で髪が風にあおられてボーボーになったりという光景はしょっちゅうだったなぁ。冬でもラッシュの時は空気抜きにちょっと窓を開けたりして、そういうことに文句を言う人も少なかったと思います。フランスじゃ、こうはいかない。冬?窓を開ける?人を殺すきかぁぁみたいな雰囲気になるの請け合い。夏だってほぼそれに近い具合ですから。

閑話休題。(先日の朝日新聞に今の一般の人には意味が判らない日本語としてあがってましたが...)それはさておき。便利なんだけどな、閑話休題。←しつこいぞ。私がこれをよく使うようになったのはケチケチKの「里見八犬伝」で今は亡き坂本九ちゃんが講談風に解説していた際によく使ってたから。

で、何の話に話題を変えようかというと、BBSの猪やっこ姐さん宛にレスした日本のふるゥ〜いお歌のおはなし。

日本人最古の録音という川上音二郎一座が1900年の巴里万博で歌った「おっぺけぺ節」と♪みやさん、みやさん、お馬の前でちらちらするのは...の「こっちゃえ節」。あれが「こっちゃぇ節」というとは知りませんでした。いつも、ほら、「みやさん、みやさんっていうヤツ」で庵主は済ませてました。(笑)
ちょっと語りも入っていて、これが100年前の日本語か!!って、良く考えると、庵主の祖父母はそのずっと前に生まれてたのだから何も驚くことはない。でも、生の声というのにひたすら感動したのでありました。それも巴里で聞く不思議。さらに、淡谷のり子の「巴里祭」の日本語バージョン。

もうすぐ巴里祭だなぁ〜なんて思いつつ、ひとりワインを傾けた庵主でありました。

 

ミーコのお手伝い

2003.06.24

 昨日は朝からリヨン駅や飛行場に行き、午後一番に一つ用事を済ませた後はのんびり。サッカー騒動で不在がちで、日本から届いた荷物やなんかの片づけが全然できてなくて、一見ドロボーが入ったように見えなくもない。ブハハハハ。とは言うものの、まづ、サンテティエンヌやリヨンで撮った写真をPCに取り込んだりから始めてしまった庵主でありました。

 日曜はリヨンに行ったけど、すごく暑くて34度。旧市街をちょっと見てお昼食べたらホテルでお昼寝三昧。とても歩き回れません。夜8時過ぎにぶらぶら散歩に出て、「星の王子さま」と作者のサンテクジュペリの生誕100年を記念して昨年完成したという像の前で写真をパチリ。サンテックスはリヨンの出身です。(SAINT-EXUPERYと書くので言い難いので通称略してST-EXサンテックス。)
 6月21日は22年前から音楽の祭典と称して、夜は遅くまで路上やらいろんな場所で音楽が奏でられる日。この日はこちらでは夏至なんです。一年で一番日が長い日。 フランスでは今頃は夜の11時ごろまで明るいです。

 さて、写真を取り込んでいるうちに、ミーコちゃんの撮影を思いついた庵主は、お片づけと称してぺんや本など並べたりしまったり。あれこれ試してこんな具合になりました。
とってもいい子にしてます。
 

 

ああ、サンテティエンヌの夜は更けて...

2003.06.23

 金曜日、無事にイ○コと落合って汽車に乗ったは20分遅れの出発。機械点検とか言ってるけどホンマカイナ?メトロと一緒じゃあるまいね?と一抹の不安。同じ車両に何人か日本人が乗ってました。サンテティエンヌに着くと、もっと沢山日本人が同じ汽車から降りてくるのを見かけました。みんな、応援に来たのねぇ。

 駅の前のホテルに荷物を置いてタクシーでスタジアムへ。10分もかからずに到着。入口が席によって違うのでスタジアムの外側を殆ど半周して小走り気味。選手が入場して歓声が上がり「マルセイエーズ」が聞こえてきました。入口の検査の最中に「君が代」。プレイ開始の歓声。やっとこさ中に入って席を探すともう訳が判らなくなってて警備の人もどこでも空いてる所に座ってけれや、という具合。本来の二列目よりは少し中よりで上に座りました。この方が見やすくていい感じ。ちょうど後ろには、「ニッポン!!」ちゃちゃちゃッの声をかける御仁がおりました。試合は負けちゃったけど、でも得点が見られたのと、5年前にトゥールーズで見たワールドカップの時に比べたらすごく上手くなっているのとが、TVじゃなくて生で確認できて良かったです。

 さぁて、帰りはどーすんべ。どーやって帰ろかなぁ。とりあえず人の波について歩き歩き。途中、警備員にシャトルバスのことを聞いたら、「そんなの知らないよォ。こんな時間にバスなんかないよォ」だって。仕方ないので歩くことに。すると、着いた先は駐車場でした。こりゃ、イカン。整理員風の人に尋ねてやはりバスがあることが判明。その人の計らいで駐車場まで来たシャトルバスに乗っけてもらい、駅まで行くバスに乗り換えるという手筈だった ...。やっぱりそうはいかなかった。運転手さんは一生懸命他の仲間と連絡取り合ってくれたがダメ。自分は車庫に戻らないといけないので、と申し訳なさそうに道路が高速と分かれる所で私たちを降ろすことに。「この道に沿って行けば駅に出るから。歩いて10分ぐらいです。」大いに感謝してバスを見送った。さぁ、歩くぞー!!と一歩踏み出したら、
「プップー。May I help you?」と、一台の車が止まった。中にはカップルが乗っている。無視するのもなんだし、女性も乗ってるし、答えるだけはと思って近寄って駅まで行く旨話すと、乗って行けとの返事。きちんとした風だし(これが当てにならないんだけど、ま、状況判断しかありませんな)、歩くと10分以上かかって遠いからとのことで乗せて貰うことに。ヤッピー!! 彼等は地元の人。やはり試合の帰りでずっと私たちを乗せたバスの後を走ってたらしく、他の日本人にも道を聞かれたりしたと言ってました。お陰様であっという間にホテルに到着。私たち二人とも心より感謝して車を降りました。

 ホテルには次々人が帰って来ており、エレベーターで一緒になったフランス人とも試合の話しに花。みんな、日本人上手になって頑張ってるね、もう侮れないなぁと。でもォ、フランスが勝ったからニコニコ感じ良く言うのよね。負けてたらどうだったでしょうねぇ。

ま、このようにしてサンテティエンヌの夜は更けていったのでありました。
       
    ↓ ハ−フタイムの休憩中に練習にぼちぼち選手が。

 

朝(あした)に懐かしく、夕べには焦った庵主

2003.06.20

スト事情もちょっとは良くなって、東京から送った荷物が二個無事に届きました。肩こり用のピップだの温泉の素とかの薬局グッズにスーパー「いなげや」で物色した食料品の一部。(カレー味の揚げ煎はまだだった。)それに、レスリー届いたの。フフフフ。でも時間がなくってまだじっくり聞いたり見たりしてません。

 昨日は午前中はカリグラフィーの出張授業。パリから一歩出たNEUILLYヌイィというところ。伺ったお宅は、なんと、26年前にしばしの間住んでいた寮のまん前。

な、な、なつかし〜い!!塀も、門も、中の入口も窓も、なあんにも変ってない。ここは何百年も変らないとこですから当たり前か。小雨がちらつく中、傘をささずに懐かしさいっぱいで行ったり来たり。昨日は不覚にも傘を持っていない庵主でありました。あああ。確かこのあたりの窓の部屋だったなぁ、ここが応接室で向こうが台所と食堂、なんていろいろと思い出しました。食堂といえば、当時ビックリした光景も。それは、マカナイのスッゲぇおばさんが、くわえタバコの灰を落としながら床磨きしてたの。まだパリに着いて間もない頃だったのでブッタマゲました。(今じゃちっとも驚かないですねぇ〜)
月日の経つのは...ねぇ。

 さて、一度家に戻った後に、イ○コを迎えに飛行場へ。今日はエールフランスなのでドゴール空港の第二。(庵主の乗ったANAはパリは第一)久しぶりの第二です。早めに着いて空港内を観光客してターミナル2のF発着掲示板を見上げたら...「もう着いてる!!それもターミナルA!! えええ〜!!」と冗談じゃない。今来た通路を走りかけた。しかし、ここからAにはどう行く?歩いて直ぐ行ける?...巡回バスでした。私のように誰かを迎えに来た風の日本人がイライラしてる。私も。内心、間違いじゃないかとか、Aってアフリカ方面なんだけどなぁとかぐるぐる。巡回バスはBを通ってゆっくりAに。ダッシュする庵主。床が磨かれていて、れれれっという感じで旅客出口へ。日本人が出てきてるゥ。前のワールドカップの時はお迎えちょっと遅れちゃったので今日はたっぷり時間とってきたのにィ。ぶいぶい。 と、思っていたらちょうど彼が出てきました。ほっ。無事お迎え。急にターミナルが変ったのは機内アナウンスで知ってたとのこと。

 今日は夕方、パリのリヨン駅で落ち合って、汽車でサンテティエンヌにサッカーの日仏戦を観戦に。チケットをよーく見たら前から二列目。ひょ〜。これで日本チームの青いシャツ着て、去年のカップの時のヘンテコな青い帽子被ったらTVに映っちゃうじゃないの。(帽子は試合では被らないって言ってましたが、記念撮影はしようということになってマフ。)万が一、ヘンな青いシャツ着た日本人のオッサンとその傍にへんなオバサンが映っていたら、それは庵主とはなんらかかわりのない人たちでありますから、念のため前もって申し上げておきます。(爆)

 さっき、日本のお惣菜屋さんで駅弁用のお弁当二個とお水買って来ました。準備完了。これで駅で無事会えて、汽車に乗れますよーに。
従って、日記もBBSも火曜までお休みです。

 サンテティエンヌって、こんなトコロ。↓ 

 

明日になっちゃうかな?

2003.06.18

今日は朝からなんだかんだと日記が遅くなりました。急がないと日本は日付が変わっちゃう。ま、明日はパソ休日だから明日になってしまっても構わないか。
今月中には始終ネット環境になれると予測されます。でも。ここはフランスだからスムーズに行くかどうか...。

 先日お話したサッカーの準備は完了。試合も汽車の切符も手元に揃い、心配してたスタジアムの帰りの手段も、さっきサンテティエンヌのホテルに確認してシャトルバスがあることが判りました。ホッ。そうじゃないと、知らない田舎町をトボトボ歩くことになるから、それは不安というもの。 それよりも、金曜日、汽車に乗り遅れないようにしないと。そうだ、カメラ持って行って日記に使おうっと。土曜日はリヨンで遊んで美味しいもの食べたりするのら〜。乞うご期待!

 ちなみに、あちらは結構暑いんです。金曜はこれまた気温が上がるとか、おなじみの天気予報で言ってました。(笑)

 今夕はパリのスタジアムで日本対ニュージーランド戦があるのだけどそれはケーブルで中継で、私が観られる普通のTV局では今晩リヨンからでフランス対コロンビア戦。 
 そうそう、さっきベッカムがマドリッドと契約交わしたと聞きました。スゴイ!マドリッドってスターばっかりの黄金チームだわ。

 とかなんとか書くと、庵主はまるでサッカー大好きみたいですが、全くそんなことはありません。普段はあんまり試合観ないもの。でも、ワールドカップなんかはオリンピックと一緒で結構熱入れて観戦したりします。適当に話題に参加できるようにかじっているのデシ。

あ。福岡の空港内で「たこ焼き」のポスター見たんだったわ。ほれ、審判で世界ナンバーワンのイタリア人コリーナ。宣伝地域が限定されてたので東京ではみられないんでしたよね。彼がね、たこ焼き持ってニッって笑ってるのです。おかしい。

たこ焼きと言えば、kingyoさんちで大阪名物「たこむす」をゴチになったんです。名古屋の「天むす」の大阪版。おむすびのなかにたこ焼きちゃんが入ってるのです!! 天むすは天丼の親戚と思えば問題ないんだけど、Kingyoさんもこんな大阪名物があるとは知らなかったのォと言ってましたが...う〜ん、江戸っ子の血をちょっとでもひく庵主であっても、西の名物たこ焼きはたこ焼きとして食べたい、というのが正直なところでした。でも、何かかんか言いつつもみんなで食べちゃったけどねぇ。←単に食い意地が張っている。

 

♪雨雨降れ降れ かあさんが蛇の目でお迎えうれしいなぁ。

2003.06.17

BBSでPattyちゃん投げかけたところのフランス傘事情。

 フランス人は殆ど傘をさして歩かない。傘持ってないっていう人がものすごく多いのです。なぜだろうなぜかしら。

 まづ、日本人の会話は「時候の挨拶」から始まるぐらい天気なんかの当たり障りの無い共通の話題から会話に入る。それに、天気の具合で気分もかなり左右される。西洋人がそうじゃないのは、どうやら脳の思考の構造が右だとか左だとかの違いらしい。
 
 日本は台風などの天災がいっぱいあって、前もって気象の情報を収集して災難時に備えることが当たり前になってるけど、フランスじゃ台風も火山もない。雨だって何日も降り続けるってことはあまりない。降っても直ぐ止むし、空気も乾燥してて濡れたってあっという間に乾いちゃうから傘いらないのね。

 かくいう私はやっぱり日本人です。天気予報は欠かさずチェックして、雨の予報が出ると傘を持って出かけるし、靴のことなんかも気にする。子供の頃は今頃の季節から夏場には必ず傘を持って学校に行ったり出かけたりしていました。それを見て父が「いつも傘持っててチャーチルみたいだね。でも、葉巻がないか。」って笑ったものです。そのクセはいつまでも直らないもの。そう言えば学校には置き傘という習慣もありました。

 ははぁ、今日はにわか雨が予報されてたので、今、その通り急に降ってきました。傘持ってるもんね。

 傘をさす習慣があまり無いということは、傘のマナーもないということ。ザーザー降りの日にはさすが傘をさしてる人が多いけど、道ですれ違ったり、メトロの中だので人の迷惑を考えてない。(傘に限ったことじゃないですけどねぇ...)傘を横に持って勢いよく階段の上り下りしないでよォ、危ないじゃないの!!と怒っている日本人は私だけではないはず。そんな時、フランス人はどう思ってる? 何も考えてないと思います。避ければいいぐらいにしか思わない。日本人は人の迷惑を念頭に行動するけど、フランス人は自分勝手だから迷惑に思う人は近寄るなという具合。

と、書いてるうちに雨は止んじゃいました。ね。だから傘いらないの。

 日本には傘を必ずさすもう一つの理由がありました。小さい頃から、放射能が降って来るからどんな小雨でも傘さすようにって言われてましたね。私がパリに来た当時は、確かにそれはヨーロッパでは関係なかったけど、チェルノブイリの事故が起きた後はそうも言っていられない筈。でもそんなこと、誰も考えてないし話題にもならない。今は酸性雨ですよね。それだって一般の関心薄いし。

 傘ささないんじゃ雨やどりする?。昔、さだまさしの歌があったけど、フランス人は軒先で雨宿りっていうのもあんまり聞かないなぁ。雨宿りの出会いってなんかロマンチックじゃない? カフェに飛び込むっていうのはあるかもしれないけど、みかけないなぁ。王家衛の「花様年華」でも、アパートのすぐ近所で小さな軒先みたいなところで雨宿りのシーンがいっぱい出てきたけど、うんうん、なんかいい感じだわ、あれ。

 ということで、フランス人は雨に濡れながらカッコよく歩くって書くと、またみんなの夢を限りなく大きく膨らませてしまうので、それは映画の中だけで、って断ると、パリだからそれがすでに映画みたいに言われちゃうし。困ったなぁ。フランス人て、そんなカッコよくないっすよ。これじゃ説得力まったくないか。
とにかく、カッコよく雨に濡れてるんじゃなくて、単に雨は長く降らないし傘を持つ習慣が無いというだけなんです。

これもダメそう...。

 

サッカーのチケットを取りに行って...

2003.06.16

土曜日、予約したサッカーの切符を取りに出かけた。まだ午前中というのに、結構暑くなってきてるゥ。

ウチから歩いて5分ぐらいのところにあるイタリー広場のショッピングセンター。中にはデパートのプランタンなんかもある。大きなスクリーンの映画館も。称してイタリードゥ。(ITALIE2)
なんで「2」なのかは不明。で、この中にFANCという大手の本屋、CD総合店があり、そこのプレイガイドにサッカーの切符を引き取りに行ったのだけど、ついついいつものクセで本屋さんやCDコーナーに足を向けてしまう。キケ〜ン!!

 心の中ではすでにサンテティエンヌとリヨンのガイドブックを買うという大義名分を作り上げてどんどん店内に突進。観光コーナーは奥の方にある。その手前には小説コーナー。ハハハ。平台にちらっと視線を投げかけるだけと思いきや、結局立ち止まってあれこれ眺めている庵主。見るだけ見るだけ、なんて初めのうちは思ってたけど、そりゃ、やっぱり、ねぇ、面白そうな本があれば読みたくなるってぇのが心情。それに日本から送った本はストのあおりもあって、きっと当分着かないだろうしとか、いろいろゴタクを並べている庵主。

 「当店お勧めの本はコレ!!」とかコメントが付いている本の中に、「パリの不思議物語」みたいなのがあった。パラパラっとめくってみると、「トュイルリーの赤い男」「不機嫌な僧侶」「愛の井戸」とかなんとか。ルーブルの怪人まがいの話かなぁ、おもしろそーッとしっかり抱えて持ってる庵主。

次のコーナー。(観光コーナーは遠い) なんかないかなぁ〜と今度は始めっからノンビリ眺めていると、「南蛮屏風」の表紙が目に。FERNAO MENDES PINTO? この人、知ってるんじゃない?確か南蛮貿易のポルトガル商人で、一攫千金を狙ったけど最後には没落してしまった人。その日記を美術史を勉強していた頃に読んだことがありました。当時、ちょうど東西美術交流史とか、イエズス会の宣教活動が中国に与えた影響とかの勉強をしていたのです。さて、この「南蛮屏風絵」が表紙の本は、PINTOの日記に基づいて小説になってるらしい。もう、買うっきゃないねぇ〜と、抱え込む。たしか、フランシスコ・ザビエルなんかとも接触があったんじゃなかったっけ?そういえば、昔読んだ本、まだウチにあるかな?と、胸弾む庵主。(観光コーナーはどうしたッ!!)

他にもいろいろとゆっくりチェック。やはり歴史大作って人気あるのねぇ。何巻も続いてるものや、先史時代から始まり十字軍だなんだ中世だのルイ王朝時代だの、チョイスはいっぱい。
手にとってはやめ、また手にしては...。

う〜ん。ガマンだッ!!!

やれやれ、やっと観光コーナー。ミシュランの緑のガイドブックも見違えるほど新装されて、厚くなってる。リヨンって何地方だっけぇ?えーと、ローヌかな?あったあった。「リヨンとローヌ
渓谷周辺」。何も考えずに抱え込む。もうこれ以上いたら危険と、庵主はCDショップには眼差しも投げかけぬようレジへダッシュしたのでした。


思わぬ出費をしてしまいちょっぴり反省。庵主のネットのお友達たちに、本やCDを買いまくっている諸君が何名かおりますが(あッ、それって僕のこと?って思った人、そうですよ、フフフ)、みなさん、散財には注意しましょう!!!(爆)

ヨモノスケくんたち、おさいふ軽くなっちゃったのね、小判を招いてくだされませぃ。
 
ヨモノスケはセルやさん作の招きネコちゃんです。↓

 

日本はもう14日だぁ〜。

2003.06.14

時差ぼけで目がショボショボしてきました。

昨日のBBSで庵主に代わってぴーたろーが申しておりましたが(笑)、庵主の従兄がサッカー狂←って言ったらいけないのかしら?あ、これって、極秘なのかなぁ。内緒で来るのかなぁ...
ま、とにかく、コンフェデ杯の試合を見に来るんです。18日はパリのスタジアムだったんだわ。でも、来るのは20日の日仏戦と22日のコロンビア戦。それもサンテティエンヌという田舎。パリから汽車で3時間ぐらいです。私は22日は用事で無理だけど20日は一緒に行くことにしました。チケットが安いこと、こんなギリギリになってもまだ買えることに驚いてたけど。SARSだのなんだので日本からの応援団も少ないんじゃないかと思います。

真ん中の土曜日はリヨンに出向いて美味しいワインに食事を企んでおりまする。フフフ。あとは絹織物の産地なので博物館が有名。実は、リヨンって、25年ぐらい前に友人の結婚式で行っただけで、ぜんぜん知らないのです。なんであの時ちょっとは観光しなかったのかなぁ?時間がなかったのかな?なんて思い出せない昔のお話。トホホ。

昨日、そういえば、リヨン名物のサラミをエサにとある紳士を篭絡しようとした年増女の話を聞いたばかりだった。(ぷぷ)
これ、両者とも私は知ってる人なんだけど、本人達はつい最近出会う機会があったそうな。女性はリヨンにしょっちゅう仕事で行くという話をしたら、男性が、ああ、リヨンだったらサラミがおいしいのがあって。。。と水を向けたらしい。女性はじゃ、今度お土産にっていうことで、二度目のランデヴー。さて、そのあとは。どうなるのかねぇ〜と、スイスに住んでる腐れ縁のダチが電話で話してくれました。

サッカーの話からそれちゃったじゃないのさ。すみません。

東京でPC買ったというものの、まだネットに繋がっていないので、週末はパソ休日でござりまするゥ。しからば、皆々様、よい週末をお過ごし下さりまするよう...デンデンデンデン... 

 

13日のきんぎょー日

2003.06.13

13日の金曜日。こういう日は縁起物で。

BBSに登場するセルやさんhttp://www.celluya.com/から頂いたキントトとカエルくんです。

個展のオープニングの日は朝から大雨で、予定していた着物は諦めたました。そのとき締めるはずだった帯とアレンジ。ちょうど水色だったので池に見立てて、小石の上にカエルくんを乗っけました。

帯にはローマ時代の書体リュスティカRUSTICAと草書体で、世阿弥の風姿花伝から「秘すれば花」LA FLEUR EST MATIERE A SECRETと書いてあります。
この帯に合わせてネイルアートも美容院に行ってやってもらったんだけどなぁ。

     ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 なんか今朝は拍子抜けしたようにメトロが普通に動いていて、でも金曜日で休みの人が多いらしく駅も車内もガラーンとしてました。 乗り合わせたみんな、どうしたの?といった視線を送りあってる感じ。

 

 

あぁ、ストライキ。

2003.06.12

 今日は少しは定年制度に対するストも緩和され、メトロはほぼ通常とのニュースだったが、そんなの嘘っぱち。やれやれ。混んだ車内でゴホゴホやっても、SARSのことなんか皆忘れてもう誰も気にしてない。空調もなく、窓も殆ど開いてない車内は肉食人種の体臭がミチミチてます。息苦しいよぉ〜!!なんで空調しないんだッ!!って、東京ではその空調のせいで風邪ひいたことは頭の奥の引き出しにねじ込んでいる庵主でありました。
 
 フランス人は一般的に風に当たることを非常に嫌っていて、背中に風があたると病気になるとかいって換気を怠ることしばしば。悪い空気吸ってるほうがよっぽど病気になると説明しても聞く耳持たない。フランス版おばあちゃんの知恵袋には頑固の素の硬い石がいっぱい詰まっているのです。

 心配されたBAC(高校卒業資格試験)の試験会場の混乱はあまりない様子で、生徒達はストを懸念して定刻の8時よりかなり早くから集まったとか。今日は哲学だの文科系のテスト日。時間は4時間。ストに参加している教師達は、生徒の入室を拒まない代わりに試験官の任務は放棄とのことらしい。その償いなのか入口で飲み物やお菓子を生徒に配ってました。特別措置として、ストの所為で遅れた生徒には10時まで会場の入室を許可し、その場合は到着した時から4時間試験という対策がとられているようです。もっとひどい場合は日程の日延べということにもなりかねないらしく、ホントに迷惑な話です。

        

 あ、今日は木曜。今頃「動物のお医者さん」やってる頃だわ。
    

 

あぁ、ボケボケ。

2003.06.11

年齢と共に比例して時差の回復に掛かる時間が増大。
腹時計も狂ったまんま。いきなりヘンな時間にお腹が空いたりするのです。トホホホ。

時差ぼけ解消に一番なのは、いる場所の時間にすばやく合わせること。ということで、夕べは頑張って12時まで起きておりました。それから内田百フの「第一阿房列車」でも横になって読もうと思ったら、おっとどっこい。本のカバーにある百フ先生のご尊顔を拝したとたんにコロリという有様。では、12時までなにをしていたかって、新しいPCでゲームして...じゃ、ありません。個展の報告をUPするための原稿準備をしておりました。でもって、TVはちっとも面白いのやってないから、成田で買った吉田兄弟の「津軽三味線」のCDを聴くことに。これ、忘れかけてたのを慌てて飛行機に乗る前に買ったのです。ホントに棚にあったのをひょいッと取って買ったものだから、中身を良く見てなかったんだけど、ありゃ、オープニングでお願いした大鼓の正之助さんがコラボレーションしてるじゃありませんか。うんうん、なかなかいい感じ。吉田兄弟は弟の方がちょっぴりイケメンだな。(フフフ)その次は例の「最愛的張国栄」。今回、東京の中野ブロードウェイというショッピングモールにある「茉莉花茶」というアジア専門のCD屋さんで、レスリーのCDやら映画のDVDやら買い込んだのだけど、郵便小包で送ってしまったのでまだ届いておらず。早く届かないかな〜。でもフランスは今ストだから時間かかるかな〜。なんて考えつつ、原稿ハカドラズ。

さてぇ、今夜はどうすんべぇ。
     ↓ コレが吉田兄弟のCD。

 

パリに戻りました!!

2003.06.10

8日の日曜日にパリに戻りました。数日前に風邪を引いてゴホゴホ咳をしながら鼻をかみながら...。日本のバスや電車の空調の冷気に慣れていないので、外で汗をかいて乗り物に乗ってヤラレました。SARS騒ぎで成田では入国にはすごく気を使っているのに、出国には一向無頓着で、何の検査もなく???という具合で飛行機に乗り込んでしまいました。現在、風邪と時差で頭はボーッ。

さて、今回の東京での個展、お蔭様で無事終わりました。ネットやHPで知り合った方々にも随分来ていただきました。どうもありがとうございました。個展の様子は別途UPしたいと思います。日本滞在中は大阪で一日講習会もして、福岡までも足を延ばしました。福岡では来年なんて思ってたけど、近々、数点展示する予定です。これもはっきりしたらご報告します。

頭ボーッ。

フランスは私が出発した日以来、ストが続いていて、今日も聖霊降臨祭の連休明けに全国的に公共機関のスト。メトロはちょっとは動いているのですが、郵便局とかマヒしています。明日からBAC(バック :高校卒業資格試験)が始まるのに、教師もストしてます。どうなるのやら・・・。 

 


build by phk-imgdiary Ver.1.11


 

 

 

Home